第27話 はじめての王都
「恐れ入りますが……ヴァルグレイヴ様は、そのお姿のまま王都へ入られるのでしょうか?」
王都セレーネの門を守る兵士が、巨大なヴァルを見上げながら尋ねた。
事前に連絡は届いているらしく、槍を向けられるようなことはない。それでも3メートル近い銀白色の狼が門の前に立っている光景は、兵士たちにとって十分すぎるほど緊張するものらしい。
「何か問題でもあるのか?」
「い、いえ。問題というわけでは……ただ、街中には事情を知らない者も多くおりますので……」
「ヴァル、小さくなった方がいいんじゃない?」
「仕方あるまい」
ヴァルの身体が淡い光に包まれ、みるみる縮んでいく。
やがて柴犬ほどの大きさになると、今度は兵士たちが別の意味で目を丸くした。
「これならいい?」
「は、はい。ありがとうございます」
「なぜメルが礼を言われる」
「だってヴァル、私が言わなかったら大きいまま入ってたでしょ?」
「俺が歩くのにちょうどいい大きさだったからな」
メルが笑う横で、オスカーは何とも言えない表情をしている。
「お父さま、どうしたの?」
「いや……天月狼ヴァルグレイヴ様に、そんな気軽にお願いできるのはメルくらいなんじゃないかと思ってね」
「そうなの?」
「自覚がないところが一番すごいね」
こうして一行は、無事に王都セレーネへ入った。
城壁の向こうに広がっていたのは、フィーネとはまるで違う景色だった。
大通りには何台もの馬車が行き交い、道の両側には3階建てや4階建ての建物まで並んでいる。服装も様々で、明らかにルミエール王国のものとは違う衣装を身につけた人まで歩いていた。
「すごい……! 人がいっぱい!」
右を見ても左を見ても、気になるものばかりだった。
王家が用意した迎賓館へ到着すると、オスカーから国王との正式な面会は翌日の午前だと聞かされる。
「今日はゆっくり身体を休めて、明日の準備をしよう」
「お父さま」
「なんだい?」
「王都、見たい!」
「……そう言うと思っていたよ」
オスカーは王宮側との手続きが残っているため、迎賓館に残ることになった。
その代わり、エナとヴァルが同行することを条件に、メルは午後の王都を見て回る許可をもらった。
◇
「エナ、あれなに?」
「南方から運ばれてきた果物のようでございます」
「じゃあ、あっちは?」
「お嬢様、少々お待ちくださいませ。私もすべてを存じ上げているわけではございませんので」
王都の中央市場へ入ってからというもの、メルの興味は止まらなかった。
山のように積まれた果物や野菜。見たことのない香辛料。大きな樽に詰められた蜂蜜に、様々な種類の木の実。乳製品だけを扱う店まである。
前世で見覚えのあるものも多いが、その中にはどう考えても知らない食材が混ざっていた。
「おじさん、これなに?」
メルが足を止めたのは、金色に近い黄色の小さな果実が並ぶ店だった。
「お嬢ちゃん、星蜜果を見るのは初めてかい? 南の方で採れる果物だよ。この時期はちょうど甘くて美味しいぞ」
「星蜜果……」
店主が1つ切ってくれる。
果実の断面は名前の通り綺麗な星形で、瑞々しい果肉から甘い香りが漂ってきた。
「食べていいの?」
「もちろん。試してみな」
小さく切られた一片を口へ運ぶ。
柔らかな果肉を噛んだ瞬間、爽やかな酸味と一緒に濃い甘さが広がった。後から抜ける香りは蜂蜜に少し似ているのに、しつこさがなくてすっきりしている。
「おいしい……!」
(なにこれ。苺とも桃とも全然違う。前の世界にもなかった味だ)
もう一度、切られた星蜜果を見る。
味だけでなく、この形もいい。
(これ、タルトに並べたら絶対かわいい!)
「エナ、これ買っていい?」
「もちろんでございます。王都でお菓子を作るのでしたら、ちょうどよろしいかもしれませんね」
「うん! 絶対お菓子にしたい!」
メルは星蜜果をいくつか買ってもらった。
すぐに《しあわせレシピ》を開いてみたい気持ちもあったが、今はまだ市場に入ったばかりだ。他にも知らない材料があるかもしれない。
結局、その後も何度も店先で足を止めながら市場を歩き回った。
「王都って楽しいね!」
「お嬢様は食材ばかりご覧になっておりますが」
「だって知らないものいっぱいあるんだもん!」
「メル。あっちから甘い匂いがするぞ」
ヴァルが鼻先を向けた先には、焼き菓子が並ぶ店があった。
「行く!」
今日一番素早い返事だった。
◇
王都でも有名だという菓子店には、フィーネのパン屋とはまた違うお菓子が並んでいた。
蜂蜜をたっぷり使った木の実の焼き菓子。果物を煮詰めて生地で包んだもの。香草を練り込んだ小さなケーキに、砂糖をまぶした色鮮やかな菓子まである。
「いっぱいある……!」
メルは棚の前を行ったり来たりしながら、真剣に悩んだ。
全部食べたいが、さすがに5歳のお腹には限界がある。
「エナ、どれにする?」
「お嬢様がお好きなものをお選びくださいませ」
「エナも食べるんだよ?」
「私もでございますか?」
「味見は大事だから!」
「便利な言葉だな」
ヴァルが横から口を挟む。
「ヴァルも食べるでしょ?」
「当然だ」
「じゃあヴァルも同じだよ!」
最終的に数種類を選び、店内で食べさせてもらうことになった。
メルが最初に選んだのは、蜂蜜と木の実を使った焼き菓子だった。一口かじると表面はさっくりしているのに、中はしっとりしている。香ばしい木の実と蜂蜜の甘さもよく合っていた。
「おいしい!」
思っていた以上だった。
もう1つの小さなケーキも焼き色が綺麗に揃っていて、どこを食べても食感にほとんど違いがない。
(すごいなぁ。レシピを知ってるだけじゃ、こうはならないよね)
《しあわせレシピ》は作り方を教えてくれる。
けれど、実際に混ぜて、形を整えて、焼き上げるのは自分だ。
パン屋の店主とお菓子を作った時にも感じたが、毎日同じものを作り続けてきた職人の技術には、レシピだけでは埋められないものがある。
「お嬢様。こちらも大変美味しゅうございますよ」
「エナ、それ好き?」
「はい。果物の酸味がよく合っております」
そう言いながらも、エナの視線が時折ほかの棚へ向かっていることにメルは気づいた。
「エナ、チョコ探してる?」
「……探しておりません」
「ほんと?」
「王都のお菓子を拝見しているだけでございます」
「さっきから茶色い菓子ばかり見ているぞ」
「ヴァル様まで何を仰っているのでございますか」
残念ながら、ショコラビーンズを使ったチョコレート菓子は見当たらない。
王都でもショコラビーンズ自体は流通しているものの、まだチョコレートとして食べる文化はないようだった。
「今度チョコのお菓子作ってあげるね」
「……ありがとうございます、お嬢様」
返事と同時に、エナの表情がほんの少しだけ柔らかくなる。
それを見たメルが笑っていると、菓子店の店主が声をかけてきた。
「お嬢ちゃん、本当にお菓子が好きなんだね」
「大好き! 私も作るよ!」
「もしかして……アルフォード子爵家のメル様ですか?」
「知ってるの?」
「もちろんですよ。フィーネで見たことのない菓子を作っている小さな令嬢の噂は、王都にも届いていますから」
まさか王都の菓子店にまで知られているとは思わず、メルは目を丸くした。
「王宮へ招かれていると伺いましたが、宮廷菓子職人のアルベール・クロード様にもお会いになるのですか?」
「アルベールさん?」
「王家へお出しする菓子を20年以上任されている方ですよ。私たち菓子職人にとっては、憧れのような方です」
20年以上。
メルが生きてきた時間どころか、前世でお菓子作りを趣味にしていた期間よりずっと長い。
「そんなにずっと、お菓子作ってるの?」
「ええ。菓子作りだけでなく、材料の扱いにも非常に詳しい方です」
「会いたい!」
思わず声が弾む。
どんなお菓子を作るのか。それをどうやって作るのか。聞いてみたいことが一気に増えてしまった。
「お嬢様。明日は国王陛下とのご面会でございますよ」
「分かってるよ! そのあと会えないかなぁ」
王都へ来る前より、明日がますます楽しみになっていた。
◇
迎賓館へ戻ったメルは、さっそく昼間に買った星蜜果を机へ並べた。
改めて1つ切ってもらうと、やはり断面は綺麗な星形をしている。
「これを使ったお菓子……」
メルが強く思い浮かべると、淡い光とともに《しあわせレシピ》が手元へ現れた。
ページがひとりでにめくられ、やがて1つのレシピが表示される。
**《星蜜果のフルーツタルト》**
**材料(直径18cm・1台分)**
* 小麦粉……120g
* バター……60g
* 砂糖……40g
* 卵……2個
* 牛乳……200ml
* 星蜜果……3個
* 季節の果物……適量
* 蜂蜜……大さじ1
「フルーツタルト!」
星蜜果を中心に、色とりどりの果物を並べた姿が頭に浮かぶ。
(これなら星蜜果の綺麗な形もちゃんと見える!)
「これ作りたい! 王様にも食べてもらえるかな?」
「お嬢様。明日は国王陛下とのご面会でございます。お菓子を作りに行く日ではございませんよ」
「……作っちゃダメ?」
「王宮の厨房を勝手にお借りするわけにはまいりませんので」
メルが残念そうにレシピブックを見る。
その時、部屋の扉が開き、王宮での手続きを終えたオスカーが戻ってきた。
「ちょうどよかった。メルに伝えておきたいことがあるんだ」
「なに?」
「明日の予定について、王宮から追加の連絡をいただいたよ」
オスカーは娘の前まで来ると、少し可笑しそうに笑った。
「メルが王都へ到着したと聞いて、宮廷菓子職人のアルベール・クロード殿が興味を持たれたそうだ。陛下との面会が終わったあと、よければ王宮の厨房へ来てほしいと言っている」
「行く!」
「まだ最後まで聞いてないよ」
「行く!」
オスカーが苦笑する。
「それと、もう1つ。可能であれば――メルが普段作っているお菓子を一品、見せてもらいたいそうだよ」
メルは机の上の星蜜果を見る。
続いて、開いたままの《しあわせレシピ》へ視線を落とした。
(宮廷菓子職人さんに、私のお菓子を食べてもらえる!)
急に緊張してきた。
けれど、それ以上に楽しみだった。
「エナ! 明日、タルト作るよ!」
「まずは国王陛下へのご挨拶でございます、お嬢様」
「分かってるよ! そのあと!」
「俺の分も作れ」
「ヴァルは王様より先に食べちゃダメだからね」
「なぜ王より俺が後なんだ」
「王様だからだよ!」
明日は国王との面会。
そしてその後には、20年以上も王宮でお菓子を作り続けている宮廷菓子職人が待っている。
メルにとってどちらが気になっているのかは、もう考えるまでもなかった。




