残された者たち
レインが灰冠街を出立した日の夕刻、広場に怒鳴り声が響き渡った。道行くスラムの住民は何があったのかと視線を送るが、彼の者に近づくことはなかった。
「どういうことだ、くそ野郎!」
バルドが、復興管理局の扉を蹴りつけていた。彼はがっしりとした頼もしい身体つきをしており、その見た目通り、無法に力を振るうことが得意であった。
足で加えた衝撃で金属特有の重低音が響く。扉は今は堅く閉ざされており、進入することはできない。大きな異音を聞きつけた巡回の衛兵たちが慌てて駆けつけて来ていた。
「やめてよ、バルド!」
小柄なニコが、背後からバルドの腰にしがみついた。
「王国の建物を壊したら、今度は僕たちまで追放されちゃうよ!」
「上等だ! あの馬鹿を連れ戻してから、全員で出てってやる!」
「それ、何の解決にもなってないよ——!」
バルドとニコの二人はレインから与えられた仕事を終え、帰ってきたところであった。完了の報告をしようと彼を探すが、その姿は無い。
診療所にいたマルタに尋ねたところ、レインは復興管理局に追放され、朝を迎える前に出て行ったという。聞いた瞬間、バルドは何かに取り憑かれたかのように一目散に駆け出し、今に至る。
怒りで暴君と化したバルドを抑えなければならない。しかし、ニコには分かっていた。こうなった彼は自分には手が付けられない。小さなニコは心の中で祈った。シオン、早く帰ってきて——。
バルドは、近づいてきた衛兵に激しく言い立てる。
「ベルナードを出せ!」
「管理官殿は、お前のような無法者には会わん!」
「なら、引きずり出す!」
騒動で駆けつけた衛兵は三人。全員が武器を所持していた。槍を持つ者一人、片手剣と盾を持つ者二人。王国製の物でどれも丁寧に手入れされている。
相手が無法者であったとしても、丸腰の住民に対し、先に斬り付けるわけにはいかなかった。片手剣の衛兵が、盾を構え臨戦態勢をとる。そのとき、落ち着いた声が響いた。
「待て、バルド」
シオンがこちらに向かって歩いて来ていた。黒い服には泥が付き、靴も濡れた跡があった。西側の旧水路を調査を終え、戻ってきたところなのだろう。だが、暴君はその制止を聞くつもりは無かった。
「邪魔すんなシオン」
「ここで暴れれば、レインが出て言った意味がなくなる」
「……意味、だと?」
バルドは衛兵から視線を外し、後ろを振り向きシオンを見た。
「あいつは俺たちを騙して、勝手に追放されやがったんだぞ!」
「それは分かってる」
「分かってて止めるっていうのか!」
「だからこそ、止めてるんだ」
シオンは復興管理局の建物を見上げた。
「レインは、俺たちがこうなることまで分かっていた。だから外へ逃がしたんだ」
ニコが息を呑んだ。
「やっぱり、あの仕事……」
「北の集落で薬が不足しているのは、事実だった」
シオンは淡々と答える。
「だが、急ぎの仕事ではなかった。俺が調べさせられた旧水路にも、管理局が使った痕跡は見られなかった」
「最初から、俺たちを遠ざけるためだったっていうのか」
「ああ」
バルドの拳が震えた。怒りの向かう先を失ったように、歯を食いしばる。
「ふざけやがって……!」
「レインは、みんなを巻き込みたくなかったんだと思う。自分が出ていけば、配給も元に戻るから……」
ニコが小さな声で言った。
「だから、何だっていうんだよ! 俺たちは、足手まといって言いたいのか」
バルドは低く唸った。ニコは弱々しい声だが、いつもよりは芯のある声で言った。
「そうじゃないよ」
バルドの拳が近くの壁に叩きつけられる。近くを囲んでいた衛兵は、いつの間にか少し遠巻きでバルド達を見ていた。
「なら、なんで俺たちに相談しねえ!仲間だろうが、俺たちは」
シオンは落ち着いた声で諭すように言った。
「信用されてなかったわけじゃない。巻き込みたくなかった、それだけだ」
「同じことだろうが! 仲間に、選ばせもしなかったんだぞ!」
バルドの声が、また広場に響いた。
シオンは何も答えなかった。否定することはできない。怒りに駆られてはいるが、バルドの言うことは、正しい。しかし、レインのしたことも、身勝手ではあるが彼なりの優しさであった。——残された者の気持ちを無視したことを除けば、だが。
「追う。今すぐにだ」
バルドが低く言い、街道のある方向へ勢いを乗せて歩き始めた。小走りで追いかけながらニコは尋ねる。
「どこに行ったか分かるの?」
「街道だろ。片っ端から探す」
後ろを離れず追行してきたシオンが忠告する。
「今からだと、日が暮れて危険だ」
「だから何だってんだ!」
「それに、レインだけじゃなく、ミーナもいない」
バルドの動きが止まり、シオンの方を振り返る。
「……何?」
バルドは呆気にとられた表情を浮かべていた。
「朝から姿を見た者がいない。家から鍋とか食料もなくなっている」
同じく呆気にとられたニコは目を丸くした。
「まさか、追いかけたの?いつから?」
「おそらく、レインが出た直後だろう」
バルドは苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべ、片方の手で額を押さえた。
「何やってんだ、あの馬鹿兄妹……」
「ミーナが一緒なら、レインは一人ではない」
「だから、放っておけっていうのか?」
シオンが真っ直ぐバルドの目を見る。バルドは視線を外すことができなかった。その声はいつも静かだが、蔑ろにすることは到底できない響きがある。
「今から闇雲に追っても見つからない。レインは追跡を避ける方法を知っている。追われていると気づけば脇道に入るだろう。連れ戻すには時間が掛かってしまう」
「……じゃあ、どうすんだよ」
「準備をする。スラムを守るための準備だ」
「準備だぁ?」
バルドが睨みつけた。シオンは続けて言う。
「レインは自分が出ていけばすべて解決すると思っている。だが、これからもベルナードが圧政をしないという保証はない」
「……だから?」
「俺たちがここを捨てて追えば、レインが守ろうとしたことは無駄になる。だから、俺たちはここに残り、この街の状況を何とかするべきだ」
バルドの顔が苦悶で歪む。シオンの言うことは正しい。だからこそ、腹が立った。この怒りは、目の前の冷静な彼に対してではない。相談もなく自身を犠牲にしたレインとスラムを取り巻く現状に対して、であった。
シオンは、少し遠くになった復興管理局の建物を見据えた。今、周囲に道行く人は少ない。スラムの住民は家事やひと仕事を終え、住処に戻る時間だ。衛兵も交代の時間なのだろう、姿も気配も今は確認できなかった。
幅の狭い土の道と見栄えしない建物に夕日の橙色が重なっている。薄い壁から住民の微かな声や野菜を刻む音が聞こえる。レインが追放されたというのに、いつものスラムのように静かな夕方であった。そして、シオンは静かに告げる。
「まずは、ベルナードが物資を横流しした証拠を探す。追放令が無効にできるだけの証拠を。すべて暴き出し、奴を管理官の座から失墜させる」
ニコが不安そうに尋ねる。
「証拠、見つかるかな」
「見つけるさ、必ず」
シオンの返事には迷いがなく、その声は自信に満ちていた。細く黒い髪が風でなびく。いつものように、呼吸は落ち着いてた。
バルドはしばらく黙っていたが、落としどころが見つかったかのように、大人しくなっていた。
「……分かった」
しかし、同意の声には、まだ怒りが残っていた。そして決意を告げる。
「でも、全部終わったら、あいつを探し出すぞ。そして、見つけたら一発殴る」
「……止めはしない」
「それから、あと二発殴る」
「それはレインが避けると思う」
ニコは小さく笑った。バルドもほんの少し口元を緩めた。だが、その目には怒りに似た意志を宿していた。
「絶対に連れ戻すぞ」
「ああ。レインが何といっても」




