一章〜非望〜 六百八十八話 迷いながらでも
一応、黒羽根には状況に応じて臨機応変に動く為の臨時特権が与えられている。それ故に、個人の考えで動く事も許されているが、実際にそれを行うのはロバートなどの一部の実力者だけなのをルチアーノは知っている。
だからこそ、朱羽根であるアレルの言葉があったからとて、自らの一存で動く事に対してルチアーノには躊躇いしかない。それでも、現在自身に指示を出せる立場であるアレルが自ら賊の足止めを行っている。そんな状況で、果たして自分はこのままで良いのかとルチアーノは自問自答してしまう。
「あの、代理? どうかしましたか?」
そこへ、余程深刻そうな表情をしてしまっていたのか、カミラにそんな言葉を掛けられてしまう。ルチアーノは、こんな事だから駄目なんだと瞬時に表情を作り直す。
「いえ、先程まで少し困ったお客様の相手をしていましたので」
「あ〜、気疲れしちゃいますよね。そういうお客様を相手すると」
アハハと、カミラは苦笑いを浮かべて訊いてはいけない事を訊いてしまったといった感じに視線を逸らす。そのカミラも、未だ完全には間者ではないと言い切れない。
本来ならば、ある程度時間をかけて証拠を集めるものなのだが、あの朱羽根の言う事は滅茶苦茶だとルチアーノは思う。それを、更にこの場で感知能力を用いて判別するなどと口にするのだから、増々ロバートの様な存在と同じではないかと文句を言いたくなる。
「なあ代理、その困った客ってどんな奴だったか教えてくれます? 女を引っ掛ける時の、話題にしたいんで」
そんな事を思っていると、ベルナルドが実に下らない理由でアレルの事を訊ねてくる。しかし、五人をこの場に引き留めておく方法も他にないので、ルチアーノは仕方なしにアレルの事を話し始める。
「根本的に、私とは合わない性質の方ですね。態度は······謙虚なのか尊大なのかも判別がつきづらく、それでも変な所で甘さを見せるなど······良くも悪くも、人間性を測りかねる方です」
「あ〜、そういう人いますよね。こっちが下手に出てると、上からものを言ってくる人」
チコがそう返してくるが、ルチアーノは自分の言い方が悪かったのか勘違いさせてしまったと思う。数える程度しか接していないが、アレルがチコの言う様な人物ではない事はルチアーノにも簡単に解る。
アレルは、今直ぐにでも同期達の向かった場所へ行きそうになっていた自分に、過度な期待はするなと現実的な事を口にしながらも希望は捨てるなという意味合いの言葉を伝えてきた事をルチアーノは知っている。それに、先程もただ立場的に上の人間の言いなりで良いと割り切ろうとしたのに、アレルは譲れないものがあるなら自分の意思で動けと言ってきた。そんな人が、チコの言う様な人物でない事は明らかだった。
「ぼ、僕も······高圧的なの、嫌いです」
だが、続くエルモの言葉で完全にアレルが良くない客としてこの場の五人の中で定着してしまう。それに対して、申し訳なさが湧いてきたルチアーノは訂正をしようとするが、その直前にガロンがボソリと呟く。
「······違う、アイツは単に甘ちゃんなだけの奴だよ」
その呟きに、ルチアーノはハッとしてしまう。何故、アレルの事を知らないはずのガロンがそれを口に出来るのかと。
「······」
しかし、ルチアーノは直ぐにそれを指摘する事はせずに、一旦自身の中に押し留める。もし、この場でガロンの口にした事を問い質せば、他の者達が巻き込まれる可能性も出てくる。
それは、あの甘過ぎる性質を持つ朱羽根も望まない事だろうとルチアーノは考える。そして、この場にいる者達を守るには外にいるアレルではなく、ここにいる自分が何とかしなければとルチアーノは決意する。
「さて、無駄話はそれぐらいにして、ベルナルドとエルモは仕事へ戻って下さい」
「いっ!? まだ、来たばっかだぜ?」
「ならば、明日は休暇を与えましょうか? このまま、この場にいるのと好きな方を選んで下さい」
「っしゃ! それじゃ、張り切って行くぜエルモ!」
ルチアーノの提案に、ベルナルドは気合を入れてエルモの首根っこを掴んで扉へと引き摺って行く。
「ぼ、僕はまだ何も······」
決定権すら与えられない事に、不満を口にしながらも引き摺られて行くエルモを見て、これで二人は大丈夫とルチアーノは少しだけ安堵する。
「チコ、それからカミラ、あなた達はホセに宿の中を案内してもらえますか? まだ案内してない場所もあるので」
「はいっ、任せて下さい!」
張り切って胸を叩くチコに、カミラは仕方ないなと椅子から立ち上がる。それに、ホセは不安そうな表情を向けてくるが、ルチアーノはそんなホセに頷きを返す。すると、ホセも安心したのか二人に続いて部屋を出て行く。
そして、一人だけ残されたガロンはどういう訳なのかと、先程の呟きが聞かれていないと思っているみたいに不思議そうな顔をしている。
「代理、何故私だけが残されたのでしょうか?」
正直、ルチアーノはそんなガロンの態度に白々しいとは思いつつも、先程の呟きだけでは言い逃れも出来てしまうと更なる確定的な言葉を引き出す為に舌戦を仕掛ける。
「いえ、実はここ数日の間だとは思うのですが、従業員の服が何着か数が合わないそうで······今の中では、あなたが一番冷静そうに思えたので意見を聞かせてもらいたいと思ったのです」
「服······ですか? まあ、確かに私も洗濯を請け負う事がありますが、紛失などは覚えがありません。そうですね······ベルナルド辺りが破損させて隠したとか、洗濯の機会が多いエルモに訊かれた方が良いのでは?」
流石に、この程度では尻尾を出す事もなく躱されてしまう。しかし、先程の甘ちゃんという呟きだけは、アレルの事を知らなければ口に出来ないのだけは確実なので、ガロンが探している間者である事だけは間違い。
ただ、そんな確信をルチアーノが持っていても、それなりの期間宿への潜入を行っていたからには自身よりも宿の事に詳しい部分があるのは当然だったとルチアーノは思い直す。それ故に、ルチアーノはガロンがアレルの事をある程度知っていると仮定して、決め手はそこにあると考える。
「······そういう事でしたら、ベルナルドが怪しいですね。休暇を与えると言ったのは、失敗だったかもしれません」
「ええ、あれは代理の判断が間違っていたと私は思います」
フッと、どこか安堵したみたいに鼻で笑ってくるガロンに、ルチアーノは攻勢に打って出る。
「そういえば、先程の困ったお客様の話には続きがありまして······その方が言うには、宿の中に不届き者がいるというのです」
そう言っても、ガロンは眉一つピクリとも動かさずにルチアーノの言葉を聞き流す。その態度に、白は切らせないとばかりにルチアーノは更に続ける。
「まあ、その不届き者も本当にいて······既に対処はしたんですけど」
「それは、大変でしたね。まさか、お客様の中にそんな者が紛れていたなんて」
そのガロンの一言に、立ったまま話していたルチアーノは心構えをしながらニヤリと笑みを浮かべる。
「おや? 私は、お客様の中にいたなどとは一言も言ってませんよ?」
ルチアーノは、自ら放った一言で室内の空気が凍りついていくのを感じる。些か、なし崩し的ではあったものの結局はアレルの言葉に背中を押されてしまったルチアーノは、そうして自らの意思に従って宿に入り込んだ間者と対峙する。




