第30話 王様からのお願い
「実は、そなたにもう1つ頼みたいことがあるのだ」
エドワード国王様は、フルーツタルトを食べ終えたあと、私にそう言った。
「お願い? またお菓子を作るの?」
「いや、今度は少し違う。私の娘に会ってもらいたいのだ」
娘ということは、王様の子供。つまり、お姫様だ!
「お姫様! 私、お姫様に会えるの?」
「ああ。アリシアという、今年8歳になる娘だ。そなたより3つ年上だな」
「わあ! どんな子なの?」
思わず身を乗り出すと、国王様は嬉しそうに笑った。でも、その笑顔はすぐに少し寂しそうなものに変わってしまう。
「とても真面目で、優しい子だ。勉強にも礼儀作法にも熱心でな。周囲からは立派な王女だと褒められている」
「すごいね!」
「ああ。だが、最近は少し頑張りすぎているようなのだ」
国王様によると、アリシアちゃんは毎日たくさんのお勉強をしているらしい。お休みの日も本を読んだり、礼儀作法の練習をしたりしているんだって。
「好きなお菓子を尋ねても、皆と同じものでよいと言う。遊びたいことを聞いても、勉強があるからと断るのだ」
「お菓子も?」
「そうだ。以前は甘い焼き菓子が大好きでな。新しい菓子が出るたびに、目を輝かせていたのだが……」
国王様は、空になったお皿へ視線を落とした。
「私は、娘が何を好きなのか、分からなくなってしまった」
それを聞いて、少し胸がきゅっとなった。
(8歳かぁ。まだまだ遊びたい年頃だよね。私の前世でも、頑張りすぎて好きなことを楽しめなくなった時期があったなぁ)
もちろん、アリシアちゃんが同じ気持ちなのかは分からない。
「それで、私に何をしてほしいの?」
「そなたはリゼル伯爵の娘と友人になったと聞いている。もしよければ、アリシアとも話をしてやってほしいのだ。同じ年頃の子供同士なら、私たちには話せないこともあるかもしれん」
「お友達になっていいの?」
そう尋ねると、国王様は大きく頷いた。
「もちろんだ。ただし、アリシア自身が望めば、の話だがな」
「うん! 仲良くなれたら嬉しい!」
お姫様のお友達なんて、前世でも今世でも初めてだ。
隣で寝そべっていたヴァルが、ちらりとこちらを見る。
「メル。友達になる前から浮かれすぎだろ」
「だって、楽しみなんだもん!」
「まあ、お前なら誰とでも話せるだろうがな」
ヴァルはそう言って、また目を閉じた。
なんだかんだ、応援してくれている気がする。
「ところで、アリシアちゃんはどんなお菓子が好きなの?」
「それが分かれば苦労はしないのだが……」
国王様が困った顔をすると、そばにいたアルベールさんも頷いた。
「以前は私の焼いた菓子をよく召し上がってくださいました。特に、焼きたてのものをお持ちすると、とても喜んでくださったのですが」
「焼きたて! おいしいよね!」
焼き菓子なら、クッキーもマドレーヌもフィナンシェもある。
(でも、まだ会ってもいないのに、お菓子を決めるのは早いかな。どんな子なのか、ちゃんと知りたいし)
私はレシピブックを呼び出しかけた手を引っ込めた。
「まずはアリシアちゃんに会ってみたいな!」
「そうしてくれると助かる。では、案内しよう」
国王様は立ち上がると、私たちを王宮の奥へ案内してくれた。
◇
王宮の廊下は、どこを見てもぴかぴかだった。
大きな窓から陽の光が差し込み、壁には綺麗な絵が飾られている。すれ違う人たちはみんな国王様に頭を下げるので、私もちょっと緊張してしまった。
「お嬢様、お足元にお気をつけくださいませ」
「ありがとう、エナ!」
エナはいつも通り私の隣を歩いている。
ヴァルは小さな姿のまま、尻尾をゆらゆら揺らしていた。
しばらく歩くと、国王様が1つの扉の前で足を止めた。
「マリアンヌ、入るぞ」
扉の向こうには、優しそうな女の人がいた。
栗色の髪を綺麗にまとめ、淡い色のドレスを着ている。青い瞳が印象的な、とても上品な人だ。
「陛下。そちらが、アルフォード子爵家の……?」
「ああ。メル・アルフォード嬢だ」
私は慌てて、教えてもらった通りにお辞儀をする。
「メル・アルフォードです! よろしくお願いします!」
女の人は目元を和らげた。
「初めまして、メル様。私はマリアンヌ・ルミエール。アリシアの母です」
「王妃様!」
「ふふ。そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ」
マリアンヌ王妃様は、私と同じ高さになるように少し身をかがめた。
「娘と会ってくださるのですね。ありがとうございます」
「うん! 仲良くなれたら嬉しいです!」
「そう言っていただけるだけでも、嬉しいですわ」
王妃様は微笑んだけれど、その目は少し心配そうだった。
きっと、アリシアちゃんのことが大好きなんだろうな。
「アリシアは庭園におります。ご案内しますね」
王妃様に連れられて向かった先には、色とりどりのお花が咲く綺麗な庭園が広がっていた。
「わあ! お花がいっぱい!」
思わず声を上げると、王妃様が嬉しそうに教えてくれた。
「ここはアリシアも好きな場所なのですよ。よく本を読んでおります」
その言葉の通り、庭園の奥にある白いテーブルには、1人の女の子が座っていた。
淡い金色の長い髪に、薄紫色の瞳。水色のドレスを着た女の子は、背筋をぴんと伸ばして本を読んでいる。
私たちに気づくと、女の子は静かに本を閉じて立ち上がった。
「お父様、お母様。おかえりなさいませ」
それから、私の方を見て綺麗なお辞儀をする。
「初めまして。アリシア・ルミエールと申します」
「メル・アルフォードです! よろしくお願いします!」
私も精いっぱいお辞儀を返した。
(すごいなぁ。私より3歳年上なだけなのに、もう立派なお姫様だ)
アリシアちゃんは優しく微笑んでくれた。
「メル様、お会いできて嬉しく思います」
「私も! アリシアちゃんって呼んでもいい?」
「えっ……」
アリシアちゃんが少し驚いた顔をした。
あれ、いきなり馴れ馴れしかったかな?
「だめだったら、アリシア様って呼ぶね」
「い、いえ。構いません。ただ、そのように呼ばれることがあまりないものですから……」
「じゃあ、アリシアちゃん! 私のこともメルって呼んでね!」
アリシアちゃんは少し迷ってから、小さく頷いた。
「……分かりました、メル様」
「メルでいいよ!」
「……メル、ちゃん?」
やった!
「うん!」
私が笑うと、アリシアちゃんもほんの少しだけ笑ってくれた。
◇
国王様たちが近くの席でお茶を飲むことになり、私とアリシアちゃんも向かい合って座った。
「アリシアちゃん、お菓子は好き?」
「はい。宮廷菓子職人の作るお菓子は、どれも素晴らしいものです」
「そうだよね! アルベールさんのお菓子、私も食べてみたいな。アリシアちゃんは何が一番好き?」
「どれも美味しいので、1つには決められません」
そっかぁ。
「じゃあ、何して遊ぶのが好き? 私、お菓子作りが大好きなんだ!」
「私は読書や刺繍など、様々なことを学んでおります」
「刺繍! お花とか作るの?」
「はい。先生から教わった模様を練習しております」
アリシアちゃんは、どんな質問にも丁寧に答えてくれる。
でも、少し不思議だった。
(嫌がってるわけじゃないんだよね。でも、好きなものを聞いても、いつも『正しい答え』が返ってくる感じがするなぁ)
そんなことを考えていると、アリシアちゃんが私の足元を見た。
「……あの、メルちゃん。そちらの子は?」
視線の先には、丸くなっているヴァルがいた。
「ヴァルだよ! 私の大切なお友達!」
「友達というか、契約相手だな。俺は天月狼ヴァルグレイヴだ」
「て、天月狼……?」
アリシアちゃんの目が大きく開いた。
「お父様から、お話は伺っております。ですが、本当にこんなに小さなお姿にもなれるのですね」
「本当はもっと大きいんだよ! でも、今は小さくなってるの」
「そうなのですね……」
アリシアちゃんはヴァルをじっと見つめている。
その視線は、なんだか少しうずうずしているように見えた。
「アリシアちゃん、触ってみる?」
「……よろしいのですか?」
「ヴァル、いい?」
「メル。俺に聞く前に誘うな」
「えへへ。だめ?」
「……少しだけだぞ」
ヴァルはため息をつきながら、アリシアちゃんの近くへ移動した。
アリシアちゃんはおそるおそる手を伸ばす。
そして、銀白色の毛並みにそっと触れた。
「……ふわふわ」
ぽつりと漏れた声は、さっきまでの丁寧な話し方とは少し違っていた。
「でしょ! ヴァル、すっごくふわふわなの!」
「こんなに柔らかい毛並みは初めてです。……あっ、失礼いたしました」
「別に謝らなくていいよ?」
アリシアちゃんは少し頬を赤くした。
その様子を見て、私は嬉しくなった。
「ねえ、アリシアちゃん! 一緒にお庭を歩かない?」
「お庭を、ですか?」
「うん! お花も見たいし、もっとお話ししたいな!」
アリシアちゃんは一瞬、国王様と王妃様の方を見た。
国王様は優しく頷く。
「今日は自由に過ごして構わないぞ、アリシア」
「……はい、お父様」
私たちは席を立ち、庭園の小道を歩き始めた。
エナとヴァルも、少し離れたところからついてきてくれる。
「フィーネにはね、私の大好きなパン屋さんがあるんだ! シュークリームも売ってるの!」
「シュークリーム……聞いたことがございます。王都でも噂になっておりますね」
「本当? あとね、ヴァルは魔物よけクッキーが大好きなんだよ!」
「魔物よけ……? 魔物を遠ざけるお菓子を、魔獣が召し上がるのですか?」
アリシアちゃんは目をぱちぱちさせた。
「うん! 最初は人が食べるにはちょっと変な味だったんだけど、ヴァルはおいしいって!」
「俺には美味いからな。お前たちの味覚が違うだけだ」
「ふふっ……」
あっ。
今、笑った!
アリシアちゃんは慌てて口元を押さえたけれど、私は嬉しくて仕方がなかった。
「アリシアちゃん、笑った!」
「す、すみません。つい……」
「謝らなくていいよ! 笑ってくれた方が嬉しいもん!」
そう言うと、アリシアちゃんは不思議そうに私を見つめた。
やがて、庭園の端にある小さな東屋へたどり着いた。
ベンチに腰かけると、アリシアちゃんが静かに口を開いた。
「メルちゃんは、いつもお好きなことをしていらっしゃるのですね」
「うん! お菓子を作るの、大好きなんだ! 食べてもらうのも好き!」
「……羨ましいです」
その声は、とても小さかった。
「アリシアちゃんは、好きなことないの?」
私が尋ねると、アリシアちゃんは膝の上で手を重ねた。
「……私には、王女としてしなければならないことがありますから」
「そっかぁ。でも、好きなこともしていいんじゃない?」
「それは……」
アリシアちゃんは困ったように目を伏せた。
(きっと、ずっと頑張ってきたんだろうな。でも、何が好きなのかくらい、自分で決めてもいいと思うんだけど……)
私は少し考えてから、いいことを思いついた。
「ねえ、アリシアちゃん! 今度、一緒にお菓子作ろうよ!」
「……私が、ですか?」
「うん! 食べるのも楽しいけど、作るのも楽しいよ! 自分で作ったお菓子って、特別おいしいんだ!」
アリシアちゃんは驚いたまま、私を見つめている。
「でも、私はお菓子を作ったことがありませんし……」
「私も最初は失敗したよ! でも、練習したら上手になったんだ。アルベールさんにも教えてもらったし、一緒ならきっと大丈夫!」
そう言って手を差し出すと、アリシアちゃんは私の手をじっと見つめた。
「……私にも、できるでしょうか」
さっきまでの完璧なお姫様の言葉じゃない。
初めて聞いた、アリシアちゃん自身の願いのような気がした。
「もちろん! 一緒に作ろう!」
アリシアちゃんはしばらく迷っていたけれど、やがて私の手をそっと握った。
「……はい。私も、作ってみたいです」
その小さな声が嬉しくて、私は思わず笑顔になった。
よーし!
アリシアちゃんと一緒に作る、初めてのお菓子。
いったい何にしようかな!




