灯し火
荒くれ者というものは、どこへ行っても似たようなものらしい。男は道の中央を我が物顔で歩いていた。
肩が触れれば舌打ちし、相手が睨み返せば拳を振るう。懐が膨らんでいる者を見つければ、理由をつけて金を巻き上げた。それを咎める者はいない。
この街へ流れ着くのは、表の世界に居場所をなくした者ばかりだった。
犯罪者。日陰者。そして、戦の後に名を捨てた者。
ここでは、誰かの過去を詮索すること自体が無粋だった。
荒くれ者の男は、今日この街へやってきたばかりなのだろう。
この者はまだ知らない。好き勝手に振る舞っていい場所と、そうでない場所の違いを。
通りの脇で、その様子を眺めていた長躯の男がいた。その名をラザロ・シェイド。
この街を支配する者の名を表立って掲げる看板など、どこにもない。
だが、裏側に生きる者なら知っている。誰の縄張りなのかを。
ラザロは腕を組んだ。
「さぁて。そろそろ、お灸でも据えてやるか」
そう呟いたときだった。
荒くれ者の足が止まる。その視線の先を、若い女が歩いていた。
男が口元を歪める。女の肩へ手を伸ばした、次の瞬間。
「うおっ!?」
男の身体が宙を舞った。
女は掴まれかけた腕を逆に取り、その勢いのまま男を背負い上げていた。
地面が鈍く鳴る。男は見事に背中から叩きつけられ、声も出せずに転がった。
ラザロの豪快な笑い声が通りに響いた。
「お灸を据えようと思ったが、出る幕なしか! これは参ったな!」
女は倒れた男を一瞥し、それからラザロの方へ歩いてくる。先ほどまでの荒事などなかったかのような顔だった。
「ラザロ様。見つけました」
ラザロの笑みが、わずかに薄れる。
「何をだ?」
女は声を潜めた。
「黒月の根城です」
ラザロの目が細くなった。
長い年月をかけて集め続けた噂。酒場で漏れた話。商人が口にした妙な荷運び。
旅人が見かけた黒装束の女。表向き何の関係もない女たちを各地へ送り、少しずつ欠片を拾い集めてきた。
黒月も、戦う者ばかりを警戒する。
だからこそ、どこにでもいる普通の女たちの目は、長い間見落とされてきた。
「……なるほど」
ラザロは口角を上げた。
「ようやく、か」
◇
目を覚ましたとき、最初に感じたのは暖かさだった。
ぱち、と薪の爆ぜる音がする。レインは目を開いた。視界の先には、暖炉があった。
橙色の炎が揺れ、その明かりだけが薄暗い部屋をぼんやり照らしている。
「……ここは」
身体を起こそうとして、妙な重さを感じた。寝台ではない。
上質な長椅子の上に寝かされていたらしい。背中には柔らかな布地の感触があり、身体には毛布が掛けられていた。服も髪も乾いている。水浸しになった記憶が、遅れて蘇った。
——捕まったのか。
レインは息を吐いた。視線を巡らせる。目の前には暖炉。
その脇に衣掛け台があり、見覚えのある外套が掛けられていた。丁寧に乾かされたらしい。親切のつもりか何なのかは、よく分からない。
身体を起こす。その瞬間、首元に冷たい感触があった。
「ん?」
手を伸ばす。太い鉄の輪。指先に硬く冷たい金属の感触が伝わった。
レインはすぐに手を止めた。こういうものは、下手に触らない方がいい。身体が重い原因も、どうやらこれらしい。
腕を動かす。手首には拘束なし。足も自由だった。
なのに、身体全体に重しでも乗せられているような感覚があった。
レインは身体を起こし、後ろを振り返った。
部屋の角に一人の女がいた。長く、緩く巻いた髪。
ゆったりとした異国風の装束を身に纏っていた。色合いは夜を思わせる紫紺。
椅子に腰掛け、本を読んでいる。視線に気づいたのか、女はゆっくりと顔を上げた。
目が合うと、彼女は穏やかに微笑んだ。
「目が覚めたのですね」
レインはしばらく女を見た。
「あんたは?」
女は本を閉じ、答えた。
「私は、セレナと申します。黒月のセレナ」
「……黒月」
レインの警戒心が、一段上がる。
そうだ、武器は。レインは腰へ手を伸ばしかけ、止めた。
短剣はない。当然か。夜の散歩に持ち出したのは、ガルドの短剣だけ。その短剣も、近くには見当たらない。
レインは部屋の中を目だけで探った。武器になりそうなもの。暖炉の火掻き棒。椅子。小さな机。
そして——。本が数冊積まれた机の上。その陰から、小振りな短剣らしき柄が覗いていた。
距離はある。今の身体では、そこまで動くのも普段より遅い。
その様子を見ていたのか。セレナは何も咎めず、ただ立ち上がった。
「お腹は空いていませんか?」
「……」
「食事にしましょう」
机の上から盆を持ち上げる。
パンとスープの器が載っていた。だが、スープから湯気は出ていない。
セレナはレインのところまで来ると、盆を長椅子の空いた場所へ置いた。
「あ。少しお待ちください」
床に片膝をつく。片手をスープの器へかざした。
「天に瞬く星々よ。その微かな温もりを、我が手に宿したまえ」
淡い光が指先に灯る。
「≪星火≫」
光が器を包んだ。
ほどなくして、スープの表面が小さく揺れ始める。
湯気が立ち昇り、野菜と肉の匂いが部屋に広がった。レインは思わず、そちらを見た。
「……星を操れるのか?」
「ええ。星の意思の力を借りました」
セレナは微笑み、器を差し出した。
「どうぞ。召し上がってください」
レインは受け取らなかった。
腹は減っている。だが、敵から差し出された食事を、はいそうですかと口へ運べるほど素直でもない。
殺すつもりなら、とっくに殺されている。生かされているのなら、それなりの理由がある。そう頭では分かっていても、警戒することと食べることは別問題だった。
「……いや。腹は減ってない」
セレナは少しだけ目を細めた。
「警戒されて当然です」
怒った様子はない。彼女はスプーンを手に取り、レインへ見せるようにスープを一口飲んだ。
「味付けは少し素朴ですが、栄養は摂れるはずです」
セレナが飲み込む。ごくん、という音が鳴った。
その直後、腹のあたりから音がした。レインは自分の腹を押さえた。
セレナが慎ましく笑う。
「お腹は、正直みたいですね」
「……気のせいだと思う」
「そうですか?」
レインは何も答えなかった。
再び、短い沈黙。セレナはスープを見つめていた。レインはただ床を見た。
やがて、レインの方から口を開いた。
「さっきのって、魔術的なやつ?」
「毛色は少し異なりますが……そうですね。魔術と同じと考えていただいても構いません」
「へえ?」
「私が扱う占星術は、人を傷つける性質を持っていません」
セレナは自分の掌を見る。
「天に浮かぶ星が、地に住む人々を見守っているのと同じように。ただそこに在り、時に力を分け与えてくれる。そんな魔術なんです」
「……優しい魔術なんてあるんだな」
セレナの目が、わずかに大きく開いた。
「……そんなこと、初めて言われました」
レインは彼女の顔を見た。どうにも、この人物が悪人には見えない。
もちろん、見た目だけで判断するほど素直ではない。
それでも、目の前の温かいスープくらいは、飲んでもいいような気がしてきた。
レインは器を受け取った。一口分の熱が喉を通る。
エーベルが作った料理ほど繊細ではない。香辛料も少なく、味付けは控えめ。
むしろ、昔スラムで飲んでいたスープに近かった。
「言った通り、ちょっとあっさりした味付けなんだな」
「ええ」
セレナは小さく笑った。
「ですが、なんだか安心する味でしょう?」
「……そうかもしれない」
◇
レインはセレナから、首につけられた鉄輪について聞いた。
黒月が扱う呪具の一つであり、装着された者の能力を大幅に下げる効果を持つ。
さらに、契約者へ害を加えることができない。今のその契約者はセレナだという。
つまり、今、机の上にある短剣を奪っても、無駄ということらしい。
レインは諦めて長椅子へ背を預けた。
窓のない部屋だった。夜なのか昼なのか。どれくらい眠っていたのかも分からない。
セレナによれば、今は朝方らしい。
彼女はまた床に座り、本を開いていた。暖炉の火が頁を照らしている。
書かれている文字は、レインには読めなかった。異国の言葉だろうか。
よく知らない人間を同じ部屋に置いたまま、よく本など読めるものだ。
レイン自身は、本をほとんど読まない。
童話も自分の為に読むことはなく、勉強で本を買うなど考えたこともない。そして王国の歴史が綴られた本。興味を持てと言われても難しかった。
セレナは、どうやら読むことそのものが好きらしい。
レインは、話しかけることもせず、暖炉の火を眺めた。ぱちぱちと薪が爆ぜている。
悪い状況であることには違いない。だが、落ち着けるうちに落ち着いておくのも悪くない。
——それにしても、状況が変わりすぎだった。
星鍵を継承した。滅びたアルシェリア王国の王女と出会った。星鍵を集める旅へ同行することになった。本来なら、今日からその旅が始まっていたはずである。
それが、夜中に不用意に外を出歩いたことで、黒月に見つかり、挙句の果てに捕まった。
「……」
レインは暖炉を見つめた。
思い返してみても、もはや自分で擁護しようがない。完全なる、『やらかし』だった。
もっとも、いちいち失敗を重く受け止めていては、この世界では生きていけない。
大抵のことは、どうにかなる。
そして経験上、本当にどうにもならないほどの最悪は、そう何度も起こらない。
起きてしまったことを悔やむより、次を考える方がいい。
——そんなことを考えていたとき、扉を叩く音がした。
「セレナ様。グレゴル頭領がお呼びです」
女の声だった。
セレナは本を閉じ、静かに立ち上がる。そして、レインを見た。
「参りましょうか」
「……俺も?」
「ええ」
レインは息を吐いた。
グレゴル頭領。ここを仕切っている人物だろう。嫌な予感しかしない。
とはいえ、今は従うしかなかった。




