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第28話 王様と宮廷菓子職人

「お嬢様、動かないでくださいませ。もう少しで終わりますので」

「はーい……」


 翌朝。

 メルは迎賓館の鏡の前に座り、エナに髪を整えてもらっていた。

 いつもより華やかなドレスを着せてもらい、髪にも小さな飾りをつけてもらう。鏡に映っているのはどこから見ても貴族のお嬢様なのに、これから国王に会うと思うとどうにも落ち着かなかった。


(私、本当に王様に会うんだよね……)


「緊張なさっておりますか?」

「ちょっとだけ。ちゃんとご挨拶できるかな?」

「昨日も練習いたしましたので大丈夫でございます。いつものお嬢様でいらしてくださいませ」


 エナが優しく笑う。

 準備を終えて部屋を出ると、待っていたオスカーもメルの姿を見て頷いた。


「よく似合っているよ。陛下もメルを困らせるために呼んだわけではないから、聞かれたことに普通に答えれば大丈夫だ」

「うん。……アルベールさんにも会えるんだよね?」

「ああ、陛下との面会が終わったらね」

「楽しみ!」

「やっぱりそちらの方が緊張しているように見えるのは、父さんの気のせいかな」


 メルは笑って誤魔化し、オスカーたちと一緒に王宮へ向かった。


◇


 間近で見る王宮は、昨日遠くから眺めた時よりずっと大きかった。

 白い石で造られた建物には細かな彫刻が施され、広い庭には季節の花が咲いている。何人もの騎士や使用人とすれ違いながら長い廊下を進んでいると、途中でメルの鼻を甘い香りがくすぐった。


「……お菓子の匂いする」

「お嬢様」

「分かってるよ。今は王様!」


 エナに言われる前に前を向く。

 足元では柴犬ほどの大きさになったヴァルが、いつも通り堂々と歩いていた。

 王宮側からは、ヴァルもそのまま同席して構わないと伝えられている。災害級魔獣を王の前へ連れていくというのに、ヴァル本人だけはまるで緊張していない。


 やがて大きな扉の前へ到着し、メルはオスカーと一緒に中へ入った。

 広間の奥で待っていたのは、40代後半ほどの男性だった。

 国王エドワード・ルミエール。

 落ち着いた顔立ちに威厳はあるものの、メルが想像していたほど怖そうな人ではない。


「アルフォード子爵オスカー、ならびに娘メル。よく来てくれた」


 オスカーに続き、メルも昨日教えてもらった通りに挨拶する。

 少しだけ間違えそうになったものの、どうにか最後まで言い切った。


「顔を上げなさい。今日は叱るために呼んだわけではない。そう緊張しなくてもよい」

「はい!」


 顔を上げると、エドワードは少しだけ表情を柔らかくした。


「メル・アルフォード。そなたがスキルを授かったという報告は、王家にも届いている。この国で確認されているスキル保持者は極めて少ない。ゆえに、一度直接話を聞いておきたいと思ってな」

「《しあわせレシピ》のことですか?」

「そうだ。どのようなスキルなのか、私にも見せてもらえるだろうか」


「はい。お菓子の作り方を教えてくれる本です!」


 メルが意識すると、両手の中に淡い光が集まった。

 光が形を作り、《しあわせレシピ》のレシピブックが姿を現す。

 広間に控えていた側近たちから、小さなどよめきが起こった。


「これが……」

「はい! 作りたいお菓子とか、誰かに食べてもらいたいお菓子を考えると、レシピを教えてくれることがあります」


 エドワードは興味深そうにレシピブックを見つめた。


「報告だけを読んだ時には、菓子のレシピを示すスキルと聞いて少々驚いた。しかし、その菓子が冒険者の危険を減らし、リゼル伯爵の娘を救ったとなれば、見方も変わる」

「リリアちゃんを助けたのは、私だけじゃないよ。ヴァルとエナとルークさん、それにレオナお姉ちゃんも手伝ってくれたの!」

「俺は菓子のために付き合っただけだ」

「ヴァルはそう言うけど、すっごく急いで帰ってくれたんだよ?」

「余計な説明をするな」


 国王の前でも普段通りのヴァルに、オスカーの表情がわずかに固まる。

 エドワードは気にした様子もなく、今度は少し真剣な表情でメルへ尋ねた。


「そのリゼル伯爵令嬢を救った菓子についても聞いてよいか?」

「《ユグリアの生命キャンディ》です。病気を治してくれるお菓子でした」


「どのような病でもか?」

「レシピには、あらゆる病を癒やすって書いてありました」


 今度は先ほどより大きく空気が揺れた。

 エドワードも驚きを隠さなかったが、すぐに続きを促す。


「それほどのものなら、他にも求める者は数え切れないほどいるだろう」

「でも、いつでも作れるわけじゃないんです。材料が3つ必要で、全部が新鮮じゃないとダメなの。それに、3つとも使える時期が重なるのは1年にちょっとだけです」


 生命樹ユグリアの朝露、聖角鹿ルミナディアの角蜜、月涙草の花弁。

 どれも普通に買える材料ではなく、人間だけで集めようとすれば移動だけでも1か月ほどかかること。今回はヴァルがいたから、材料が使えるうちに集めて帰れたことを説明する。


「なるほど。効能だけを見れば途方もないが、容易に作れるものではないのだな」

「はい。今回はリリアちゃんに間に合って、本当によかったです」


 エドワードはしばらく考えたあと、今度は少し違う質問をした。


「メル・アルフォード。そなたは、そのスキルを使ってこれから何をしたい?」

「何を……?」


 メルは少し考えた。

 国王から聞かれたのだから、立派なことを答えた方がいいのかもしれない。

 けれど、やりたいことは最初から変わっていなかった。


「いっぱいお菓子を作りたいです!」

「……それだけか?」

「はい! おいしいお菓子を食べると嬉しいし、作ったお菓子を食べて、みんなが笑ってくれるのも好きだから!」


 エドワードが目を丸くしたあと、小さく笑った。


「そうか。ならば、好きなだけ作るといい」

「はい!」


「さて――」


 エドワードの視線が、メルの足元へ移った。


「メル・アルフォードについてはよく分かった。次はそなたにも聞いておきたい。天月狼ヴァルグレイヴ」

「なんだ」


 広間の空気が一瞬で張り詰める。

 国王に対してもヴァルの態度はまったく変わらない。そもそもヴァルはルミエール王国の臣下ではないのだから、本人にとっては当然なのだろう。

 エドワードも咎めることなく問いかける。


「そなたほどの存在が、なぜこの子と契約した?」

「こいつの菓子が美味かったからだ」

「……それだけか?」

「うん。最初は本当にそれだったよね」

「今もそうだ」

「ほんとかなぁ」


 メルがヴァルを見ると、金色の目がわずかに逸れた。


「では、もう1つ聞こう。そなたは今後もメル・アルフォードと行動を共にするつもりか?」

「そのつもりだ。こいつが菓子を作り、俺が必要な素材を集める。危険な場所へ行くなら守る。それが契約だからな」

「メルに害をなす者が現れた場合も?」

「守る。当然だろう」


 ヴァルは迷うことなく答えた。

 声を荒らげたわけでも、誰かを脅したわけでもない。

 それでも災害級魔獣が口にするその一言には、広間を静まり返らせるだけの重みがあった。


「分かった。ならば王家としても、そなたたちの契約に干渉するつもりはない。そなたがこの国と敵対する意思を持たぬ限り、王家からその関係を乱すこともないと約束しよう」

「それなら俺も、この国に用はない」

「ヴァル。言い方!」

「事実だろう」


 エドワードは怒るどころか、声を立てて笑った。


「天月狼が人間の菓子を好むとは、長く王をしている私も初めて知った」

「美味いものを好むことに、人間も魔獣も関係あるまい」

「ヴァル、魔物よけクッキーも大好きだよ!」

「余計なことを言うな」

「魔物よけの菓子を、魔獣であるそなたが?」

「美味いからな」


 再びエドワードが笑う。

 張り詰めていた広間の空気も、ようやく少しだけ柔らかくなった。


「どうやら、随分と変わった相棒を得たようだな」

「うん! ヴァルは私の大事な友達だよ!」

「契約相手だ」

「友達でもあるでしょ?」

「……好きに言え」


 メルは満足して頷いた。

 そして話が一段落したところで、昨日から考えていたことを思い出す。


「あの、王様!」

「なんだ?」

「王様も私のお菓子、食べますか?」

「私にも作ってくれるのか?」

「はい! 昨日、王都ですっごくおいしい果物を見つけたの。星蜜果っていうんです!」


 エドワードは少し意外そうにしたあと、楽しげに頷いた。


「それは楽しみにしておこう」


◇


「はぁぁ……緊張したぁ……」


 広間を出た途端、メルは大きく息を吐いた。


「大変よくできました、お嬢様」

「俺には緊張しているようには見えなかったがな」

「してたもん! ……それで、お父さま。アルベールさんのところ行くんだよね?」

「切り替えが早いね、メルは」


 オスカーに案内されて王宮の奥へ進むにつれ、甘い香りが少しずつ強くなっていった。

 やがて辿り着いた厨房は、フィーネのパン屋とは比較にならないほど広かった。

 何人もの料理人が行き交い、大きな窯や銅鍋が並んでいる。その一角には菓子作りを専門とする場所まで設けられていた。


「すごい……」


 メルが目を輝かせていると、その奥から1人の男性が歩いてきた。

 年齢は40代後半ほど。白髪の混じった髪を綺麗に整えた細身の男性で、穏やかな表情をしている。ただ、長年道具を扱ってきたことが分かる手だけは、メルがこれまで会った料理人たちとよく似ていた。


「君がメル・アルフォード嬢だね」

「はい! アルベールさんですか?」

「アルベール・クロードだ。会えるのを楽しみにしていたよ」

「私もです!」


 メルが勢いよく答えると、アルベールは嬉しそうに笑った。


「フィーネでシュークリームという菓子を作り、最近では月避草まで菓子にしているそうだね。どんな子が作っているのか、ずっと興味があったんだ」

「今日は新しいの作ります!」


 メルは昨日買った星蜜果を見せる。


「これでフルーツタルトを作りたいの!」

「星蜜果か。香りも強く、酸味と甘味のバランスもいい。良い果実を選んだね」


 アルベールが星蜜果を手に取り、香りと表面を確認する。

 メルも《しあわせレシピ》を召喚し、昨日表示されたページを開いた。


「これです!」


 アルベールが覗き込む。


**《星蜜果のフルーツタルト》**


**材料(直径18cm・1台分)**


* 小麦粉……120g

* バター……60g

* 砂糖……40g

* 卵……2個

* 牛乳……200ml

* 星蜜果……3個

* 季節の果物……適量

* 蜂蜜……大さじ1


「なるほど……焼いた生地の中に卵と乳を使ったクリームを詰め、その上へ生の果実を飾るのか。これは面白い」

「これだけで分かるの!?」

「20年以上、菓子を作っているからね」


 アルベールはそう言って、作業台へ材料を並べ始める。

 その手つきには一切の迷いがない。

 メルは思わず、その動きをじっと見つめた。


「せっかくだ。今日は私も一緒に作らせてもらっていいかな?」

「もちろん! いっぱい教えてください!」

「それなら遠慮なく。私も職人だから、少し細かいことを言うかもしれないよ」

「大丈夫!」


「俺は味見役だ」

「ヴァル様は先ほどから、それしか仰っておりませんね」

「重要な役目だからな」


 メルは腕まくりをすると、星蜜果とアルベールを交互に見た。

 20年以上もお菓子を作り続けてきた宮廷菓子職人と、初めて一緒に作るお菓子。


「じゃあ作ろう! 王様に食べてもらう、星蜜果のフルーツタルト!」


 メルにとって、王都で初めてのお菓子作りが始まった。


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