第12話 はじめてのお友達
リゼル伯爵家から使者が訪れた数日後、メルはエナとヴァルを連れて伯爵邸を訪れていた。
フィーネから同じリゼル伯爵領内とはいえ、子爵家とは比べものにならないほど大きな屋敷だ。広い庭園の先には白い石造りの建物があり、玄関前では何人もの使用人が出迎えてくれている。
「メル・アルフォードです。今日はよろしくお願いします」
「遠いところを来てくれてありがとう、メル嬢」
出迎えてくれたアーノルド・リゼル伯爵は40歳ほどの男性だった。きちんと整えられた茶色の髪に穏やかな顔立ちをしているものの、目元には疲労が滲んでいる。
その隣に立つ妻のエレノアも柔らかな微笑みを浮かべていたが、どこか無理をしているように見えた。
「使者から話は聞いていると思う。娘のリリアは6歳になる。長く病を患っていてね。今はほとんど寝台から起きることもできないんだ」
「お菓子も食べられないの?」
「最近は食事そのものが難しくなっている。それでも、元気だった頃は甘いものが大好きだったよ」
アーノルドはそこで一度言葉を切った。
「ただ、無理に食べさせる必要はない。娘が欲しがらなければ、その時は少し話をしてやってくれるだけでも十分だ。君に重い責任を負わせるつもりはないからね」
「うん。じゃあ、まずお話ししてみる」
何を作るか決めるのは、それからでいい。
案内された部屋へ入ると、大きな窓の近くに置かれた寝台に、小さな女の子が横になっていた。
淡い金色の長い髪に、青い瞳。整った顔立ちをしているけれど、長く病気をしているせいか身体は細く、頬にもあまり血色がない。
それでもメルが近づくと、リリアはゆっくりと顔を向けた。
「……あなたが、お菓子を作る子?」
「うん。メルっていうの。あなたは?」
「リリア……リリア・リゼル」
「じゃあ、リリアちゃんだね。私より1つお姉ちゃんなんだ」
メルが笑うと、リリアは少し驚いたようだった。
伯爵令嬢を相手にした挨拶としては、たぶん正しくない。
けれど今は貴族同士の挨拶をしに来たわけではないし、相手は自分とほとんど歳の変わらない女の子だ。
「リリアちゃん、その本読んでたの?」
「……うん。でも、もう何回も読んだから飽きちゃった」
「そんなに読んだの?」
「ずっとここにいるから。すること、あんまりないの」
リリアが窓の外へ目を向ける。
綺麗な庭が広がっているのに、自分でそこまで歩いていくこともできないらしい。
「メルは、普段なにしてるの?」
「お菓子作ってるよ。この前はシュークリーム作ったの」
「シュークリーム?」
「外がふわっとしてて、中に甘いクリームがいっぱい入ってるの。街のパン屋さんで売ってるんだよ」
身振りを交えて説明すると、リリアの青い瞳に少しだけ興味が浮かんだ。
「街のお店に行くの?」
「行くよ。エナとお買い物したり、パン食べたりするのも好き」
「……いいな」
小さく漏れた言葉に、メルはリリアを見る。
「リリアちゃんは、元気になったら何したい?」
「え?」
リリアだけではなかった。
後ろにいたアーノルドとエレノアも、一瞬息を呑んだのが分かった。
けれどメルは、そのまま答えを待った。
「……街に、行ってみたい」
しばらくして、リリアが小さな声で答える。
「お父様たちと馬車で通ったことはあるけど、自分で歩いて、お店を見たことはないの。お菓子のお店とか、お花のお店とか……見てみたかった」
「じゃあ一緒に行こうよ。私、美味しいパン屋さん知ってるよ」
「でも……行けないよ」
「今はね。でも行けるようになったら、一緒に行こう?」
リリアは目を瞬かせた。
やがて、その口元にほんの少しだけ笑みが浮かぶ。
「……うん」
それからは、お菓子のことや街のことを話した。
リリアも最初よりずっと話してくれるようになり、メルがヴァルを紹介すると、柴犬ほどの大きさになっている銀白色の狼を興味深そうに見つめた。
「かわいい……」
「だよね! すっごくもふもふなんだよ」
「メル。余計なことを教えるな」
「……しゃべった」
「ヴァルはお話しできるよ。大きくもなれるの」
「俺を珍獣のように紹介するな」
リリアが小さく笑った。
その声を聞いたエレノアが、口元を押さえる。
メルはそれには触れず、またリリアへ向き直った。
「リリアちゃんは、お菓子作ったことある?」
「ないよ。食べたことしかない」
「じゃあ今度、一緒に作ろうよ。簡単なのなら一緒にできるよ」
「私にもできるかな?」
「できるよ。私も5歳だもん」
実際には前世で何度も作っていたのだけれど、それは今説明することではない。
「……作ってみたい」
「じゃあ約束ね」
今度はさっきよりもはっきり、リリアが笑った。
その顔を見た瞬間、メルの中でも何かが変わった。
最初は、伯爵から頼まれた女の子だった。
最後に美味しいお菓子を食べさせてあげたいと思って、ここまで来た。
でも今は、もっと話したい。
一緒に街へ行きたいし、本当にお菓子も作ってみたい。
(友達って思っても、いいのかな)
少なくともメルは、もうそう思い始めていた。
「そうだ。リリアちゃんは、どんなお菓子が好き?」
「甘いものなら、だいたい好き。でも最近は……食べると気持ち悪くなることが多くて」
そこでメルは少し考えた。
美味しいものを作ればいいと思っていたけれど、食べること自体が難しいなら話が変わってくる。
「じゃあ、リリアちゃんが食べられるお菓子を探してみるね」
メルが念じると、柔らかな光とともに《しあわせレシピ》が両手の中へ現れた。
「……きれい」
リリアが興味深そうに身体を少し起こす。
「これが私のスキルなの。いろんなお菓子が載ってるんだよ」
リリアのことを思い浮かべながら本を開く。
食欲がなくても食べられて、美味しいと思ってもらえるもの。
そんなお菓子はないだろうか。
ページがひとりでにめくられていく。
やがて動きが止まった。
**《ユグリアの生命キャンディ》**
**材料(1個分)**
* 生命樹ユグリアの朝露……3滴
* 聖角鹿ルミナディアの角蜜……小さじ1
* 月涙草の花弁……1枚
* 蜂蜜……大さじ1
**効果:あらゆる病を癒やす。**
「…………え?」
メルは目を擦って、もう一度読んだ。
書いてあることは変わらない。
(あらゆる病を癒やすって……病気を治せるってこと?)
今まで《しあわせレシピ》には、普通のお菓子だけでなく魔物よけのクッキーも載っていた。
だから不思議な効果を持つお菓子が存在すること自体は知っている。
それでも、これは意味が違う。
「ヴァル、ちょっと見て」
足元にいたヴァルが近づき、開かれたページを覗き込む。
「……ほう」
「この材料、知ってる?」
「すべて知っている。だが、人間が集めるのはまず不可能だろうな」
思わず顔を上げる。
「そんなに大変なの?」
「生命樹ユグリアは、人間が容易に辿り着ける場所にはない。ルミナディアも同じだ。月涙草に至っては、生えている場所へ入ること自体が人間には難しい」
「じゃあ……作れない?」
ヴァルは金色の瞳を細めた。
「誰がそう言った。人間には難しいと言っただけだ」
「ヴァルなら取れるの?」
「取れる」
あまりにも簡単に答えるので、メルは思わず身を乗り出した。
「全部?」
「全部だ。ただし、運がよかったな。この3つはどれも今が採取できる時期だ」
ヴァルによれば、生命樹ユグリアの朝露が生まれるのも、聖角鹿ルミナディアの角蜜が満ちるのも、月涙草が花を咲かせるのも1年のうち今の短い時期だけらしい。
しかも、どの素材も採取してから時間が経てば、本来の力を失ってしまう。
「つまり、この菓子を作れるのは1年のうち今だけだ。時期を逃せば、次に3つが揃うのは来年になる」
「来年……」
リリアに、そんな時間は残されていない。
でも、今なら。
偶然なのか、それとも《しあわせレシピ》が今作れるものを選んでくれたのかは分からない。
ただ1つだけ、はっきりしたことがある。
「ヴァル。取りに行こう」
「やはりそう言うか」
「だって、これを作ればリリアちゃんの病気が治るんでしょ? だったら行くよ。私も一緒に」
「俺だけで行った方が早いぞ」
「私が作るお菓子の材料だもん。それに、危ないところならヴァルが守ってくれるんでしょ?」
「……契約の言葉を都合よく使うな」
ヴァルは呆れたように息を吐いたが、拒む様子はない。
「でしたら、私も同行いたします」
後ろからエナの声がする。
「エナも? でも危ないよ?」
「お嬢様がそれをおっしゃいますか?」
笑顔で返されてしまった。
「お嬢様だけを危険な旅へ送り出すなどできません。ヴァル様がおられるとはいえ、旅の間のお世話も必要でしょう」
「エナ……ありがとう!」
これで3人。
けれどヴァルは少し考えてから、もう1人の名前を出した。
「ルークも連れていけ」
「ルークも?」
「人間の領域を通る以上、俺では分からん決まりもある。あの男なら多少は使える。それに、今回の旅は以前の草原とは違う。数日で戻るようなものにはならんぞ」
長旅になる。
それでも迷う理由はなかった。
「じゃあルークにもお願いしよう。4人で全部集める!」
メルはもう一度、レシピへ目を落とした。
最初は、最後に美味しいものを食べてもらうためにここへ来た。
でも、もう違う。
(最後のお菓子にはしない)
街へ行く約束もした。
一緒にお菓子を作る約束もした。
(リリアちゃんが次のお菓子を食べられるように、絶対に作るんだ)
こうしてメルたちは、人間にはほとんど入手不可能だという3つの材料を求めて、初めての長い旅へ出ることになった。




