第29話 宮廷菓子職人とフルーツタルト
「まずは生地からだね。メル嬢、普段通りに作ってみてくれるかな?」
「うん!」
宮廷厨房の作業台には、《星蜜果のフルーツタルト》に必要な材料が並んでいた。
アルベールはすぐに手を出そうとはせず、少し離れたところからメルの作業を見守っている。
メルは小麦粉と砂糖を合わせ、そこへ小さく切ったバターを加えた。指先ですり合わせるように混ぜていくと、アルベールが穏やかな声で止める。
「もう少し力を抜いてごらん。バターを潰そうとするより、小麦粉になじませるようにするといい」
「こう?」
「そう。それなら生地が固くなりにくいよ」
言われた通りに力を抜いてみると、確かにさっきより扱いやすい。
(同じ材料なのに、触り方だけでも変わるんだ)
《しあわせレシピ》には作り方も載っている。
けれど、指先へどれくらい力を入れるのか、どの状態になったら次へ進むのか。細かな感覚まですべてを教えてくれるわけではない。
「アルベールさん、ずっとこうやって作ってるの?」
「そうだね。もっとも、私も最初から上手だったわけではないよ。昔は生地を固くして、師匠によく叱られたものだ」
「アルベールさんにも先生がいたんだ!」
「もちろん。菓子作りは、覚えれば覚えるほど知らないことが増えていくからね」
メルには、その言葉がなんだか嬉しかった。
もっと覚えなければいけない、ではなく、まだ覚えられることがたくさんある。そう考えると、目の前に知らないお菓子が並んでいる時と同じくらいわくわくしてくる。
生地を休ませている間に、今度は中へ詰めるクリームを作った。
卵と砂糖を混ぜ、温めた牛乳を少しずつ加えていく。ここでもアルベールは火加減や混ぜ方を教えてくれたが、作業そのものはなるべくメルに任せてくれる。
「そろそろいいかな?」
「うん。火から外して大丈夫だよ」
「できた!」
とろりとしたクリームを見て満足していると、隣でエナが微笑んだ。
「先ほどよりも随分となめらかでございますね」
「アルベールさんに教えてもらったから!」
「飲み込むのが早いね。普段からよく作っているのが分かるよ」
褒められたメルは照れながら、次の星蜜果へ手を伸ばした。
しかし、さすがに5歳の手で綺麗に薄く切り揃えるのは難しい。厚いものと薄いものができてしまい、メルが首を傾げていると、アルベールが別の星蜜果を手に取った。
「少し見ていてごらん」
アルベールの包丁が動く。
それだけなのに、メルは思わず身を乗り出した。
切り分けられた星蜜果は、どれも驚くほど同じ厚さだった。しかも星形の断面が崩れず、並べただけでも飾りのように綺麗に見える。
「全部同じ……!」
「果物は厚さで食感も変わるからね。こうして並べて使うなら、できるだけ揃えた方が口当たりもよくなる」
「私もやってみる!」
今度はさっきより慎重に包丁を動かす。
アルベールほど綺麗にはならない。それでも1枚目より2枚目、2枚目より3枚目と、少しずつ厚さが揃っていった。
(レシピには薄く切るって書いてある。でも、その『薄く切る』をちゃんとできるのが技術なんだ)
レシピを知っているだけで、何でも完璧に作れるわけではない。
けれど、それが嫌だとは思わなかった。
(もっと上手になったら、もっと美味しく作れるってことだよね)
そう考えると、むしろ楽しくなってくる。
「お嬢様、随分と嬉しそうでございますね」
「だって、まだ上手になれるんだよ!」
「その考え方は素晴らしいね」
アルベールはそう言ってから、今度は開かれた《しあわせレシピ》へ視線を向けた。
「それにしても、このフルーツタルトという菓子は興味深い。星蜜果を焼き菓子に使ったことは私にもあるが、生のまま最後に飾るという発想はなかったよ」
「焼いたら、お星さまの形が見えなくなっちゃうでしょ? せっかく可愛いのにもったいないもん!」
「なるほど。味だけではなく、形を見てそう考えたのか」
アルベールは切り揃えられた星蜜果を眺め、楽しそうに頷いた。
「レシピそのものも面白いが、君がなぜそれを作りたいと思ったのかを聞く方が面白いかもしれないね」
「ほんと?」
「ああ。私にもまだ知らない菓子がたくさんありそうだ」
宮廷菓子職人でも、知らないお菓子がある。
その事実がメルには少し不思議で、同時に嬉しかった。
「じゃあ、いっぱい一緒に作ろうね!」
「それは楽しみだ」
その横で、エナが季節の果物を用意している。
「エナもアルベールさんに教えてもらう?」
「私はお嬢様のお手伝いができれば十分でございます」
「エナは味見も上手だよ! 特にチョコの時はすっごく真剣なの!」
「お嬢様」
エナの声が少しだけ低くなる。
「チョコ?」
聞き慣れない言葉だったらしく、アルベールが反応した。
「ショコラビーンズから作るお菓子だよ。甘くして、口に入れると溶けるの!」
「ショコラビーンズを? あれは苦味と香りを利用する材料だと思っていたが……甘い菓子にできるのか」
「できるよ! エナの一番好きなお菓子!」
「……否定はいたしません」
エナが少しだけ視線を逸らす。
アルベールはそんな彼女とメルを見比べたあと、職人らしい興味を浮かべた。
「それはぜひ、後で詳しく教えてほしいな」
「うん!」
「私からも、ぜひお願いいたします」
「エナが一番食いついてる!」
メルが笑うと、エナは何事もなかったように果物を並べ直した。
◇
焼き上がったタルト生地へ、冷ましたクリームをたっぷり詰める。
最後は星蜜果を中心に、王都で手に入れた色とりどりの果物を飾っていった。
黄色い星が重なるように並び、その周囲を赤や橙色の果物が彩る。仕上げに少量の蜂蜜を塗れば、表面がつやつやと輝いた。
「できたぁ……!」
メルは完成したタルトを眺めた。
自分1人で作ったものより形が綺麗だ。アルベールに教えてもらいながら作った生地も、いつもより均一に焼けている。
「美しいな。星蜜果の特徴がよく生きている」
アルベールは一度全体を確認すると、細く切り分けた。
国王へ出す前なので、まず宮廷菓子職人であるアルベールが味を確認するらしい。
「どう……?」
メルが見守る中、アルベールが一口食べた。
さっくりと焼き上がった生地に、なめらかなクリームが重なる。そこへ星蜜果の瑞々しい酸味と濃い甘さが加わり、最後には蜂蜜に似た独特の香りがふわりと残った。
アルベールはすぐには喋らなかった。
もう一口食べてから、ようやくメルを見る。
「美味しいよ」
「ほんと!?」
「ああ。特に星蜜果がいい。焼いて甘味を強めるのではなく、生の酸味をクリームへ合わせることで、この果実にしかない味が残っている」
メルの顔がぱっと明るくなる。
「メル嬢。君の《しあわせレシピ》は、確かに素晴らしいスキルだと思う。しかし、それとは別に――私は、君自身も良い菓子職人になれると思うよ」
「私が……菓子職人?」
思わず自分の手を見る。
前の世界でも、お菓子作りはずっと趣味だった。この世界でも、好きだから作っているだけで、自分を菓子職人だと考えたことは一度もない。
「でも私、いっぱい失敗するよ?」
「私もするよ」
「アルベールさんも?」
「もちろん。20年以上作っていても、新しい菓子へ挑戦すれば失敗する。だから面白いんだ」
宮廷菓子職人でも失敗する。
メルは少し驚いたあと、もう一度完成したタルトを見た。
「じゃあ、失敗してもまた作ればいいんだね!」
「ああ。その次は、少しだけ上手になっているはずだよ」
その言葉を、メルはしっかり覚えておこうと思った。
◇
「本当に作ってきたのか」
完成した《星蜜果のフルーツタルト》を前に、エドワードは楽しそうに笑った。
先ほどの広い謁見の間ではなく、今度は小さな応接室だ。アルベールも同席し、メルたちは国王が食べる様子を見守っている。
「約束したから! アルベールさんにもいっぱい教えてもらったの!」
「それは期待できそうだな」
エドワードが一口食べる。
メルは思わず身を乗り出した。
「……これは美味いな」
「ほんと!?」
「ああ。星蜜果なら私も何度も食べているが、このような食べ方は初めてだ。果実の香りがよく残っている」
「私も同じ感想でございます、陛下。星蜜果そのものを主役にするという発想は、私にもありませんでした」
国王と宮廷菓子職人が揃って褒めてくれた。
それだけで、朝に感じていた緊張が全部吹き飛んでしまいそうだった。
「俺にも寄越せ」
「ヴァル、王様の前だよ?」
「俺の分もあるのだろう?」
「あるけど!」
結局、ヴァルにも一切れ渡す。
エナも味見をすると、いつもの穏やかな表情で頷いた。
「大変美味しゅうございます。星蜜果の酸味がよく合っておりますね」
「……チョコの時より普通だね」
「比較なさらないでくださいませ、お嬢様」
メルが笑っていると、エドワードがフォークを置いた。
「メル」
「はい?」
「実はそなたに、もう1つ頼みたいことがある」
先ほどまでとは少し違う声だった。
メルも自然と国王を見る。
「お菓子?」
「……おそらく、そなたならそう考えるだろうな」
エドワードは苦笑してから、静かに言葉を続けようとした。




