一章〜非望〜 六百七十八話 変わりつつあるもの
コンコンコンと、アレルは中にいるアリシアが驚かせない様に可能な限り優しく扉を叩く。しかし、それでも返事がない事からアリシアなりに警戒しているという事なのだろうとアレルは思う。
「アレルだ。開けてくれないか?」
「アレルっ!? うん、今開けるね」
なので、アリシアの警戒を解こうと声を掛けると、アリシアはどこか安心した様な声で返してくれる。その少し後で、カチャカチャと鍵を解錠して扉を開けてくれる。
「ねえ、怪我とかしてない?」
そして、開けるなりアリシアは心配そうな表情をしながらアレルへ訊ねてくる。
正直、そんな風に案じてくれる事には感謝するアレルではあったが、現状ではアリシアの身の安全が第一と考える。なので、アレルはアリシアが間違っても部屋から出て来ない様に多少強引に部屋の中へ入る。
「俺は大丈夫だけど、少し問題が起きた。······ちゃんと説明するから、話を聞いてくれるか?」
「えっ? ······うん」
真っ直ぐにアレルの顔を見詰めてくるアリシアの表情は、恐怖と不安というよりも驚きや戸惑いといった感情の方が表に出ている様にアレルには感じられる。それでも、アレルの言葉に素直に従うアリシアは、くるりと身体を反転させるとテーブル横の椅子へと足を向ける。
それを追う様に、アレルも部屋の扉を施錠してからアリシアの対面になる椅子へ腰掛けに動く。
──主様、申し訳ありません。ルリが、もっとちゃんと周囲の気配を読んでいれば、こんな事には······。
と、そこへ風詠でより深く繋がっている為か、現状についてアレルから伝わって知っているみたくアリシアの肩に止まる瑠璃が自責の念を伝えてくる。
(仕方ないさ。俺も、こうして風詠を使ってみて判るけど、俺の場合相手の悪意に気付ける距離がそこまで広くない。それを理解していながら、いつも頑張ってくれている瑠璃を責めたりなんて出来ないよ)
──主様······あ、あのっ! 主様が部屋へお戻りになる前に、少し集中して気配を探っていたんですが二階に一人と一階に一人、加えて外から一人町に入る前に主様がナイフを投げた人物が宿へ近づいて来てます。ルリには、これぐらいの事しか言えませんが、何かの役に立てて下さい!
瑠璃の言葉に、アレルは更に判らない事が増えてしまう。何故、ここに町の外で自身がナイフを投げた賊が出てくるのかアレルには理解出来ない。
まさかとは思うが、既に馬車すらも特定されているのかという疑念も生まれてしまう。ただ、直ぐに中身はともかく外見はどこにでもある幌馬車なので特定は難しいだろうとアレルは考え直す。
しかし、自身ではまだ感じられていない気配について教えてくれた瑠璃に、またもや助けられているなとアレルは感謝の念を抱く。
(ありがとな、瑠璃。今から少しゴタゴタするかもしれないけど、アリシアの事頼むな)
──はい、もう先程の様な失態は晒しません!
そうして、瑠璃の張り切りが感じられる返事を聞きながら、アレルは既に座っているアリシアの対面へと腰掛ける。果たして、座って説明している暇なんてあるのだろうかとアレルは思いながらもアリシアの顔を見る。
すると、何故かアリシアは不安を僅かに覗かせながらも、どこか落ち着いた様子を見せている。
「なんか、落ち着いている様に見えるのは気の所為か?」
そのアレルの言葉に、アリシアはフッと薄い笑みを返してくる。
「うん、それはアレルの気の所為だよ。······正直に言えばね、不安は不安なんだ。でも、今はアレルが野暮用だとか少し忘れた事を済ませてくるとか言って誤魔化さずに、こうしてちゃんと説明しようとしてくれてるから私も······変わらなくちゃって、ただそれだけで」
「いや、別に俺に合わせる必要なんて──」
「ううん、これはアレルがどうとかっていうより、私がそうしたいの。······置いていかれたくないから」
アリシアは、その意思を瞳に宿らせながら真っ直ぐにアレルへと告げてくる。アリシアの言葉に、置いてくつもりなんてと思ったアレルへ瑠璃の声が届く。
──ルリには、アリシア様のお気持ちが少し解ります。主様は、お一人だとそのままどこか遠くへ行ってしまわれる様な感じがあるんです。だから、ルリも主様に追いつける様にと日々警戒を続けながら、主様と同様に能力の向上の為に鍛錬も同時に行っていました。······そのせいで、警戒が疎かになり今の様な事態を招いてしまい申し訳ありませんでした。
(いや、瑠璃にはいつも助けられているんだ。それに、頼りっきりになっていた俺の方が悪いんだから、瑠璃は謝らないでくれ)
パタタと、その言葉に羽根の動きで応える瑠璃を肩へ止まらせるアリシアは、アレルが何かを口にする前に訊ねてくる。
「ねえ、こうして落ち着いている時間はあるの?」
「えっ······あ、ああ、今宿の奴がそこの廊下の後始末をしてるから、それが終わってから共犯の連中をどうにかするって話になっているから」
「共犯って、誰の指示で動いているか判っているの?」
「いや、まだ判っていない。それでも、少なくとも三人の共犯者がいるのは判っている。だから、ソイツ等の方から背後関係を探るつもりだ」
アレルがそう答えると、アリシアはコクンと頷いて現状を理解してくれた様な反応を示す。すると、アリシアは何かを決意したみたいにアレルを真っ直ぐに見詰めてくる。
「それなら、アレルはもうやらなきゃいけない事をやりに行って。私は、ルリちゃんと一緒に待っているから」
「いやいや、待つってここでか? 何かあった時の為に、イバレラ達の部屋へ行った方が良いんじゃないか?」
そう言っても、アリシアは頑として首を縦には振らずアレルの提案を拒絶する。
「ううん、私はこの部屋でアレルが帰ってくるのを待つよ。私は、アレルなら絶対に何とかしてくれるって信じているから、ミリア達の所にも行かない。······だから、アレルはちゃんと私を守ってね」
「アリシア······」
無茶な事を言ってくれるなと、アレルはアリシアの目を見ながら思う。これから何が起こるか判らない状況で、常に傍でいられもしないのに守るなんて難しい事をアリシアは要求している。
それでも、信じていると事の詳細も聞かずに手放しの信頼を預けられている事も理解するアレルは、そんなアリシアの要求を跳ね除ける事も選べない。ただ、自身にはそんな信頼を裏切ってしまった過去、『あの言葉』が胸の奥に楔となっている為に、アレルは安易に任せろだなんて口に出来ない。
そうして、アレルが沈黙しているとスゥと風が頬を撫でる感覚と共にアリシアの怯えの様なものがアレルへ伝わってくる。それで、アレルはまさかとは思いつつも、アリシアの真意に気付き始める。
アレルは、アリシアにも『あの言葉』についての話はしていた。つまり、アリシアはそれを知った上でアレルにとって難しい要求をしている。
その事と伝わってきた怯えを踏まえると、アリシアは自分も怖さを抱えているけれどその恐怖と向き合った上で、アレルにも自らが抱える恐怖と向き合えと要求している事が判る。そうして、対等な立場で互いを信じた上で、二人で一緒に乗り越えようとアリシアは言ってきている。
それを理解した途端、アレルは胸の奥から湧き上がる自身に対する怒りにも似た感情に突き動かされ、その勢いのままに椅子から立ち上がる。
「アレル!?」
「解った、アリシアの事は絶対に俺が守る。だから、ここで待っていてくれ。そして全部片付いたら、一緒にさっき買ったものを食べよう」
「アレル······うんっ」
アレルの言葉に、アリシアはどこか喜んでいる様な、それでいて安堵もしている様な不思議な笑みを返してくる。その笑みに、アレルも不意に肩の力が抜けた様な笑みを返してしまう。
すると、そこへ部屋の扉を叩く音が部屋の中にいるアレル達へと届く。
「アレル様、こちらは処理が終わりました」
「分かった、俺も直ぐに出る」
ルチアーノの声に、そう返したアレルは部屋の外へと足を向ける前にもう一度アリシアの顔を見る。その顔は、微笑んでいながらも一部だけがどこか固い印象を受ける。
アリシアも戦っている、そう感じたアレルは自身の内側から湧き上がる闘争心が身体中に満ちていくのを感じる。
「それじゃ、行ってくる」
「うん、気を付けてね」
最後に、そうして一言だけアリシアと言葉を交わしたアレルは、決意を新たに部屋の扉に手を掛けて部屋から出ていく。絶対に、妙な連中をこの部屋に近づけさせはしないと心に誓いながら。




