低く鳴る詠唱
しばらく歩くと、またゴブリンの群れに遭遇した。
次は二体。その次は三体だった。
最初に遭遇した時、聞こえた足音は三体分だった。
だが、実際に近くにいたのは二体だけ。あれは勘違いだったのだろうか。
——今は考えても分からない。魔物が出てきたら、倒すだけだ。
進む道は、水の流れが多い場所を優先して選んだ。
ずっと一本道だったわけではない。何度も分岐を曲がっている。
セレナによれば、最初の出発地点を基準にすれば、おおよそ南西へ進んでいるらしい。
黒月の古城から見て、王都がある方角だという。少なくとも、前には進んでいるようだ。
ただし、単純に水路から出られればいい、というわけでもない。
出口の先が魔物の巣窟という可能性もある。下手をすれば、ゴブリンの住処の中心へ出ることだってあり得る。それだけは避けたい。
人の手で造られた水路なら、大きな水の流れが集まる方を追っていけば、少なくとも何かしらの施設か、人の生活圏へ繋がる場所には出るはずだ。
これは、それなりに自信がある考えだった。
次に現れたのは、四体だった。
二体ずつ左右に分かれ、こちらを挟み込むつもりらしい。
何体出ようが、雑魚には変わりない。連携を取ろうが、片方を先に潰してしまえば意味はなくなる。
セレナの占星術には、相手を一撃で仕留めるような攻撃手段はない。だが、足止めはできる。
それなら、自分がやることは変わらない。的確に素早く仕留めるだけだ。
レインは前へ出た。気配が近づいてくる。激しい流水音の中で、足音が止まった。
姿はまだ見えない。不意を衝くつもりなのだろう。だが、風の流れの中に臭い息が混じっていた。
壁際にいる。角を抜けた瞬間、ゴブリンの腕が上がった。
レインの刃の方が早かった。振り上げられた腕の根元へ深く切り込む。
「ギュガッ!」
悲鳴に似た声をあげた。小さな身体が横転する。
レインはその頭部を上から重く踏みつけ、次の敵へ視線を向けた。
ふたまわりほど大きく、他の個体より肩幅もあり、身体つきも厚い。ホブゴブリンという上位種なのかもしれない。
先に聞こえた足音だけでは大きさまで特定できなかった。この場所では、水の反響音が判断を鈍らせる。
そいつは、他のゴブリンより立派な鉄剣を持っていた。人間、あるいは武器を作れる別の人族から奪ったものだろう。剣先が、しっかりとこちらを向いている。
上位種になると、武器の扱いも多少は上手くなるらしい。
だが、動きは——まだ、こちらの方が上だった。大きい身体が崩れ落ちる。断った肉はやや硬い。
レインは息を吐き、近くにある気配を探った。
奴らは、セレナのいる方向にいた。予想した通りの動きだった。
流水音に混じって、苦しげな鳴き声が聞こえると、レインはさらに速度を上げた。
そして、姿が見えた。光の螺旋が鎖のように二体のゴブリンへ絡みついている。腕を振り、身体を捩りながら、必死に引きちぎろうとしていた。
三歩手前、こちらへ顔が向きかけていた。
二歩手前、レインは短剣を握り直した。
一歩手前、二体を同時に捉えられる間合いに入る。
そのまま、一気に刃を振り抜いた。頭部と胴が離れ、黒ずんだ血が床へ溢れた。
レインは息を整えようとした、その瞬間。
「レインさん!!」
セレナの声に、振り返る。彼女の視線の先に、一体、まだいた。
ただのゴブリンではなく、長丈を身につけ、杖を掲げている。口元を大袈裟に震わせながら、呪文のような音を低く鳴らしていた。
杖の先に、煌々とした炎が渦を巻きながら集まっている。
——最初に感知した行方知れずの三体目だろうか。
炎が膨れ上がる。杖の先がこちらへ向いた。
まずい。この位置で避ければ、後ろにいるセレナへ当たってしまう——。
まともに火属性の魔術を受けたことはない。軽い火傷で済めばいいが。そう考えた矢先。
目の前に光が広がった。眩い光が、一枚の大きな盾を描く。次の瞬間、炎がぶつかった。
熱風が周囲へ弾け、レインの髪と外套が揺れる。
光の盾は、炎を受け止め終えると細かな粒へ変わり、空気の中へ溶けていった。
セレナが言った。
「——もう、大丈夫です」
杖を持ったゴブリンが、苛立ったように「ギッ」と声を上げた。
また低く鳴き始める。
だが、もう遅い。術を完成させるだけの時間はない。レインは床を蹴った。
距離を詰める。ゴブリンは途中で詠唱を止め、杖を横へ傾けた。
それが防御のつもりなのか、全く意味はない。
短剣が杖の脇を抜ける。
次の瞬間には、刃にまとわりつく肉を裂く感触が、柄を通して掌へ伝わった。




