第22話 リリアちゃんとお菓子作り
「メルちゃん!」
屋敷の前に停まった馬車から降りてきたリリアは、メルを見つけるなり嬉しそうに手を振った。
以前とは違い、その頬には健康的な赤みが戻っている。まだ細い身体には長く寝込んでいた名残があるものの、今日は誰かに支えてもらうことなく、自分の足で馬車の階段を降りてきた。
「リリアちゃん! 本当に来た!」
「うん! 昨日いっぱい寝たから、今日はたくさん歩いても大丈夫だって。お母様にも、疲れたらちゃんと休むって約束したの」
後から馬車を降りてきたエレノアが、娘の言葉に穏やかに微笑んだ。
「先生からも、少しずつ身体を動かした方がいいと言われております。ただ、嬉しくなるとこの子は無理をしてしまいそうなので……メルちゃん、疲れているようでしたら休ませてあげてくださいね」
「任せて! エナもいるし、ヴァルもいるから大丈夫だよ!」
「なぜ俺まで子守りの頭数に入っている」
メルの足元で寝そべっていたヴァルが顔を上げる。
リリアはもうその姿を怖がることもなく、しゃがんで金色の瞳を覗き込んだ。
「ヴァルも久しぶり。今日は一緒に来てくれるの?」
「俺は毎日のようにメルに連れ回されている。今日だけ特別というわけではない」
「ヴァルが勝手についてくる日もあるよ?」
「お前がどこで妙なことを始めるか分からんからだ」
それを聞いたリリアが楽しそうに笑った。
病室で初めて会った時には、笑うだけでも苦しそうだった女の子が、今は自分の足で立っている。
(本当に元気になったんだなぁ)
そう思うと胸の奥が温かくなったが、今日はしんみりしている場合ではない。
「じゃあ行こ、リリアちゃん! パン屋さんまで案内するね!」
「うん。私、ずっと楽しみにしてたの!」
2人で並んで歩き始めると、エナとヴァルがその後を追った。
◇
フィーネの街へ出た途端、リリアの視線は忙しく左右へ動き始めた。
「あのお店、何を売ってるの?」
「雑貨屋さんだよ。可愛い髪飾りもいっぱいあるの!」
「じゃあ、あっちは?」
「あっちは……なんだろ?」
「メルちゃんも知らないの?」
「全部知ってるわけじゃないよ。一緒に見に行ってみよ!」
「お嬢様。先ほどから目的地と反対方向へ進もうとなさっておりますよ」
エナに呼び止められ、メルは伸ばしかけていた足を止めた。
「ちょっとだけならいいかなって……」
「昨日、ローデン商会でも似たようなことをおっしゃっておりましたね。まずはパン屋へ向かいましょう」
「エナは覚えてなくていいことまで覚えてるよね」
「お嬢様のお世話をするために必要なことでございますので」
「お前は昨日も同じように店の商品へ吸い寄せられていたな」
「ヴァルまで!」
リリアが隣でくすくす笑っている。
そんなやり取りをしながら歩くこと自体が楽しいのか、店先に並ぶ商品だけでなく、荷車や噴水、通りを走っていく子供たちまで珍しそうに眺めていた。
やがてパン屋のある通りへ入る。
「リリアちゃん、あそこ!」
メルが指差した先には、すっかり賑わいを取り戻したパン屋があった。
店先には焼きたてのパンが並び、その横にはシュークリームを求める客がいる。さらに最近は冒険者らしい格好の客も増え、何袋もの魔物よけクッキーをまとめて買っていた。
リリアは足を止め、しばらくその光景を見つめていた。
「……ここが、メルちゃんが話してたパン屋さんなんだね」
「うん! シュークリームも美味しいんだよ。あとね、昨日から魔物よけクッキーも美味しくなったの!」
「魔物よけなのに、美味しいの?」
「そこが大事なの!」
力を込めて答えると、店の中から聞き覚えのある笑い声が飛んできた。
「相変わらずそこにはこだわるんだな。いらっしゃい、メルちゃん」
店主が作業台の向こうから顔を出す。
その妻もリリアを見ると、すぐに優しい笑顔を浮かべた。
「その子がリリアちゃんね。メルちゃんから聞いてるわ。今日は一緒にお菓子を作るんでしょう?」
「はい。よろしくお願いします」
少し緊張しながら頭を下げたリリアに、店主の妻は「そんなに固くならなくて大丈夫よ」と笑った。
「リリアちゃん、今日は新しいお菓子作ろ! 昨日見つけたばっかりなの!」
「昨日?」
「チョコレート!」
聞き慣れない名前だったらしく、リリアが首を傾げる。
その横で、エナの目がほんの少しだけ輝いた。
「チョコレートって、どんなお菓子?」
「すっごく美味しいよ。エナなんて昨日食べたら――」
「お嬢様」
いつもより少しだけ早くエナが遮った。
リリアが不思議そうに見上げる。
「エナさんも好きなの?」
「……はい。大変美味しいものだと思っております」
「エナ、チョコ大好きなんだよ!」
「お嬢様!」
頬を赤くしたエナを見て、リリアがまた笑った。
メルは昨日作ったチョコレートを少しだけ取り出してもらい、リリアへ渡す。
「まずこれ食べてみて!」
リリアは小さな欠片を口へ入れ、ゆっくり舌の上で溶かした。
乳蜜の柔らかな甘みとショコラビーンズの濃厚な香りが広がったのだろう。青い瞳が大きくなり、すぐに頬が緩んだ。
「……おいしい! 甘いのに、ちょっと苦くて……でも、その苦いところもおいしい!」
「でしょ!?」
その感想が嬉しくて、メルまで笑ってしまう。
以前なら、リリアがお菓子を口にするときには「身体は大丈夫か」「食べられるか」と周囲が心配していた。
今はただ、美味しいものを食べて、美味しいと笑っている。
(それだけのことなのに、なんかすっごく嬉しいな)
「じゃあ今日は、これでクッキー作ろ!」
「私にもできる?」
「もちろん! 一緒に作るって約束したもん!」
その言葉に、リリアは嬉しそうに頷いた。
生地の準備は店主にも手伝ってもらい、メルとリリアはチョコレートを混ぜ込んでから、2人でクッキーの形を作っていく。
「メルちゃん、これくらい?」
「もうちょっと丸くすると可愛いよ。こうやって――あれ?」
メルが手のひらで転がした生地は、丸くなるどころか微妙に潰れていた。
隣のリリアが、自分の生地と見比べる。
「メルちゃんのも丸くないよ?」
「これは手作りの味なの!」
(前世ならもっと綺麗にできたんだけどなぁ。5歳の手、こういう細かい作業になると全然言うこと聞かない……)
すると隣の作業台で、店主が余った生地を手早く均一な形へ整えていく。
ほとんど同じ大きさの丸い生地が、あっという間に天板へ並んだ。
メルとリリアは、自分たちの不揃いなクッキーを見る。
次に店主の天板を見る。
「……なんだよ。その目は」
「ずるい」
「ずるくない。俺はパン屋だぞ」
店主の妻とエナが揃って笑った。
そうして焼き上がったチョコクッキーは、形こそ大小様々だったものの、店いっぱいに甘い香りを漂わせていた。
「リリアちゃん、これたぶんリリアちゃんが作ったやつ!」
「こんな形だったっけ?」
「たぶん!」
「たぶんなんだ……」
2人で同時に齧る。
表面はさっくりとして、中には溶けたチョコレートの濃厚な甘さが残っている。
リリアはしばらく自分のクッキーを見つめていた。
「……私、本当にメルちゃんとお菓子を作れたんだね」
その声だけは、少し静かだった。
「病気だった時、ずっと考えてたの。元気になったら街へ行って、メルちゃんとお菓子を作るんだって。でも、本当にできるなんて……あの時はまだ、ちょっと信じられなかった」
メルは残っていたクッキーを一口食べる。
「じゃあ次は、もっと難しいの作ろ!」
「……うん!」
「チョコのお菓子だけでもいっぱいあるよ。ケーキもあるし、他にも――」
「お嬢様」
エナが静かに声をかけてきた。
「次回、私もご一緒してよろしいでしょうか?」
「エナ、絶対チョコ目当てでしょ!」
「リリア様とのお菓子作りをお手伝いするためでございます」
いつもの微笑みで言い切っているが、昨日の反応を見ているメルには通用しない。
「じゃあエナの分も作ろ! ヴァルも食べる?」
「当然だ。俺だけ除外する理由がない」
「じゃあいっぱい作らないとね!」
リリアも笑いながら頷いた。
これでもう、「最後のお菓子」なんて考えなくていい。
次は何を作ろう。その次は何を食べよう。
そんな話を当たり前にできることが、メルには何より嬉しかった。
◇
楽しい時間はあっという間に過ぎ、リリアが休憩している間に、メルたちは使った道具の片付けを手伝っていた。
その途中だった。
「……またか」
店主が棚の前で小さく呟いた。
「どうしたの?」
「いや、大したことじゃ――」
言いかけてから、店主は困ったように頭を掻いた。
「最近な、商品が少しずつなくなるんだよ。最初は数え間違いかと思ったんだが、どうも違うらしい」
「なくなるって、売れたんじゃなくて?」
「ああ。閉店した後にな。パンが2つ3つだったり、焼き菓子が何個かだったり……昨日は魔物よけクッキーもなくなってた」
エナの表情が少し真剣になる。
「お金などは盗まれていないのでございますか?」
「そっちは手をつけられてない。商品も根こそぎ持っていかれるわけじゃないから、衛兵を呼ぶほどなのか迷っててな」
店主はそう言いながら、今度は大量に積まれた注文票へ目をやった。
「ただでさえ最近は忙しくてな。元々のパンにシュークリーム、それに冒険者が魔物よけクッキーをまとめて買っていくようになっただろ? 売れるのはありがたいが、俺たちだけじゃそろそろ手が足りなくなってきた」
店主の妻も苦笑しながら頷いた。
「昨日なんて、朝からずっと焼きっぱなしだったのよ。人を増やした方がいいとは話しているんだけど、なかなかね」
メルは少し考えた。
盗まれているのはお金ではない。
高価なものを狙っているわけでもなく、毎回なくなるのは食べ物が少しだけ。
(売るためなら、もっとたくさん持っていきそうだよね。なんでパンをちょっとずつなんだろ?)
「ヴァル」
「嫌な予感がするな」
「まだ何も言ってないよ?」
「お前がそういう顔で俺を見る時は、大抵ろくでもないことを思いついている」
失礼な。
でも今回は、ヴァルにしかできないことだった。
「なくなったパンの匂いって追える?」
「造作もない。残っている匂いがあれば、どこへ持っていったか程度は分かる」
「じゃあ、泥棒さん探そう!」
メルが言うと、ヴァルは面倒そうに目を細めた。
「俺は天月狼だぞ。犬ではない」
「でも鼻いいでしょ?」
「そういう問題ではない」
「ヴァル、お願い!」
しばらく見つめ合ったあと、銀白色の狼は深々とため息をついた。
「……菓子を要求する」
「クッキーでいい?」
「チョコレートの方だ」
昨日知ったばかりなのに、もうしっかり覚えている。
「ヴァルもチョコ大好きじゃん!」
「美味いものを要求して何が悪い」
こうして、楽しかったリリアとのお菓子作りの最後に、なぜか災害級魔獣によるパン泥棒探しが始まることになった。




