第10話 行列のできるシュークリーム
「それじゃあ作ろう! パン屋さんにいっぱいお客さんを呼ぶ、ミルクホーンラビットのシュークリーム!」
メルは調理台の上で《しあわせレシピ》を開いた。
**《ミルクホーンラビットの濃厚シュークリーム》**
**材料(8個分)**
* 小麦粉……80g
* バター……40g
* 卵……3個
* 牛乳……200ml
* ミルクホーンラビットの乳蜜……100ml
* バニラビーンズ……少量
「それで、俺は何すればいいんだ?」
袖をまくったルークが調理台を覗き込んでくる。
「ルークは混ぜる係ね。エナはいつもみたいに手伝ってほしいな」
「承知いたしました、お嬢様」
「俺、剣振る以外はそんな器用じゃないぞ?」
「混ぜるだけだから大丈夫だよ」
「その『だけ』って言い方、なんか不安になるな……」
そんなことを言いつつ、ルークは素直にボウルを受け取った。
一方のヴァルは早々にいつものクッションへ向かい、当然のように身体を丸めている。
「ヴァルも手伝ってよ」
「俺は味を見る役だ」
「今日、乳蜜を取る時も何もしてないよ?」
「お前たちを草原まで運んだだろう。それに、俺が近づけばあの兎どもが逃げるのだから仕方あるまい」
もっともらしく言われると反論しづらい。
メルは諦めて調理を始めた。
前世でもシュークリームを作った経験はある。けれど、ミルクホーンラビットの乳蜜を使うのは当然初めてだった。
焼き上がったシュー皮は悪くない。問題は、中へ詰めるクリームだった。
「……ちょっと柔らかいね」
「味はとても美味しいですが、このままですと食べる時にこぼれてしまいそうでございますね」
エナの感想に頷きながら、メルもスプーンの先についたクリームを舐める。
(乳蜜って思ったより水分が多いんだ。味はすっごくいいから、牛乳の量を少し減らして……)
《しあわせレシピ》が教えてくれるのは、あくまで作り方だ。
実際に材料を触って、その日の状態に合わせて仕上げるのは自分である。
分量を調整してもう一度作ると、今度はちょうどいい固さになった。
香ばしく焼けたシュー皮を切り、淡い乳白色のクリームをたっぷり詰めれば完成だ。
「できた!」
メルは早速1つ手に取ってかじった。
軽い皮がさくりと潰れ、その直後に濃厚なクリームが口いっぱいに広がる。牛乳と卵の優しい味に乳蜜のまろやかな甘さが重なっているのに、後味は驚くほど軽い。
(うん。これならクリームがいっぱい入ってても、もう1個食べたくなる!)
「エナも食べてみて」
「では、いただきます」
エナはこぼさないよう慎重に口へ運び、しばらく味わってから嬉しそうに頬を緩めた。
「とても美味しいです、お嬢様。これだけたっぷりクリームが入っていますのに重たくありませんし、皮の香ばしさともよく合っています。私はプリンも好きでしたが、こちらも甲乙つけがたいですね」
「よかった! ルークもどうぞ」
「待ってました」
ルークは遠慮なく大きくかじり、目を見開いた。
「……これ、本当に俺が乳蜜を取るの手伝っただけで食っていいのか? 報酬としてかなり当たりだぞ」
「ちゃんとお仕事してくれたからいいんだよ。ヴァルも食べる?」
「当然だ」
クッションから起き上がったヴァルの前にも置いてやる。
一口でほとんど食べ終えたヴァルは、少しだけ間を置いてからメルを見た。
「もう1つよこせ」
「やった、合格!」
「ヴァル様の判定方法は、今後もそれで固定なのでございますね」
エナが笑う。
どうやら味の方は、これで問題なさそうだった。
◇
翌朝。
完成したシュークリームを持ってパン屋へ向かうと、店主は一口食べただけで目を丸くした。
「……こいつは驚いた。シュークリームってのは、こんな菓子なのか」
「美味しい?」
「ああ。売れると思う。それもかなり」
店主はもう一口食べると、今度は菓子そのものを確かめるように皮とクリームを見比べた。
「ただ、これを毎日メルちゃんに作ってもらうわけにはいかないだろ?」
「うん。だから作り方を教えるね。このお店で作って、ここに来たら食べられるお菓子にしてほしいの」
その方がメルも嬉しい。
自分が毎日作らなくても、このパン屋が続く限りシュークリームも残っていく。
「いいのか? こんな珍しい菓子の作り方を教えてもらって」
「もちろん。そのために作ったんだもん」
店主は少し黙ったあと、深く頷いた。
「分かった。なら、しっかり覚えさせてもらうよ」
そこからはパン屋の厨房を借り、店主と一緒に作ることになった。
さすがに毎日パンを焼いているだけあって、生地を扱う手つきはメルよりずっと慣れている。ただ、シュー生地はパンとは勝手が違うらしく、最初こそ戸惑っていたものの、何度か焼く頃にはすっかりコツを掴んでいた。
乳蜜についても、冒険者ギルドを通して定期的に仕入れることにする。
これならメルがいなくても作り続けられる。
「よし。これだけあれば、まずは売ってみられるな」
店主が完成したシュークリームを店頭へ並べていく。
メルはその様子を眺めながら、少しだけ緊張していた。
(美味しくできたとは思うけど……ちゃんと買ってもらえるかな)
昨日見た通り、この通りそのものに人が少ない。
最初は数人でも買ってくれて、その人たちが気に入ってくれたら十分だ。
そんなことを考えながら、店主が開店のために扉を開いた。
「……え?」
メルの口から間の抜けた声が漏れた。
人がいる。
数人どころではない。
店の前から通りの向こうまで、ずらりと人が並んでいた。
「おはようございます、メル様!」
しかも列の先頭にいたのは、昨日会った冒険者ギルドの受付嬢だった。
その後ろには剣や杖を持った冒険者たちが並び、さらに見覚えのないギルド職員らしき人たちまでいる。
「なんでこんなにいるの!?」
「宣伝しといたぞ」
列の横から聞き覚えのある声がした。
ルークが満足そうな顔で手を上げている。
「昨日ギルドに戻った時、乳蜜が何になったのか聞かれてな。食ったことないくらい美味い菓子だったって話したら、思ったより広まった」
「広まりすぎだよ!」
そもそも受付嬢までいる。
メルは気になって尋ねた。
「お姉さん、受付のお仕事は?」
「……本日の午前中だけ、通常業務をお休みにいたしました」
「ギルド閉めちゃったの!?」
そこまでして食べに来るとは思わなかった。
店主も呆然としていたが、すぐに我に返って店へ客を招き入れた。
そこからは大忙しだった。
見たことのない菓子を興味津々で買っていった冒険者たちは、店を出るなりその場でシュークリームを頬張っている。
「うまっ! なんだこのクリーム!」
「乳蜜ってこんな味になるのか。もう1個買ってくる」
「待て、俺も追加する。なくなる前に買っとこうぜ」
受付嬢も店先で一口食べると、幸せそうに頬を緩めていた。
メルはその光景を店の中から眺める。
(よかった。みんな笑ってる)
それだけで、昨日草原まで乳蜜を取りに行った甲斐があったと思えた。
そして、変化はそれだけではなかった。
「あれ、何の行列?」
「新しいお菓子を売ってるらしいよ。ほら、みんな美味しそうに食べてる」
「じゃあ私たちも並んでみようか」
通りを歩いていた人たちが足を止め始めた。
冒険者たちがあまりにも満足そうに食べているものだから、それを見た親子や若い女性、近所の住民まで列へ加わっていく。
ルークが連れてきた人たちをきっかけに、今度はシュークリームそのものが人を呼び始めていた。
「店主さん、シュークリーム3つください。それと、このパンも」
「俺もパン買ってくか。昼飯まだだったしな」
シュークリームだけではない。
せっかく来たのだからと、パンを手に取る客がどんどん増えていく。
やがて昼になるより前に、店主が棚の前で動きを止めた。
「……なくなった」
「シュークリーム?」
「いや」
店主は空っぽになった棚を見つめていた。
「パンもだ。全部、売り切れた」
その声は少し震えていた。
昨日は昼を過ぎても、たくさんのパンが棚に残っていた。それが今日は、追加で焼いた分までなくなっている。
メルは何も言わず、店主と一緒に空っぽの棚を見た。
美味しいパンだった。
それを食べてくれる人が、もう一度ここへ戻ってきただけなのだ。
「お嬢様。外もご覧くださいませ」
エナに言われて、メルは店先へ出た。
昨日とはまるで違う。
通りにはたくさんの人がいて、シュークリームを食べながら話している。
「せっかく来たし、向こうのお店も見てみようよ」
「甘いもの食べたら飲み物欲しくなったな」
「あそこ、雑貨屋だったのか。ちょっと寄っていこうぜ」
人が周囲の店へ流れていく。
開いている店の主人たちは突然増えた客に驚きながらも、どこか嬉しそうだった。
「……お嬢様。昨日とは、まるで違いますね」
「うん」
まだ、これだけで通りが元通りになったわけではない。
閉じたままの店もたくさんあるし、今日来た人たちが明日も来てくれるとは限らない。
それでも。
(これが続いたら、またお店が増えるかもしれない)
寂しかった通りに、笑い声が響いている。
その人たちの手には、自分が考えたシュークリームがあった。
◇
すべての商品が売り切れ、少し早く店を閉めることになった。
「本当にありがとう、メルちゃん。こんなに忙しかったのは久しぶりだ」
店主が頭を下げる。
「明日からも作るよ。今日教えてもらったやり方なら、俺たちだけでも作れる。乳蜜もギルドに頼んでおかないとな」
「うん。いっぱい作ってね」
これからこの店に来れば、いつでもシュークリームを食べられる。
そう考えていると、メルは今日の光景を思い出した。
「私ね、今まで他にもお菓子作ったんだ。クッキーとか、プリンとか」
「へえ。シュークリーム以外にもあるのか」
「うん。今日みたいに、食べた人が笑ってくれるなら……他のお菓子も、もっといろんな人に食べてもらったら、もっと笑顔にできるのかな」
今までは家族やエナ、ヴァルたちに食べてもらうことが多かった。
それももちろん嬉しい。
でも今日は、自分の知らない人たちまで笑ってくれた。
店主は少しだけ驚いたあと、優しく笑った。
「だったら、作りたくなった時にここへ持ってくればいい」
「いいの?」
「ああ。うちは今日からシュークリームも売るパン屋になったんだ。今さら菓子が1つや2つ増えたって変わらないさ。売れた分の金は、ちゃんとメルちゃんの取り分にする。そこは商売だからな」
「じゃあ、美味しいのができたら持ってくるね!」
「ああ。いつでも持ってきな」
メルは嬉しくなって、大きく頷いた。
(そっか。ここに持ってくれば、私の知らない人にも食べてもらえるんだ)
前世では、自分や身近な人のために作ることがほとんどだったお菓子。
それがこの世界では、少しずつ知らない誰かにまで届き始めていた。




