第24話 パン屋さんと孤児院
「……本当に、入るの?」
翌朝。
パン屋の前までやってきたノアは、扉を見上げたまま足を止めていた。
「入らないとお仕事できないよ?」
「それは分かってるけど……昨日まで盗んでた店なんだよ、ここ」
さすがに正面から入るのは気まずいらしい。
メルたちと一緒についてきたリリアも、少し心配そうにノアを見上げている。
「私も一緒に行くよ。昨日のおじさんたち、優しかったから大丈夫だと思う」
「リリアちゃんは何も悪いことしてないでしょ……」
「それはそうだけど」
「いつまで入口で話している。入らないなら帰るぞ」
ヴァルに急かされ、ノアはようやく覚悟を決めた。
扉を開けると、店内には焼きたてのパンの香りが広がっている。まだ朝だというのに店主夫婦は忙しそうで、奥では大量のパンと一緒に魔物よけクッキーの準備も進められていた。
「あら、メルちゃん。昨日の――」
奥さんがノアに気づき、言葉を止める。
ノアは一瞬だけ俯いたものの、逃げることなく店主夫婦の前まで進んだ。
「昨日まで、ここのパンとお菓子を盗んでました。本当にごめんなさい」
深く頭を下げる。
メルたちは昨日のうちに事情を伝えていたため、店主夫婦もノアが何のために盗んでいたのかは知っている。
店主は少し困ったように腕を組んだ。
「事情は聞いたよ。でも、困っていたからって盗んでいいわけじゃない。それは分かってるね?」
「……うん。盗った分も返す。すぐには無理だけど、絶対に返すから」
「分かった。それなら、もう同じことはしないって約束してくれればいいよ」
「……約束する」
ノアがもう一度頭を下げる。
これで謝るところまでは終わった。
だったら次は、昨日からメルが考えていたことだ。
「それでね、おじさん!」
「うん?」
「人が足りないって言ってたよね?」
「ああ。ありがたいことにお客さんが増えたからね。パンだけならまだ何とかなるんだけど、シュークリームと魔物よけクッキーまで作るとなると、さすがに2人じゃ大変になってきたかな」
「ノアちゃん、お仕事探してるんだって!」
「……うん?」
「だから、ノアちゃんがここで働けばいいと思う!」
店主がノアを見る。
ノアも店主を見る。
2人揃って、しばらく何も言わなかった。
「……私が?」
「うん!」
「いや、うんって……パンなんて作ったことないよ」
「最初からパンを作ってもらう必要はないんじゃないかな。袋に入れたり、材料を運んだり、掃除をしたり。そういう仕事もたくさんあるからね」
店主がそう言うと、奥さんも頷いた。
「そうね。特に魔物よけクッキーは一度にたくさん買っていくお客さんが多いから、袋詰めだけでも手伝ってもらえると助かるわ」
「じゃあ決まり!」
「お嬢様。まだノア様のお返事を伺っておりませんよ」
エナに言われ、メルはノアを見る。
ノアはまだ戸惑っていた。
「……私、盗んだのに?」
「それとこれとは別だよ。もちろん、いきなり正式にお願いするんじゃなくて、まず今日1日やってみよう。それでお互いに大丈夫そうなら、改めて考えればいいんじゃないかな」
店主の提案に、ノアは少し迷ってから頷いた。
「……やる。やらせてください」
こうして、ノアのお試し勤務が始まった。
最初に任されたのは魔物よけクッキーの袋詰めだった。決められた枚数を袋へ入れ、口を閉じて籠へ並べていく。難しい作業ではないものの、今まで店主夫婦が製造の合間にやっていたため、これだけでもかなり助かるらしい。
ノアは説明を一度聞くと、黙々と手を動かし始めた。
「ノアちゃん、速い!」
「孤児院だと、こういうの慣れてるから。食べ物を分ける時も、なるべく同じにしないと小さい子が喧嘩するし」
「なるほど。じゃあ、こっちもお願いしてみようかな」
今度はクッキー生地を同じ大きさに分ける仕事を任される。
ノアは最初こそ慎重だったが、何度か繰り返すうちにほとんど同じ大きさへ揃えられるようになった。
「上手だね。これなら焼き上がりも揃いやすくなるよ」
「……本当?」
「うん。ただ、こっちはもう少し小さくてもいいかな。焼くと少し広がるから」
「分かった」
店主に教えられ、ノアがすぐに次を直す。
とはいえ、何でもできるわけではなかった。
材料を混ぜる作業を手伝えば力加減が分からず店主に止められ、昼前に客が増えて接客を頼まれれば、途端に動きがぎこちなくなる。
「魔物よけクッキーを5袋お願い!」
「5袋……ですね。えっと……」
「ノアちゃん、袋ならこっちだよ!」
「分かってる。今探してたの!」
メルが手伝おうとすると、ノアは少し恥ずかしそうに袋を取り出した。
「お嬢様も先ほど、シュークリームを並べる場所を間違えておりましたよ」
「エナ、それは今言わなくてもよくない?」
「俺は見ていたぞ」
「ヴァルまで!」
リリアが楽しそうに笑う。
そんな調子で昼を迎える頃には、ノアの表情から朝の緊張はだいぶ消えていた。
そこへ、孤児院の院長と数人の子供たちが様子を見にやってきた。
「ノアお姉ちゃん!」
昨日会った子供たちが駆け寄ってくる。
「ちょっと、店の中では走らないの」
「ノアお姉ちゃん、お仕事してるの?」
「今日だけお試し。まだ決まったわけじゃないから」
そう言いながらも、ノアは少しだけ嬉しそうだった。
奥さんは子供たちを見回すと、焼きたてのパンをいくつか持ってくる。
「ちょうど形が崩れちゃったものがあるから、よかったら食べていって」
「それ、今さっき綺麗に焼けたって言ってなかった?」
「あら、そうだったかしら」
店主に指摘されても、奥さんは笑っている。
子供たちは大喜びでパンを受け取り、リリアも昨日仲良くなった子たちのところへ混ざっていった。
「おいしい!」
「こっちも食べてみる?」
「食べる!」
急に賑やかになった店内を見ながら、店主は苦笑していた。
その時、院長がノアの仕事ぶりを見ながら口を開く。
「本当にありがとうございます。この子も仕事を探していたのですが、なかなか見つからなくて……。孤児院には、他にも働ける年齢になった子がおりますので」
「他にもいるの?」
店主が聞き返す。
「はい。ただ、もちろん無理に働かせるつもりはございません。本人が希望して、年齢的にも問題のない子だけですが」
店主は奥さんと顔を見合わせた。
ちょうどその時、また冒険者が入ってきて魔物よけクッキーを何袋も注文する。ノアが慌てて袋を用意し、奥さんが会計をして、その間にも店主は次のパンを確認していた。
「……確かに、もう1人くらいいても助かるかもしれないね」
「私は何人か交代で来てもらってもいいと思うわ。毎日同じ子じゃなくても、袋詰めや掃除なら教えられるもの」
「それなら、孤児院の子たちも順番に働けるね!」
メルが言うと、院長は驚いたように目を見開いた。
「ですが、そこまでしていただくわけには……」
「いや、こちらも助かるんですよ。働いてもらう以上は、もちろんその分のお金も払います。ちょうど人を雇わないといけないと思っていたところですから」
店主の言葉に、院長はしばらく何も言えなかった。
やがて何度も頭を下げる。
「……ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
ノアも黙って聞いていたが、やがて店主へ向き直った。
「私のお金は、盗った分を返すのに使ってほしい」
「全部?」
「うん。私が盗ったんだから」
店主は少し考え、それから首を横に振った。
「少しずつでいいよ。せっかく働いたのに全部なくなったら、ノアも困るだろう? 毎回少しずつ返してくれれば、それでいいから」
「……でも」
「長く働いてくれた方が、こっちも助かるからね」
ノアは何か言いかけて、結局、小さく頷いた。
「……ありがとう」
その日の営業が終わる頃には、店の中はすっかり静かになっていた。
孤児院の子供たちも帰り、リリアも迎えに来たエレノアと一緒に伯爵家へ戻っている。
奥さんは片付けをしながら、誰もいなくなった店内を見回した。
「なんだか急に静かになっちゃったわね」
「今日はいつもより賑やかだったからね」
「私、結構楽しかったわ」
奥さんが柔らかく笑う。
「私たち、子供が欲しかったでしょう? 結局、授からなかったけど……今日みたいに子供たちが店に来てくれるのって、ちょっと嬉しいのよね」
「……そうだね。仕事を覚えてもらえれば、店も助かるし」
「あなたも嬉しそうだったわよ」
「僕は忙しくてそれどころじゃなかったよ」
「ノアちゃんにクッキーの分け方を教えてる時、楽しそうだったけど?」
「それは仕事だから」
そう答える店主を見て、奥さんが楽しそうに笑った。
◇
それから数日後。
パン屋を訪れたメルを迎えたのは、以前とは少し違う光景だった。
「ノアお姉ちゃん、これどこ?」
「それはこっち。あと店の中では走らない!」
「ノア、次のクッキーお願いできる?」
「もう分けてあります!」
「本当だ。早くなったね」
ノアは店主の横で魔物よけクッキーの生地を揃え、その近くでは別の年長の子が袋詰めをしている。
毎日全員が働くわけではなく、本人が希望する年長の子たちが交代で店を手伝うことになったらしい。
仕事が終わった子を迎えに来た小さな子供まで店へ顔を出すので、以前よりずっと賑やかだ。
「メルちゃん、味見して!」
ノアが焼き上がったクッキーを1枚持ってくる。
「ノアちゃんが作ったの?」
「店主さんに教えてもらって、今日は生地を分けるところまで私がやった。焼いたのは店主さんだけど」
「じゃあ食べる!」
メルはクッキーを受け取り、一口かじった。
チョコレートの甘さとほろ苦さの後から、月避草の独特な香りがほんのり広がる。大きさも焼き加減も揃っていて、以前と変わらずちゃんと美味しい。
「おいしい!」
「……よかった」
ノアがほっとしたように笑った。
「俺の分は?」
足元から声がして、メルはヴァルを見る。
「ヴァルはいっぱい食べるからあと!」
「意味が分からん。むしろ俺の分を先に用意しておくべきだろう」
「じゃあお仕事して!」
「俺に何をさせるつもりだ」
「お客さん呼んでくるとか?」
「天月狼を客引きに使うな」
メルは笑いながら、もう一度店の中を見回した。
パンを盗んだ人を探していただけなのに、いつの間にかパン屋には働く人が増えて、孤児院には少しずつお金が入るようになった。
ノアはもうパンを盗まなくていいし、店主夫婦も以前より楽しそうに見える。
(なんだか、みんなちょっとずつ嬉しくなったかも)
何かすごいことをしたつもりはない。
足りないものがあったから、ちょうど余っているところとくっつけてみただけだ。
「メルちゃん、もう1枚食べる?」
「食べる!」
「俺も食べる」
「ヴァルはあと!」
「なぜだ!」
今日もパン屋には、焼きたてのお菓子の匂いと、賑やかな声がいっぱいに広がっていた。




