第11話 お菓子が変えた通り
シュークリームを売り始めてから、数週間が経った。
「ちゃんとお客さんいるね」
エナとヴァルを連れて久しぶりにパン屋のある通りへやって来たメルは、行き交う人々を眺めて頬を緩めた。
初日のように冒険者ギルドが一時閉鎖するほどの大行列はない。それでも道を歩く人は明らかに増えていて、パン屋にも次々と客が入っていく。
「今日こそシュークリーム買えるかな。昨日は売り切れてたんだよ」
「まだ午前中だから大丈夫でしょ。私、4つ買って帰る」
そんな会話も聞こえてきた。
(よかった。一度だけじゃなかったんだ)
あの日だけ人が集まって、すぐ元通りになってしまう可能性も考えていた。
けれど、シュークリームはすっかり定着しているらしい。
「お嬢様、あちらをご覧くださいませ」
「ん?」
エナが指した先には、小さな花屋があった。
色とりどりの花が店先に並び、女性客が店主と楽しそうに話している。
「あれ? あのお店、前は閉まってなかった?」
「はい。以前は看板も下ろされ、扉を閉ざしたままでございました。それが営業を再開されたようですね」
変わったのはそこだけではない。
別の空き店舗では職人たちが壁や屋根を修繕していて、その隣では店主らしき男性が古い看板を磨いている。以前から営業を続けていた飲み物屋も、店先にいくつか席を増やしていた。
「シュークリームを買いに来た方々が、他のお店にも立ち寄るようになったそうでございます。人が増えたことで、もう一度ここで商売を始めようと考える方も出てきたのでしょう」
「そっか……」
お菓子を1つ作っただけだ。
それなのに、そのお菓子を食べようと人が来て、人が来たから別の店にも客が入り、閉まっていた店まで戻ってきた。
「私、この通りには昔からよく来ていたんです」
エナが懐かしそうに周囲を眺める。
「子供の頃には母と買い物へ来ておりましたし、あちらのパン屋にも、その頃から何度も通っていました。火事のあと、少しずつ寂しくなっていくのを見るのは残念でしたので……またこうして賑わっているところを見られて、とても嬉しいです」
「じゃあ、シュークリーム作ってよかったね」
「はい。お嬢様のおかげでございます」
エナが微笑む。
その顔を見て、メルも嬉しくなった。
最初はエナの好きなパン屋がなくなったら嫌だと思っただけだったのに、気づけばずいぶん多くの人が喜んでくれている。
「メル。いつまで眺めている。菓子を持ってきたのだろう」
「ヴァル、お菓子のことになると急かすよね」
「当然だ。俺の分もあるのだろうな?」
「ちゃんとあるよ。ヴァルの忘れたら絶対怒るもん」
今日持ってきた籠の中には、《木の実と蜂蜜のクッキー》がたっぷり入っている。
ただし、全部が売り物ではない。
パン屋へ入ると、メルは店主に販売用の籠を渡してから、別にしていた包みを取り出した。
「こっちはヴァルの分ね」
「うむ」
ヴァルは当然のように受け取ると、店の隅で食べ始めた。
「お嬢様も、すっかりヴァル様の扱いに慣れましたね」
「お菓子渡しておけば大体ご機嫌だから」
「聞こえているぞ」
「でも合ってるでしょ?」
「否定はせん」
エナがくすくすと笑う。
店主はそんなやり取りを聞きながら、クッキーを店頭へ並べてくれた。
「今日はこれを売ってみるか。メルちゃんが作った菓子だって分かるようにしておくよ」
「売れるかな?」
「シュークリームを作った子の新しい菓子って言えば、気になる客は多いと思うぞ」
実際、その予想はすぐに当たった。
「これ、シュークリームを考えた子が作ったの?」
「そうだよ。本日分だけだから、気になるならどうぞ」
「じゃあ買ってみようかな」
最初の客が買うと、それを見ていた別の客も手を伸ばす。
シュークリームほど大量に用意していなかったこともあり、昼を待たずにクッキーはすべて売れてしまった。
「はい。これがメルちゃんの取り分だ」
店主から小さな硬貨の入った袋を渡され、メルは両手で受け取った。
「……私のお金?」
「ああ。メルちゃんが作った菓子を売った金だからな」
子爵家で暮らしている以上、お金そのものに困ったことはない。
前世でも会社から給料をもらっていた。
でも、自分が好きで作ったお菓子に、知らない誰かがお金を払ってくれたのは初めてだった。
(なんか、すごく嬉しい……)
「これでまた新しい材料買えるね!」
「ならば、次はもっと美味いものを作れ」
「ヴァルが食べたいだけでしょ?」
「それの何が悪い」
そんな話をしていると、店の扉が開いた。
「よう。今日はシュークリーム残ってるか?」
入ってきたのはルークだった。
すっかり常連になっているらしく、店主も慣れた様子で「まだあるよ」と返している。
「ルーク、今日も来たの?」
「美味いもの売ってるんだから来るだろ。冒険者は稼ぐばっかりじゃなく、稼いだ金を使うのも大事なんだよ」
そう言いながら財布を取り出したルークを見て、メルは思い出した。
「あ、そうだ。ルークにもあるよ」
籠の底から、もう1つ小さな包みを取り出す。
「俺に?」
「うん。売る分とは別に作っておいたの。この前、乳蜜を取りに連れていってくれたから」
「それならシュークリームを報酬でもらっただろ?」
「あれはお仕事の分でしょ。これは私からのお礼」
ルークは少しだけ意外そうな顔をしたあと、包みを受け取った。
「……そっか。じゃあ、ありがたくもらっとく」
早速1枚取り出して口へ放り込み、さくさくと噛む。
「こっちも美味いな。お前、シュークリームだけじゃなかったのか」
「他にもいっぱい作れるよ」
「そりゃギルドで噂になるわけだ」
「噂?」
聞き返すと、ルークは残りのクッキーを大事そうに包み直した。
「最近、お前のこと結構知られてるぞ。変わった魔物の素材を使って美味い菓子を作る、アルフォード子爵家の小さなお嬢様がいるってな。シュークリームの件で冒険者連中には完全に覚えられた」
「なんか恥ずかしい……」
「いい噂なんだから気にするな。それに、珍しい素材が必要になったらまた呼べよ。報酬と菓子が出るなら歓迎するからさ」
「うん。その時はお願いするね!」
仕事の報酬はきっちり受け取る。
でも頼めば力を貸してくれる。
そんな冒険者の知り合いができたことも、メルには嬉しかった。
◇
屋敷へ戻ると、玄関前に見慣れない馬車が停まっていた。
扉には、アルフォード家とは違う立派な紋章が刻まれている。
「お嬢様。リゼル伯爵家の紋章でございます」
「伯爵様?」
どうして伯爵家の馬車が自分の家に来ているのだろう。
不思議に思いながら中へ入ると、すぐに父のオスカーから呼ばれた。
応接室にはオスカーと、その向かいに見知らぬ男性が座っていた。
きっちりとした服装からして、伯爵家に仕える人物なのだろう。
「メル。こちらはリゼル伯爵家から来られた使者の方だ。お前にお願いがあるそうだ」
「私に?」
使者の男性が立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
「メル・アルフォード様。突然の訪問をお許しください。リゼル伯爵様より、ぜひメル様にお菓子を1つ作っていただきたいとのお願いを預かって参りました」
「お菓子?」
フィーネでシュークリームが少し話題になっているとは聞いたばかりだ。
その噂を伯爵も聞いたのだろうか。
「伯爵様もシュークリーム食べたいの?」
尋ねると、使者はすぐには答えなかった。
その表情が暗いことに気づき、メルも自然と笑みを引っ込める。
「……伯爵様には、幼いお嬢様がおられます。メル様とそう歳の変わらない方でございます」
「その子に作るの?」
「はい。お嬢様は長く病を患っておられます。医師も治療師も手を尽くしましたが……残された時間は、もう長くないと告げられております」
意味を理解するまでに、少しだけ時間がかかった。
(私と同じくらいの子が……死んじゃうんだ)
さっきまで賑やかな通りで、たくさんの人が笑っていた。
そのすぐ近くに、自分と同じくらいの年齢なのに、もう長く生きられない子がいる。
「最近では食欲も落ち、食事もほとんど口にされません。それでも以前は甘いものがお好きでした。そんな折、フィーネで珍しいお菓子を作り、人々を笑顔にしている幼い令嬢がいるという話が伯爵様のお耳に入りまして……」
使者はそこで一度言葉を切った。
「治療をお願いしているのではございません。伯爵様も、奇跡を求めておられるわけではありません。ただ、お嬢様がまだ食べられるうちに、一度だけでも心から美味しいと思えるものを食べさせてあげたいと。それが伯爵様の願いでございます」
メルは膝の上で両手を握った。
どんな病気なのかも知らない。
その子の名前も、顔も、好きなものも知らない。
「……その子、お菓子は好きなの?」
「はい。元気な頃は、とてもお好きだったと伺っております」
それなら、答えは決まっていた。
「じゃあ、作る」
メルが顔を上げる。
「その子に会って、好きなものを聞いてから作りたい。最後のお菓子になるなら、絶対に美味しいの作ってあげたいから」
何を作ればいいかは、まだ分からない。
だから《しあわせレシピ》を開くのも今ではない。
まずは会って、話してみたい。
まだ名前も、好きな味も知らない女の子。
その子が最後に笑えるようなお菓子を作るため、メルはリゼル伯爵領へ向かうことになった。




