小箱
【再編集】9/7 加筆修正しました。
灰冠街を出立した日の夜。レインとミーナは、街道から少し離れた林の中で野営することにした。周囲の木々でちょうど身を隠せる場所であった。他の旅人の野営の跡も残っており、休息には打ってつけの場所だ。
通りすがりの旅人に聞くと、次の宿場町まであと一時間ほどの距離らしい。だが、レインの歩調が目に見えて悪くなっていた為、ミーナがここで休むと言い張ったのだった。
「俺はまだ歩ける」
レインは、平然とした声で言った。ミーナが咎めるように言う。
「歩ける人は、そんなに脇腹を押さえないよ」
「……これは癖だ」
「変な癖」
「最近の若者には分からない、大人の癖だ」
「マルタ婆ちゃんには、いつも子ども扱いされてるくせに」
「婆さんから見れば、大体の人間が子供なんだよ」
レインは、慣れた手つきで乾いた枝を組み、火打石で火を起こした。ミーナは近くで拾った小枝を大きさごとに並べている。
夕食は、干し肉を入れた簡単なスープと黒くて丸いパンだった。鍋から立ち上る湯気を見ながら、ミーナが嬉しそうに鼻をひくつかせた。
「おいしそう」
「味は薄いぞ」
「レインが作ったなら、おいしいよ」
「そう期待されると困るな」
「じゃあ、わたしが作ろっか?」
「……なにもせずに、座って待ってろ。 旅の初日に腹を壊したくない」
「ひどい!」
ミーナが頬を膨らませた。その表情を見て、思わず笑う。今朝、スラムを出たときには想像もしていなかった光景だった。一人で適当に干し肉をかじり、木にもたれて眠るつもりだった。焚火すら起こさなかったかもしれない。
火は遠くからでも目立つ。先ごろの山賊のような襲撃者や肉食の魔物へ、居場所を知らせる危険性がある。けれど、今はミーナがいた。寒い思いをさせるわけにはいかない。温かいものも食べさせたかった。
結局、自分は一人でいるときよりも、誰かがいるときのほうが、真面目に生きようとするらしい。
「ねえ、レイン。これから、どうするの?」
ミーナが黒いパンをスープに浸しながら、尋ねる。
「次の町で仕事を探す。金が貯まったら、もう少し遠くへ行く」
「……王都には、戻らないの?」
レインの手が止まった。焚火の中の薪が弾け、火の粉が夜闇へ舞い上がる。
「戻れない。追放令が取り消されない限りは」
「取り消されるかもしれないよ」
「あの管理官が、自分から間違いを認めると思うか?」
「思えない……」
「だろ?」
レインは笑った。状況を割り切った者の笑顔だった。
追放令が解消されたなら、言うまでもなく戻りたいというのが本音だった。だが、それはいつになるか分からない。少なくとも、あの管理官が灰冠街に居座ってる限りは、戻ることはできない。なら、前に進むしかないのだ。
ミーナはスープの表面に視線を移した。
「バルドたち、怒ってるだろうな」
「そりゃもう、死ぬほど怒ってるだろうな」
「追いかけてくるかな」
「来るかもしれないな」
「それなら、待ってたほうがよかったんじゃない?」
「待ってたら、俺が殴られるし」
「それは自業自得だと思う」
「冷たい妹だな、ミーナは」
「何も言わずに出ていく兄貴よりは、優しいもん」
「……それは否定できない」
食事を終えたあと、レインは鞄から傷薬を取り出した。包帯を替えようと黒い外套を脱ぎ、下に着た薄布をたくし上げた。脇腹には、黒紫色の痣が広がっていた。
ところどころ皮膚が裂け、乾きかけた血がこびりついている。ミーナが息を呑んだ。
「それで大したことないって、よく言えたよね」
「骨は折れてない」
「そういう問題じゃない!」
「声が大きい」
「レインが怒らせるからでしょ!」
ミーナが傷薬を奪い取った。
「わたしがやる」
「できるのか?」
「怪我の手当くらいできる」
「へぇ、いつの間に。誰に教わった?」
「マルタ婆ちゃん。それから……お姉ちゃんにも」
最後の言葉だけが小さくなった。レインは何も言わず、身体の向きを変える。
ミーナの指が、慎重に薬を塗っていく。少し手つきは、ぎこちなかった。それでも、傷へ触れる指先は優しい。彼女は尋ねた。
「痛い?」
「平気だけど」
「うそ」
「……実は、少し痛い」
「最初からそう言えばいいのに」
「格好がつかないだろ」
「もう充分、格好悪いよ」
「言うようになったな」
新しい包帯を巻いていく。ミーナは何度も緩みがないか確認し、最後に結び目を作った。
「ほら、わたしも役に立つでしょ」
「そうだな」
素直に認めると、ミーナが驚いた顔をした。
「何だよ、その顔は」
「レインが珍しく素直だから……もしかして、熱ある?」
「失礼だな。熱もない」
「じゃあ、怪我が悪化してるのかも」
「そこまで言う?」
レインは、下の薄布と黒い外套を着直し、鞄へ手を伸ばした。傷薬を仕舞おうとしたとき、指先に硬い物へ触れる。マルタから渡された小箱だった。
「それ、何?」
ミーナが身を乗り出す。
「昔、ガルドが遺跡から拾ってきたらしい」
「ガルドさんが?」
「マルタ婆さんへの贈り物だったんだとさ」
レインは布を解き、小箱を取り出した。焚火の明かりで、金属に見える表面に刻まれた文様が鈍く輝いている。星を繋いだような線。円をいくつも重ねたような模様。文字にも見えるが、レインには読めなかった。
「きれい……」
ミーナが目を輝かせている。
「開かないらしい」
「貸して」
「壊すなよ」
「壊すわけないでしょ!」
ミーナは小箱を両手で受け取った。軽く振る。耳に当てる。上下を逆さまにする。指先で表面の文様をなぞる。
「本当に、どこにも蓋がないね。鍵穴もないし」
「そもそも、箱なのかどうかも怪しいんだよな」
「でも、中に何か入っている気がする。勘だけど」
「お前の勘は、食べ物がある場所にしか働かないだろ」
「失礼な!」
ミーナが小箱をレインへ返す。その時だった。
かちり。小さな音がした。二人の動きが止まる。
「……今、何かしたか?」
レインが尋ねる。
「何もしてない」
「どこか押したとか」
「触っただけ」
レインは小箱を持ち上げ、表面を確かめた。見たところ、何も変わっていない。
そう思った直後、文様の一部が青白く輝き始めた。
「レ、レイン!」
「ああ。見えてる」
青白い光は、細い線となり箱の表面を走り始めた。複雑に絡み合っていた文様が一つ、二つ、三つへと、夜空の星座のように繋がっていく。焚火の橙色とは異なる、冷たさを象徴するかのような光。周囲の木々まで、青白く照らされていく。
ミーナがレインの肩にしがみついた。
「これ、危なくない!?」
「さあな」
「遠くに投げようか?」
「何が起きるか分からないものを投げるな」
「じゃあ、そっと地面に置く?」
「それも危ない」
「手に持ってるのは、危なくないの?」
「たぶん危ないだろうな」
「なんでそんなに落ち着いてるの!?」
「騒いでも、変わらないから」
本当は、落ち着いてなどいなかった。小箱から、微かな振動が伝わってくる。まるで心臓の鼓動と重なるような、規則正しい脈動。これは、ただの古い遺物ではない。
盗賊として数えきれないほどの盗品や魔道具を見てきたレインにも、それだけは分かった。
やがて、光は一か所に集まり、小箱の上に薄い像を作り出した。木々の中に、幾つもの崩れた石柱。岩壁に開いた半円形の門。青白い光で描かれた地図が、宙に浮かんでいる。
映し出された一つの場所が星のように明滅している。レインは記憶を辿った。以前、ガルドが酒を飲みながら話していた場所だろうか。マルタもこの箱を渡すときに言っていた。ガルドは遺跡で小箱を拾ったと。
「王都から北東にある遺跡……」
「知ってるの?」
「昔、ガルドから聞いたことがある。王都から数日歩いた森の中に遺跡があるって」
「そこへ来いってことかな」
「箱が人を呼ぶとは思いたくないけどな」
光の地図が揺らぐ。最後に星のような印を強く輝かせた。そして、小箱の中に吸い込まれるように、すべての光が消え去った。
再び辺りを照らすものは、焚火と夜空の星灯りだけになった。
二人はしばらく、黙って小箱を見つめていた。ミーナが尋ねる。
「どうする?行ってみる?」
「怪しい遺跡に、怪しい箱を持って?」
「うん」
「普通は近づかないよな」
「わたしたち、盗賊だよ」
「知らないのか。盗賊は危険を避けるのが仕事なんだぞ」
「レイン、危険な場所にばっかり入ってるけど」
「それは金になるときだけだ」
「……この箱、高く売れそうだよね」
レインは小箱を見下ろした。ガルドが遺したもの。マルタが旅立つ自分に託したもの。
そして今、まるで来いと言わんばかりに一つの遺跡を示した。偶然で片付けるには少し出来すぎている。
「面倒な置き土産だな」
レインは苦笑した。
「死んでからまで、人を働かせるなよ、ガルド」
「いくんだ?」
「ああ」
レインは小箱を布で包み直し、鞄の底へしまった。
「ただし、何があるか分からない。俺から離れるなよ」
「うん!」
「急に走り出すな」
「うん!」
「勝手に怪しい物に触るな」
「うん!」
「今の返事、絶対に分かってないだろ」
「分かってるってば!」
ミーナはいつものように元気よく答えた。レインはため息をつきながら、焚き火へ薪を足す。
一人で始めるはずだった、行き先のない旅。けれど、隣には今、置いてきたはずの妹分がいる。そして、目的地もできた。
ガルドが小箱を拾った、王都北東の古代遺跡。そこに何があるのかは分からない。宝か、罠か、それとも、ただの古びた石の残骸か。
けれど、少なくとも旅の目的がとりあえずではあるが決まった。光の地図が示した遺跡に向かい、小箱の謎を解き明かす。そのためには、準備が必要だった。まずは近くの町を目指し、そこで整える。
レインは木の幹へ背を預け、夜空を見上げた。枝葉の隙間から、無数の星が見える。そのうちの一つが、二人を導くように青白く瞬いた。
同じ頃、王都北東の森に眠る遺跡では、長い間沈黙していた古代の仕掛けが、静かに目を覚まし始めていた。




