一章〜非望〜 六百七十九話 願いと想いを胸に
──アレルが、宿に侵入した賊への対処に出た後の部屋の中。
アリシアは、上手く送り出せたかなと不安を抱きながらも、一先ずはアレルを送り出す事だけは出来たと安堵する。そうして、一息つきながらもアレルが出て行った扉の施錠をしっかりしてから、再び座っていた椅子へと戻る。
「······ねえルリちゃん、アレルの目また色が変わっていたね」
それは比喩などではなく、実際にアレルの目は僅かに琥珀色へと変化していた。アリシアには、それが何を意味しているのか判りはしないものの、アレルがどこか遠い存在に感じてしまう程度には不安を抱かせるものだった。
初めてそれを見た時は、その瞳の輝きの美しさに心惹かれていたが、この状況で同じ様な目の色になるという事は何かしらの能力を使っている証なのだろうという事はアリシアにも解る。それに、アレルは色が変化した目を見られる事を嫌がっていた。それにも関わらず、現在その能力を使用しているという事は、嫌悪に目を瞑ってでも使用しなければならない緊迫した状況なのも理解出来る。
そんなアレルへ、まるで追い込むみたいな要求をしてしまった事に、アリシアは今更ながら後悔し始めてしまう。怒らせてしまったかもしれないし、もしかしたら嫌われてもしまったかもしれない。そう考えると、アリシアは現状への恐れとは別種の怖さも感じてしまう。
「······でも、アレルもちゃんと解ってくれてたよね?」
アリシアがそう呟くと、肩に止まっていた瑠璃がアリシアの手元にやって来てチカチカと羽を光らせて肯定を示してくれる。瑠璃の返事に、安堵したアリシアはフッと頬を緩める。
ただ、そうして不意に気を緩めたせいか、広場でのアレルの言葉を思い出してしまう。
──実は······一つだけ、ずっと記憶に······いや、心に残り続けている言葉があるんだ。······この嘘つき野郎、お前なんか死んじまえって。
それを耳にした瞬間、アリシアは思わずアレルの事を抱きしめそうになってしまっていた。そうしなければ、目の前にいるアレルが煙の様に消えてしまう気がして、それでも抱きとめてしまえばそれこそアレルの身体が崩れてしまいそうな程に脆くも感じられて、アリシアにはそうする事が出来なかった。
それ程までに、アレルが吐露した弱音はその存在を希薄に感じさせてしまうまでの何かがあった。アリシアも、もしも自分が身近な誰かにそんな言葉を言われたらと考えると、何をどうすれば良いのか判らなくなってしまう。ましてや、アレルには何故そんな事を言われてしまったのかという記憶すら無い。
それが一体、どれ程の恐怖だったのかアリシアには解らない。それでも、アレルが他者との間に一線引いてしまう理由の一端に触れたせいか、アリシアは居ても立ってもいられなくなって気が付けばアレルの手を取っていた。
「私、よくアレルの事をバカバカ言ってるけど、アレルの事をそう言えないくらい私も馬鹿だよね」
その言葉を聞いている瑠璃は、そんな事はないとその身をフルフルと左右に振ってみせる。アリシアは、そうやって励まそうとする瑠璃の姿に困った誰かの姿が重なって見えて不思議と頬が緩んでしまう。
「そういう所、アレルにそっくりだね。やっぱり、近くにいると似てきちゃうのかな?」
アリシアの言葉に、瑠璃はというとその身体を左右に振って、困惑している様な照れているみたいな反応を返してくる。
振り返ってみれば、今自分を励ましてくれた瑠璃の様に、アレルは何かあるといつも屁理屈を捏ねたりしてあの手この手で笑わせようとしてくる。その度に、アリシアはアレルへバカと返す事が多いのだが、その実アレルのそういう部分に救われている事の方が多いとアリシアは感じる。
自分だって、本当は誰かに救って欲しいと思っている部分もあるはずなのに、目の前で誰かが落ち込んでいたり途方もなく佇んでいれば手を差し伸べずにはいられない。それでも、時には二者択一を迫られる場面で冷酷に思える言葉を口にする事もある。但し、それはあくまでも表面的な判断でしかなく、心の内では自傷行為の如き自責の念を抱えているのをアリシアはペンダントを通して薄々感じていた。
そんなアレルが、誰に言われたのかすら覚えていないのに死んでしまえなどと言われた事だけは覚えているなんて、一体アレルがどんな事をしたのだとアリシアは憤る。その一方で、アレルの存在に救われている自分が何もしてあげられていない事にもアリシアは腹を立てる。そうして、自身の無力さを痛感する中でありながら、やはりアレルの不在には心が揺れてしまう。
「何も返せてないのに、頼ってばかりで······こんなの、本当に嫌だな」
口にしながら、その悔しさの様なものを噛み締めるみたいにしてアリシアは胸のペンダントを右手で服の上から握る。
出来る事ならば、自責の念で自らを苦しめている様なアレルを助けてあげたい。それでも、そうしたくても今の無力な自分では、己すらも救えていない力足らずの自分では無理なのだとアリシアは思う。
ただ、そうであっても抗う事だけは諦めたくないと、アリシアはせめて自らの不安とだけは向き合おうと心に決めて、アレルの帰りを持つ為にアリシアは意地を張って部屋へと残りアレルを送り出した。
「ルリちゃん、なんかゴメンね。私の我儘に付き合わせちゃって······ルリちゃんは、メリル達と一緒にいた方が安心するよね?」
アリシアはそう口にするも、安心するのは瑠璃ではなく自分である事を自覚している。でも、それを認めたくなくて瑠璃へと確認をする事で認めてしまいそうになる心に抗う。
浅ましいとは思う。しかし、無力な自分に今出来るのはこんな姑息な手段しかないのも事実なんだと、アリシアは現状の歯痒さをひしひしと感じてしまう。
だが、そんなアリシアに対して目の前にいる瑠璃がチカチカチカチカと羽を何度も明滅させてくる。
「ル、ルリちゃん!?」
その激しさから、どこか否定的な憤りの様なものがペンダントから感じられ、それがおそらくミリアに対するものなのではないかとアリシアは察する。しかし、何故か瑠璃の羽の明滅は徐々にチカ、チカとその勢いを落としていき、最後はどこかシュンとした様子で明滅を終えてしまう。
それが、一体何を意味するのだろうとアリシアは悩むが、それがミリアに対するものだと仮定した時にもしかしてと一つだけ思い浮かぶ答えがあった。
「もしかして、ミリアの事でアレルに叱られちゃった?」
そう訊ねると、瑠璃は羽の動きをピタリと止めた直後に落ち込んだ様子で羽をチカチカと二回明滅させて答える。それに、やはりと思ったアリシアだったが、これ以上は流石に読み取る事は出来ないなと公用文字の一覧を小物入れから取り出してテーブルの上に広げる。
すると、瑠璃の方も伝えたい事があったのか、その上をヒラヒラと舞い始める。
「主様、アイツ? ······ミリアの事かな? ゆらぎ、中に、ある······存在?」
それだけでは、流石のアリシアでも瑠璃の言いたい事が察せずに困惑してしまう。しかし、瑠璃の言葉はそれで留まらずに更にヒラヒラと一覧の上を舞い続ける。
「ゆらぎ、あるから、変われる······ルリも、アイツも、同じ······う〜んと、つまり不安定で完成されていないからこそ、これからでも変わっていけるってアレルは言ってたの?」
訊ねると、瑠璃はチカチカと伝わった事を喜ぶみたいに素早く羽を明滅させてくる。ただ、そうして自身にもアレルの考えが伝わった事で、アリシアも漠然と抱えていた疑念に対して不思議と導きの様なものを得られた感覚を覚える。
変わりたいと願いながらも、不安や迷いに押し潰されそうになり葛藤にも足を引っ張られながら、それでもそんな不安定な状態だからこそ変わる事が出来るんだとアレルの言葉は伝えてきている様な気がする。しかし、そんな言葉を口に出来てしまう事から、アレルは既に自分が悩んでいる所よりも先にいるんだとアリシアには解ってしまう。その言葉は、きっと同じ事で悩んだ事のあるアレルだからこそ出せた言葉で、アリシアは未だにそんなアレルの背中を追っているに過ぎないんだと思わせられる。
そう思った途端、アリシアの中に焦りが生まれる。それと同時に、アレルを送り出す際に無意識ながらも置いてかれたくないと口にした事が恥ずかしくもなってくる。何故なら、その言葉はアレルに追いつく事を諦めている様にも聞こえるから。
「······アレルのバカ」
だがしかし、瑠璃から伝えられたアレルの言葉が、まるでそんな心の揺れ動きこそが成長の為の糧になるとでも言ってみたいで、アリシアは自身が落ち込む前に支えられていた様にも感じられて妙な憤りを抱いてしまう。それでも、アリシアは出来るだけ早くアレルの背中に追いつかなければと決意を改める。
だって、あのどこか自罰的なお馬鹿さんは独りにすると何をするか判らないし、そのまま独りでもどこか遠くへ行ってしまいそうだからと、アリシアはここにはいないアレルへ心の内で文句を言う。
「······アレル、早く帰ってくると良いね」
チカチカと、不意に漏らした言葉に瑠璃が肯定の意を返してくれる。そんな瑠璃に微笑みを返しながら、アリシアは徐々に増していきそうになる不安に抗うのであった。




