第23話 パン泥棒を追いかけて
「それじゃあヴァル、お願い!」
「まったく。天月狼である俺に、盗まれたパンの匂いを追わせる人間など、お前くらいだろうな」
文句を言いながらも、ヴァルは商品がなくなっていた棚の周囲を調べ始めた。
店主によれば、商品が消えるのは決まって閉店後。翌朝になって数が合わないことに気づくため、最後に盗まれたのも昨日の夜ということになる。
「昨日の匂いでも分かる?」
「誰に聞いている。何度もここへ出入りしている人間の匂いが残っているから、そいつを辿ればいい」
「さすがヴァル!」
「俺は犬ではないぞ」
先ほどからそこだけは譲れないらしい。
リリアも一緒に行きたがったため、メルたちは店主夫婦に見送られてパン屋を出た。病み上がりのリリアを連れていくことにエナは少し迷ったようだが、今日は体調もいい。それに何かあってもヴァルがいるので、危険な場所へ近づく前に引き返せる。
「なんだか冒険みたいだね、メルちゃん」
「私も泥棒さんを探すのは初めて!」
「普通は何度も経験することではございませんよ、お嬢様」
「お前の場合、今後もないとは言い切れんな」
「ヴァル、私のことなんだと思ってるの?」
「菓子を作るたびに面倒事を増やす人間だ」
否定したかったが、最近の出来事を振り返ると少しだけ自信がない。
ヴァルはフィーネの通りを迷うことなく進んでいく。最初は店が並ぶ賑やかな場所だったものの、しばらくすると住宅が増え、やがてメルもほとんど来たことのない区画へ入った。
建物は中心部より古く、道幅も狭い。それでも荒れているわけではなく、家の前には洗濯物が干され、道端では子供たちが遊んでいる。
「こっちに住んでる人なのかな?」
「可能性はございますね。ただ、まだ決めつけるのは早いかと存じます」
「もう近いぞ」
ヴァルの言葉に、メルとリリアは揃って前を見る。
そのまま細い道を曲がり、さらに少し歩いたところで、ヴァルが1軒の古い建物の前に立ち止まった。
「ここだ」
「……ここ?」
想像していたものと全然違う。
門の向こうには小さな庭があり、何人もの子供たちが遊んでいる。建物そのものは古く、壁には何度も補修した跡が残っていたが、庭は綺麗に掃除され、窓辺には小さな花まで飾られていた。
門の横に掛けられた看板を、エナが確認する。
「孤児院のようでございますね」
「孤児院……」
(泥棒さんの家に着くと思ってたんだけどな)
ヴァルが間違えるとも思えない。
どういうことだろうと庭を見ていると、建物の中から小さな男の子が走ってきた。その手には食べかけのパンが握られている。
見覚えがあった。さっきまでいたパン屋で売られているものだ。
「お姉ちゃんたち、誰?」
「えっと、そのパンって――」
「あ、これ? おいしいよ!」
男の子が嬉しそうにパンを掲げる。
さらに後ろからやってきた女の子が手にしていたのは、小さなクッキーだった。
「こっちもおいしいよ。ちょっと変な匂いするけど!」
(魔物よけクッキーだ!)
一瞬だけ、ちゃんと美味しいと言ってもらえたことが嬉しくなる。
(……って、喜んでる場合じゃないよ!)
「それ、どこでもらったの?」
「ノアお姉ちゃん!」
男の子が答えた直後、建物の扉が開いた。
「どうしたの? そんなところで――」
出てきた少女は、メルたちを見て足を止めた。
15歳くらいだろうか。顎の辺りまで伸びた灰色の髪は不揃いで、薄青色の瞳が警戒するように細められる。身体は小柄で細く、着ている服も何度か繕われていたが、汚れてはいない。
「ノアお姉ちゃん、この人たちがね――」
「……中に入ってて」
少女――ノアは、子供たちを自分の後ろへ庇うように立った。
その顔から、メルにはなんとなく分かってしまった。
「ヴァル。この人?」
「ああ。店に残っていた匂いと同じだ」
ノアの表情が強張った。
それでも逃げようとはしない。後ろにいる子供たちを一度振り返ってから、ゆっくりとメルたちへ向き直った。
「……パン屋の人?」
「違うよ。でも、パン屋さんとはお友達なの。最近、パンとかお菓子がなくなってるって聞いて、ヴァルに匂いを追ってもらったの」
「そう……」
ノアは小さく息を吐いた。
「私が盗った」
あまりにもあっさり認められて、メルの方が驚いてしまう。
そこへ騒ぎに気づいたらしく、建物の奥から40代ほどの女性が出てきた。
「ノア? お客様なの?」
「院長先生……」
ノアが俯く。
メルたちから事情を聞いた院長は、みるみる顔を青ざめさせた。
「そんな……ノア、あなた本当に?」
「……うん。ごめんなさい」
「どうしてそんなことを……。申し訳ございません。この子が盗んだ分は、必ずこちらで弁償いたします」
深々と頭を下げる院長を見て、メルは困ってしまった。
周囲を見れば、この孤児院に余裕がないことくらい5歳の自分にだって分かる。古い建物は丁寧に使われているが、壁には修繕が必要そうな場所がいくつもあり、子供たちの服や靴も大切に直しながら使っている。
「ノアちゃん、なんで盗ったの?」
メルが尋ねると、ノアはしばらく答えなかった。
やがて後ろにいる子供たちを見て、観念したように口を開く。
「……ここ、お金がないから」
「ノア!」
「知ってるよ。院長先生たちが話してるの、聞いたから」
院長が言葉を失う。
ノアは両親を亡くし、行くところがなくなったところを、この孤児院に拾われたのだという。
ここへ来てからは食事も寝床も与えてもらった。けれど最近は寄付が減り、食料にも以前よりお金がかかるうえ、古くなった建物の修繕も必要になっていた。
「みんなには何も心配しなくていいって言ってたけど、院長先生たち、ご飯減らしてるでしょ。小さい子たちの分を残すために」
「それは……」
「私、もう15歳だよ。分かるよ、それくらい」
少し強い言葉だったが、院長を責めたいわけではないのだろう。ノアの手はぎゅっと握られていた。
「最初はパン1個だけだった。あのお店ならいっぱいあるから、1個くらいなくなっても困らないかもしれないって……勝手に思った」
誰にも気づかれなかった。
持ち帰ったパンを小さな子供たちは喜んで食べた。
だから、もう1回だけ。あと1回だけ。
そうやって繰り返しているうちに、パンだけでなく焼き菓子まで持ってくるようになったらしい。
「悪いことなのは分かってる。パンだって勝手にできるわけじゃないし、作った人がいるのも分かってる。だから……パン屋の人にも謝る。衛兵に言われても仕方ないと思ってる」
ノアは言い訳をすることなく、そう言って俯いた。
メルも事情を聞いたからといって、盗んでいいとは思わない。
「盗むのはダメだよ。パン屋のおじさんたち、一生懸命作ってるんだから」
「……うん。ごめんなさい」
その時、先ほどの男の子がノアの服を掴んだ。
「ノアお姉ちゃん、怒られてるの?」
「大丈夫。あんたたちは何も悪くないから」
ノアは男の子の頭を撫でる。
その様子を見ていたリリアが、少し迷ってから男の子の隣にしゃがんだ。
「そのパン、おいしかった?」
「うん!」
「そっか。よかったね」
リリアは笑ったものの、その表情は少しだけ複雑だった。
「私ね、少し前まで病気で、あんまりご飯を食べられなかったの。でも今はいっぱい食べられるようになったんだ」
「病気だったの?」
「うん。だから、お腹が空いてるのに食べるものが少ないのも、きっと嫌だよね」
男の子には難しかったのか、不思議そうに首を傾げている。
するとクッキーを持っていた女の子が、残っていた半分をリリアへ差し出した。
「これあげる!」
「いいの?」
「うん!」
リリアが受け取ったのは、よりによって魔物よけクッキーだった。
「それ、メルちゃんが作ったんだよ」
「えっ、この小さい子が?」
「私も今日、一緒にお菓子作ったの!」
なぜかリリアが得意そうに胸を張り、メルは笑ってしまった。
けれど、これで終わりにはできない。
今日パンを渡せば、今日はお腹いっぱいになる。でも明日はどうするのか。明後日は。その次は。
(ずっとパンを持ってくればいい……ってわけにもいかないよね)
前世でも、毎月の収入がなければ生活できなかった。孤児院だってきっと同じだ。
メルは院長に尋ねる。
「ノアちゃんくらい大きい子って、他にもいるの?」
「え? ええ。何人かおります。ノアも含め、仕事を探している子もいるのですが……なかなか安定した働き口が見つからなくて」
「仕事……」
その言葉を聞いた瞬間、メルの頭にさっきの店主の言葉が浮かんだ。
『俺たちだけじゃそろそろ手が足りなくなってきた』
パン屋さんは、人が足りない。
孤児院は、お金が足りない。
それに、ここには働きたい人がいる。
(……あれ?)
メルはノアを見る。
庭にいる少し年上の子供たちを見る。
そして、パン屋がある方角へ顔を向けた。
「メル」
「なに?」
「また何か思いついたな」
ヴァルが呆れたような顔をしている。
「なんで分かるの?」
「その顔を何度見たと思っている」
メルはもう一度ノアへ向き直った。
「ノアちゃん。明日、パン屋さんに一緒に来てくれる?」
「……私が?」
「うん! だってパン屋さん、人が足りなくて困ってるんだって!」
ノアは意味が分からないという顔をしていた。
でもメルには、なんだか上手くいきそうな気がしていた。




