一章〜非望〜 六百六十一話 癖のある職人
馬車の点検・整備の店、カルラスの店構えはまるで倉庫の様な様相で、通りからそのまま馬車で入れる様に出入り口はかなり間口が広い。通りから見える範囲で、店の奥行きも結構あるみたいで、一度に三台程の馬車を預かれる空間がありそうだった。
そんな店先で、馬車を徐行させたアレルは見える所に店の人間が見当たらないので一旦御者台から降りようと思うも、アリシアを一人で残す訳にもいかないかとそのまま馬車で店の中へと入ってしまう。ただ、流石に店の奥までは進む事が出来ずに、入って直ぐの所で馬車を停車させる。
そこで周囲を見渡すと、出入り口を守る大きな扉は引き戸式で、開けている時は数枚が左右それぞれで重なり閉める際にはそれらが連動して横に広がる事で出入り口を覆う形になっている。そして、奥の馬車の点検・整備に使うものなのだろうが、馬車の四隅を持ち上げる為の固定式起重機の様なものが幾つか並んでいるのが見える。
しかし、一向に人の姿が見当たらないので、アレルは仕方なしに声を張り上げる。
「すみませーん、誰かいませんかぁー?」
広い倉庫に、アレルの声は反響してまるで山彦の様に折り返して何度か自身へと返ってくる。ここで、アレルが言葉遣いに気を付けたのは、依頼を断れると明日ツェーンにてもう一泊する必要が出てくる為で、要は印象を悪くしない為に下手に出ようと考えたからだ。
──主様、人の気配を上から感じます。
そこへ、フードの中の瑠璃からそんな事がアレルへと伝えられる。すると、アレルが瑠璃へ返すよりも早くアレルの頭上、丁度前方の起重機の上辺りから声がしてくる。
「何じゃ、騒々しいッ! 入ってきたのは見えとったから、下りるまで大人しゅう待っとらんかいッ」
その、加齢か酷使によるものかの嗄れた声にアレルが視線を上に向けると、起重機の整備用に作られたであろう足場の様なものの所に一人の人影が見える。その人影は、声から察するにそれなりの年齢だろうに、軽やかな動きで梯子をスルスルと下りてアレル達の前へとやって来る。
やって来た人物は、頭にバンダナの様な布を巻き、背は低いながらも腰は曲がっておらず、長年力仕事を続けている為か筋力の衰えを感じさせない体付きをしている。しかし、その顔には深い皺が刻まれ、口と顎には豊かな白髭が蓄えられていてどこか厳しい印象の顔つきをしている老人だった。
「んで、アンタ等は客かい?」
「はい······一応、紹介されて訪ねにきたんですが、あなたがドノヴァンさんですか?」
アレルは、ミッテドゥルムでミゲルに渡された宿の主人からの紹介状をサイドポシェットより取り出し、御者台の左側に座る自身の横に来た老人にそれを手渡す。すると、老人はその紹介状を無造作に開けて中身を取り出すと、見づらそうに目を細めながらもニヤッと笑う。
「成る程······アンタ等は、ベンノの所の客か。なら、少し訳ありの客という事じゃな?」
「······まあ、そういう事です。なので、事情を察して頂けるあなたに依頼を引き受けて頂けると、こちらとしても助かるのですが」
一瞬、誤魔化そうとも思ったアレルだったが、長年手紙のやり取りをしていたならクリムエーラの事も少しは知っているのだろうと思い、敢えて包み隠さずに老人の問いに答える。そんなアレルに、老人はニカッとあけすけな笑みを以て返してくる。
「そう畏まらんで構わん。どうせ、普段はそんな言葉遣いなんてしておらんじゃろう?」
「······ああ」
「ハハッ、アンタぐらいの年はそれぐらいの方がええ。依頼なら、丁度暇しておったから引き受けてやる。じゃから、取り敢えず馬車をそこの手前まで動かしてくれんか?」
老人はそう言うが、自身の取り繕いをあっさりと見破られたアレルは納得がいかない。そんなアレルに、老人はまるでアレルの考えが透けてるみたいに答える。
「ハッ、年を取ると人を見る目なんぞ嫌でも肥えるもんじゃ。特に、客商売なんてしてればの。あっ、そうそう儂はドノヴァンじゃ。ちゃんと名乗るのも、客商売の基本じゃからな」
ハッハッハと、老人──ドノヴァンは先にアレルへ指示した場所へと歩いていく。それに、アレルが渋々馬車を動かし始めると、そこへ瑠璃が一言伝えてくる。
──今の方、たぶんルリの事にも気付いていますね。
(いや、それは無いだろ?)
瑠璃の言葉に、あまりに意外過ぎて声を出しそうになるのを堪えつつ、アレルは精神感知で瑠璃に返す。
──でも、割と純真な子供や老人には精霊の姿が見える者もいますし、そう珍しい事でもありませんよ。
(そうなのか?)
──はい。なので、ルリの様な存在に気付く事もあると思います。
妖精の気配に気付く老人、アレルの中の常識だとそれは死期が近い事の表れなのだが、目の前のドノヴァンからはそんな気配はしないので何か別の理由があるのだろうとアレルは思う事にした。
そうして、アレルがドノヴァンに言われた場所へと馬車を進めると、ドノヴァンがそこで声を張り上げる。
「ラーパッ、ラーパはいるかぁ!」
ドノヴァンは叫ぶものの、その声は店内に木霊するだけで何者もえない。それでも、何かを察知した様子のアリシアが応アレルに身体を寄せてくる。
「アンネ?」
「······ううん、何でもない」
身体を寄せながらも、遠慮がちに外套の端を掴むだけのアリシアはそれだけ言って黙ってしまう。
ただ、そんなのはお構い無しに店内の奥、よく見るとそこにあるのに気付いた勝手口の様な所の奥から何者かが駆けてくる足音が近づく。その足音が勝手口の目前まで来ると、バンッと勢い良く勝手口の扉が開けられる。
「うるせぇなっ、このクソ爺ッ! アタイの耳なら、そんな大声で呼ばなくても判んだよ!」
「誰がっ、クソジジイじゃッ! 育ての親に向かって、この不良娘がっ!」
「ああッ!? だから、うるさくて逆に何言ってんのか判らねぇんだよ、ゴラ゛ァッ!!」
入って来て早々に、ラーパと呼ばれた少女はドノヴァンへ向かってがなり立てる。
その頭には、ドノヴァンと同様のバンダナみたいなものが巻かれ、その下からは加齢によるものではない真白な髪が僅かに覗く。年の頃は、アリシアと同じか少し上に見える割に身体は小柄で、身体を隠すみたいに少し大きめの作業着の様な服を着ている。そして、ドノヴァンを睨んでいる為に少し目つきが悪くなっているが、その瞳は赤くルビーの様な色をしており、肌の色は雪の様に白くも顔付きは幼く可愛らしい印象を受ける。
そんな少女に対して、アレルは見た目に反して随分な不良口調で喋るなと感じる。どこか、雪兎の様な見た目をしているのに、下手な事を口にしたら噛み付かれそうな勢いだとアレルは思う。ただ、アレルはドノヴァンが一言発した言葉を疑問に感じて首を傾げる。
「育ての親?」
「ん? ああ、そんなんじゃよ。コイツは、親を失ったんだか捨てられたのか知らんが、一人で盗みや物乞いで生活していた所を儂が拾ってやったのよ」
「拾ってくれなんて、頼んじゃいねぇけどなッ」
フンッと、ラーパと呼ばれた少女は腕組みをしつつ、ドノヴァンから顔を背ける。ただ、ドノヴァンはアリシアの萎縮した様子を見て、そんなラーパに指示を出す。
「ラーパ、今の言葉は聞かなかった事にしてやるから、馬車から馬を外して裏の馬房へ連れて行ってくれんか?」
「チッ、解ったよッ」
そう言うと、これまでの勢いが鳴りを潜めてラーパは馬達を馬車から外して勝手口の方へ引っ張って行ってしまう。
アレルは、ドノヴァンとラーパのやり取りに唖然としていた為に止める事すら出来なかったが、馬達が連れて行かれた事に難色を示す。
「なあ、馬達をどうするんだ?」
「ああ、安心せい。仕事が終わったら、アンタ等の宿まで運ぶのに馬なしではどうにもならん。心配せんでも、こっちで世話はちゃんとさせてもらうでな」
「そうか······」
返す言葉で、その意図を聞いたアレルは自身の早とちりで変な事を想像したのが申し訳なくなる。しかし、ドノヴァンはそんな事など全く気にせずにアレル達へ声を掛ける。
「それより、アンタ等もそこから降りてくれんか? それと、儂は何をすればいいんかの?」
言われて、アレルは御者台に座りっぱなしだった事と、依頼内容を伝え忘れていた事を思い出す。なので、アリシアの手を引きつつアレルは御者台から急いで降りる。
「降りられるか?」
「うん······」
御者台に不慣れなアリシアへ手を貸しつつ、二人で御者台から降りたアレルはドノヴァンへと向き直る。
「それで、依頼内容なんだが──」
「待ってくれんか? お嬢さん、アンタはラーパについて何か気付いておるのかな?」
しかし、何故か話を進めようとするアレルを遮り、ドノヴァンはアリシアの事を真っ直ぐに見ながら訊ねる。
ただ、そんなドノヴァンの視線から逃れるみたいにアレルへ身体を寄せるアリシアは、怯えるというよりもどこか腑に落ちないという様な表情をしている。それは、一体どういう事なのかと思いながらも、アレルはただアリシアの言葉を待つ事しか出来なかった。




