影を追う
古都セントレイアを旅立つ朝。
オークリーの妻が、燻製にした肉と塩漬けの野菜を旅の食料として持たせてくれた。肉は昨日討伐した岩甲猪のものではなく、以前から貯蔵していたものらしい。
岩甲猪の腹部を掻っ捌いて大量に獲った肉は、昨日の晩飯で美味しく頂いた。
硬そうな見た目に反して肉は意外と柔らかく、脂も乗っていたので、ミーナがいたら間違いなく喜んでいただろう。
オークリーの家の前まで出ると、丸眼鏡の神父は少し寂しそうな顔をしていた。
「また、いつでも立ち寄ってくださいね」
「ああ。色々、世話になったな」
「お二人の戦いぶりに比べると、私は少しも、大したことはしていませんよ」
オークリーは最後に胸元で十字を切り、静かに言った。
「お二人の旅路に、主のご加護がありますように——」
その瞬間、オークリーの首元に下げられた銀の十字が、一瞬だけ淡く光ったように見えた。
目の錯覚かもしれない。レインは特に口には出さず、軽く手を上げて別れを告げた。
◇
セントレイアから外へ出るには、人の多い商店街を抜ける必要がある。
まだ朝だというのに通りには活気があり、店先では品出しが始まり、荷車が石畳の上を音を立てながら行き交っていた。食べ物を焼く匂いや香辛料の香りが、ときおり朝の風に混じって鼻を抜ける。
それにしても、天気が良くてよかった。
雨が嫌いというわけでもないが、どちらかといえば晴れている空の方が好きだった。今日の空はいつにも増して清々しく、吸い込む空気まで美味しく感じる。
四日間も地下水路を彷徨っていた影響もあるのかもしれない。
隣を歩くセレナの顔色もいい。新調したばかりの靴にはまだ慣れていないようだが、足取りそのものは軽かった。
セントレイアに残り、オークリーたちと共に暮らすという選択肢もあったはずだが、彼女は首を縦には振らなかった。色々な場所を見て回りたいということなのだろう。
独りで知らない街道を歩くより、彼女が傍にいるのは心強い。
支援魔術も頼りになるし、それ以前に、この数日でセレナがいること自体に少し慣れてしまっていた。単純に、ありがたかった。
その時だった。——ふいに、人混みの中を歩く一人の人物に目を奪われた。
黒い後ろ姿。黒月の者ではない。
——男だった。その姿を見た瞬間、古い記憶が脳裏から引きずり出される。
縦に長い細身の体つき。緩い巻き癖のついた黒髪。肩から羽織った、自分のものとよく似た黒い外套。
それだけなら、よくある後ろ姿だと思えたかもしれない。
だが、違った。足を前へ出す間隔。
歩いている時の腕の位置。
僅かに左右へ揺れる肩。
人を避ける時の重心の移し方から、歩幅に至るまで。
知っている。何度も見た。あいつ、そのものだった。
「……ネ、ロ?」
気づいた時には、走り出していた。
「レインさん?」
背後からセレナの声が聞こえたが、足を止めることはできなかった。
人が多い。肩と肩の隙間を縫うように進み、ときおり荷物を避けながら、黒い背中だけを追い続ける。だが、距離が縮まらない。
「ちょっと、ごめん!」
通行人の横をすり抜ける。
視界の先で、黒い外套が角を曲がった。レインも人混みを抜け、その路地へ飛び込む。
狭く、建物同士の間を縫うような道だった。
だが、この先に見えるはずだった黒い影は、もうどこにもなかった。
——見失った。
「……くそ」
それでも、確かにそこにいた。もう少し先まで歩いてみる。
乾いた木材の匂いが微かに漂っていた。耳を澄ませても、背後にある商店街の雑踏が遠く聞こえるだけで、足音らしきものは拾えない。
諦めきれなかった。左右へ分かれる路地を一つずつ確認し、そのまま周囲を巡る。
気づけば、商店区域からかなり外れていた。




