王女の呟き
ラディア遺跡は、町から歩いて一時間ほどの森にあった。
半円形に並ぶ、古い石柱。草木に覆われた階段。地面へ斜めに沈み込むように、黒い入口が開いている。長いあいだ、人が訪れていないのだろう。
階段には落ち葉が積もり、石柱には太い蔓が絡みついていた。けれど、遺跡そのものが完全に死んでいるようには見えない。
フィリアには分かった。内部には、確かに精霊が存在している。だが弱くて、遠い。まるで、厚い壁の向こうへ閉じ込められているような気配だった。
「聞こえますか?」
入口の前で、布に包んでいた精霊杖を取り出す。杖の先へ、淡い青色の光が灯った。精霊の存在は感じる。だが、声だけが聞こえなかった。
「あれ……?」
フィリアは目を閉じ、もう一度意識を集中させた。何も返ってこない。風の精霊たちは、確かにこの場所を恐れていた。内部の精霊も消えてはいない。それなのに、意思を伝えることができない。
「声を封じられている……?」
精霊に干渉する何かが、遺跡の内部で動いている。フィリアは入口の暗闇を見つめた。クロードの指示が、再び頭をよぎる。
——『単独で入るべき場所ではありません』
「入口を、少し見るだけですから」
フィリアは遺跡の中へ一歩踏み入れた。
「大丈夫ですよね」
返事をする者はいない。
フィリアは杖の光を頼りに、慎重に階段を下りていった。壁面には、古代文字らしい刻印が残っている。ただし、大部分が意図的に削り取られており、文章として読むことはできない。
「アストラ文明の文字で間違いありませんが……」
指先で壁の傷をなぞる。
「自然に削れたものではありませんね」
誰かが、読ませないために消した。そう考えるのが自然だった。
床には、長い年月を経た埃が積もっている。魔物の足跡はない。人間が最近通った痕跡も見当たらない。奥へ進むにつれて、閉じ込められた精霊の気配は強くなっていった。
「もう少しだけ……」
入口を確認するだけだった。それがいつの間にか、異変の原因を見つけるまでに変わっている。本人は、そのことに気づいていなかった。
やがて、短い通路の先に四角い部屋が現れた。奥側の石扉は開いており、左右の壁面に小さな穴が規則正しく並んでいる。部屋の中央でフィリアは足を止めた。どう見ても罠である。
「これは……」
床へ杖の光を近づける。積もった埃の下に、わずかな段差が見えた。踏めば何かが作動する圧力板だろう。
「この部分を避けて通れば——」
フィリアは一歩、横へ移動した。その足元で、かちり、と小さな音がした。フィリアの表情が固まる。
「……こちらにも?」
次の瞬間、左右の壁から、無数の金属針が射出された。逃げる間もなく、鋭い音が重なる。だが、フィリアの身体へ針が触れる直前、鮮烈な碧い光が弾けた。飛来した針をすべて床へ叩き落とす。甲高い金属音が、部屋中へ響いた。
「ありがとうございます」
加護を与えてくれた精霊へ礼を告げる。
身体に傷はない。しかし、罠はそれだけでは終わらなかった。頭上から、重い音が響く。フィリアが振り返ったときには、出口へ続く通路へ石の格子が落下していた。
地面が揺れる。同時に、奥側の石扉も閉じた。さらに部屋の左右から、分厚い石壁がせり出してくる。重たく響く石ずれの音を最後に、逃げ道が完全に塞がれた。
「…………」
フィリアは、しばらく無言で石の格子を見つめた。杖の先で触れる。押してみる。引いてみる。
「——精霊よ。風の力を」
杖に碧い光が集まる。生まれた風が石格子を押し上げようとした。しかし、格子に刻まれた古代の文様が淡く輝き、術の力を吸い込んでしまう。風は一瞬で消えた。
「魔力を吸収する仕掛け……」
フィリアは反対側の石扉も調べた。結果は同じだった。精霊の力が触れた瞬間、古代の文様へ吸収されてしまう。
「精霊の加護がありますので、怪我はありません」
フィリアは自分へ言い聞かせるように呟いた。
「異変の存在も確認できました」
間違ったことはしていない。少なくとも、成果はあった。ラディア遺跡では何かが起きている。精霊の声を封じる、未知の仕掛けが動いている。
しかし、外へ出る方法が見つからなかった。フィリアは閉ざされた石格子の前へ立ち、困ったように眉を下げる。
「……入口を確認するだけのつもりだったのですが」
誰もいない遺跡に、王女の小さな声だけが響いた。




