一章〜非望〜 六百七十五話 招かれざる者
部屋へ入ると、取り敢えずアレルもアリシアも手にしていた紙袋と紙包みをテーブルに置いて、後は先程ルチアーノに頼んだものが届けられるのを待つだけになる。ここで、アレルは届けられるものを即座に受け取る為に立ったままでいるが、アリシアは自身のベッドの方へと向かい腰掛ける。
そして、アレルは特に話す事も無いので場繋ぎとして、徐ろに紙袋へ手を伸ばし中の焼き菓子を一つ口の中へ放り込む。
「あっ、立ったままなんて行儀悪いよ」
「いや、さっきまでアンネも歩きながら食べたりしてただろ?」
「今は座る所があるでしょ? こういう所で、座らずに食べるのが行儀悪いのっ」
本当に、アリシアはこういう所で育ちの良さを感じさせてくるが、そこが少々面倒臭くも感じるなとアレルは思う。
「解ったよ」
それでも、アリシアとしては良かれと思って注意してるのも理解出来るアレルは、そう言って大人しくテーブル横の椅子へ腰掛ける。ただ、座った事でふと視界にタルトの紙包みが入った事で、アレルはメリル達の部屋へ行くならば明日以降の話もしておこうかと考える。
明日は、セドリックが到着している可能性が濃厚な分岐路を通過する。アレルは、もし自分がセドリックの立場であるなら、分岐路ではアリシアらしき人物を調べるだけでなく怪しい馬車などが向かった方向までも記録する。それに対する策を行う為に、今は馬車を預けている訳なのだが馬車の仕上がり次第では考えている策が行えない事も考えられる。
それらを踏まえると、今夜中に別の手段などもアリシア達と話し合う必要があるのではないかとアレルは思う。
「アレル、どうかした?」
そこへ、難しい事を考えているのを表情で読まれたのか、アリシアに声を掛けられてしまう。なので、まだどうするか決めかねているアレルは紙袋から焼き菓子をもう一つ手にしてボソリと呟く。
「······口の中の水分、結構持ってかれるな」
「それなら、食べなければ良いのに······でも、確かにそれって少しパサついてるよね」
と、どうやらアレルと同じ感想を抱いていた様子のアリシアは、アレルが口腔内の渇きで黙り込んでいたのだと勘違いしてくれる。そんな、珍しいアリシアの見逃しに安心したアレルはヒョイっと手にしていた焼き菓子を口の中へ放り込む。
「まあ、もう少し砂糖を多めにすればパサつきも多少マシになるとは思うけどな」
「そうなの?」
「ああ、そうだな······砂糖には保水性ってのがあって、食材の水分を保持する性質があるんだ。だから、これも卵を使ってはいるみたいだし、砂糖をケチってなければもう少ししっとりしたんじゃないかとは思う」
へえと、アリシアはキラリと目を僅かに煌めかせて、新たな知識の獲得に好奇心を唆られた様な反応を示す。だが、そこへ瑠璃から一言だけアレルへ伝えられる。
──主様、誰か部屋の前に来ます。
すると、直ぐに扉を叩く音がしたので、アリシアは慌てて被っていたフードを更に深く被り直す。おそらくは、頼んだものを持ってきた従業員だろうが、やはりアリシアは見知らぬ誰かへの警戒心は未だ拭えないみたいだった。
そうして、アリシアが落ち着いたのを確認してからアレルは扉を開けに行く。
「······」
しかし、ふと何も言ってこない事に不審感を抱いたアレルは、扉を開く前に声を掛ける。
「誰だ?」
扉の向こうの人物は何も答えない。その事に、警戒心を高めたアレルは室内という事もあり、騎士剣ではなく取り回しの良いダガーを右手で引き抜く。そのダガーを逆手で握り、切っ先を部屋の外へ向けつつ扉の鍵へは左手を掛ける。
「······一応、窓からも離れていてくれ。もし不安なら、浴室の中に入って内側から施錠でもしててくれ」
アレルが、部屋の中のアリシアにだけ聞こえる様な声量で言うと、その緊張感が伝わったのかアリシアは無言で頷きベッドから立ち上がってテーブル横で待機する。
(瑠璃、外の様子が判ったりするか?)
──はい、人数は一人で良くない気配を感じます。ただ、もう直ぐ下から誰かが上がってくる気配もあります。
精神感知で訊ねるアレルに、瑠璃は扉の外に一人と階段下から上がってくる者が一人と伝えてくる。
それで、外にいるのが誰かは判らないが下から上がってくる人物が従業員だと判断したアレルは、申し訳ないが従業員の姿を扉の外の人物が視認した瞬間にこちらから仕掛ける事にする。ただ、その仕掛け時は瑠璃に訊ねてからでは遅いので、仕方なく風詠で対処する事を決める。
(ありがとな、瑠璃。それと、瑠璃はアリシアの傍にいてやってくれないか?)
──はい、主様もお気を付け下さい。
すると、瑠璃はアレルの外套のフードから速やかに抜け出し、アリシアが立つテーブル横まで移動してくれる。それで、僅かに不安が和らいだ様な表情をするアリシアを一瞥した後で、アレルは精神感知を切って新たに風詠を使用する。
スゥと、頬を風が撫でていく様な感覚と共に、周囲の目に見えない情報がアレルへと流れてくる。扉の外にいる人物は、やや小柄で落ち着いている様に感じられもするが実の所は緊張を無理矢理捻じ伏せている様にアレルには感じられる。その手にはナイフの様なものが握られ、いつでもこちらを刺せる様に扉へと向けられている。
こうなると、西洋風の建物である宿の内開きの扉がアレルにとっての不利になる。これが日本であるならば、扉は外開きが多い為に扉を開けた際は外の不審者との間合いを取る事が出来る。しかし、ここの扉は内開きの為逆にアレル側は扉を開ける際少し下がるしかないので、不審者側に攻撃の機会と中へ侵入出来る可能性を与えてしまう。
それ故に、アレルは外の不審者の気が逸れるであろう一瞬を風詠で捉えようと心を静める。
「······あの、お客様? そこで、何を──」
そこで、本来なら聞こえないはずの二階の廊下を歩く従業員の声がアレルへ届き、その瞬間扉の外の不審者の視線がそちらへ向いて扉へと向けられていたナイフも意識と共に部屋から逸れる。
風詠で、それら全てを読み取ったアレルは即座に扉を開いて攻勢に出る。
「なっ──」
不審者が驚く間も与えず、アレルは部屋から飛び出す際に扉の外側の取っ手を掴んで、扉を閉めながら不審者へと間合いを詰める。当然ながら、取っ手を掴む左手は使えない為に右手のダガーで不審者のナイフを持つ右手を斬りつける。
しかし、逆手で握っていた事が災いして、アレルは不審者に対して背中を半分晒す形になってしまう。それでも、まるで風が自身の身体を支えるみたく導き、アレルは斬りつけた勢いのまま跳躍と同時に宙で身体を回転させる。そして、上半身に追随させる様に下半身を回す事で捻転の力を加えた蹴りを、左脚右脚の順で不審者の顔面へ加減無しに叩き込む。
「──グエッ!?」
すると、不審者はまるでカエルが潰されたみたいな声を上げてその場で意識を失う。
そうして、直前の緊張感からは考えられない程に呆気なく終わった事から、アレルは僅かな間呆然としてしまう。しかし、自らの意思とは無関係に身体が動いた事から、アレルは双剣術のアマデウスが言っていた風詠の可能性を実感するのであった。




