一章〜非望〜 六百五十四話 伝えられる状況
話がある、そう言われたアレルは頭を下げたままの従業員を無視して、アリシアの方へと視線を向ける。すると、やはりアリシアはどこか不安げな表情をしており、アレルはまずアリシアの方をどうにかしなければと思う。
「アンネ、大丈夫か?」
「えっ······あっ、うん。大丈夫······だよ」
そう口にはするものの、アリシアはアハハと力の無い笑みを浮かべている。なので、アレルはこうなれば仕方ないと、最悪ツェーンへ向かう事になったら明日行けば良いと思いアリシアの精神面の方を優先する。
「なあアンネ、この町の東側に広場があって露店なんかも出ているらしいんだ。後で、馬車を預けられたら一緒に覗いてみないか?」
「露店······」
そう漏らすアリシアの瞳の奥が、その瞬間だけ僅かに煌めくのをアレルは見逃さない。
「でも、荷台の荷物を下ろさないと馬車も動かせないからさ、暇潰しにコイツの話を聞いてくるよ。だから、その間待っててくれるか?」
アレルは、視線だけでアリシアのローブの下の小物入れを一瞥し、暗に瑠璃と一緒にという意味を匂わせる。すると、アリシアにもその意図は伝わったみたいでスッと表情を綻ばせて頷きを返してくる。
「うん、分かった。約束だよ」
「ああ、約束するよ」
アリシアにとっての約束は、相手を信じたいが為のものである事をアレルは知っている。それ故に、そんなアリシアを失望させる訳にはいかないとアレルは決意を固めつつ従業員へと視線を移す。
「って訳だ。話があるなら、場所を変えようか」
アレルは、未だ頭を下げたままの従業員へ告げる。それに、従業員はありがとうございますと、アレルにだけ聞こえる様に呟いてからようやく頭を上げる。
「では、こちらへ」
そう言うと、従業員は部屋の外へと歩いていったので、アレルは追いかける前にもう一度だけアリシアへ振り向く。
「直ぐ戻るから」
「うん」
そして、部屋の外へと足を向けながらもアレルは、精神感知で瑠璃に声を掛ける。
(アリシアの事、頼むな)
──はい、ルリにお任せ下さいっ!
その、いつも通りの瑠璃の返事に安心したアレルは、部屋から出ると扉に挿したままの鍵で施錠をしてからそれを抜いて従業員の後を追う。そうして、従業員の背中を追って廊下を歩くと、従業員は階段の先のカウンターの真上に位置する場所で足を止める。
「それでは、ここでお話し致しましょうか。お連れ様を、待たせてもいますし」
「良いのか? こんな、誰に聞かれるとも判らない開けた場所で」
「この時間ですからね、アレル様方の他に客などいませんよ」
アレルの問いに、客対応を止めた従業員はその口調を少しだけ変えてくる。ただ、その変わり身の様子から、やはりどこかハインリヒを思わせる感じがしてくるのでアレルは少しカマをかけてみる。
「それで、ハインリヒの教え子が俺に何の用なんだ?」
そう訊ねると、従業員はあからさまに目を見開き驚いた表情を浮かべる。
「あの、私は口を滑らしたりはしていないと思っていたのですが?」
それに、アレルは肩を竦めて返す。
「何となく、そう思っただけだよ。つうか、そんな判り易い反応して良いのかよ」
「い、いえ······全然駄目ですね。だから、私は今回の件から外されのでしょうね」
アレルの言葉に、ハッとした従業員は落ち込んだ様子を見せてそんな事を口にしてくる。しかし、アレルにとってはそんな事はどうでも良いので早く本題を話してくれと思う。
すると、頭を振って気持ちを切り替えたのか、従業員はアレルが催促する前に自ら話し始める。
「アレル様のご明察通り、私はハインリヒ教官の教え子の一人でルチアーノと言います。アレル様には、拉致された元黒羽根の一件でお伝えしたい事があります」
「それって、俺が聞いても良い話なのか? それと、ハインリヒの教え子って事はやっぱりルチアーノも黒羽根なのか?」
アレルの疑問に、従業員──ルチアーノは静かに頷いてから口を開く。
「それには、両方ともはいと答えさせてもらいます。どちらかといえば、忠告の意味合いが強い話なので」
「忠告?」
「ええ、まず最初に確認しておきたいのですが、アレル様は今回の件でどの様な動きがあるか把握してますか?」
そう問われ、アレルはここまでの経緯を振り返り、メッサー達が妻子の救出に動いている事とハインリヒの教え子達がそれに対抗して動いている事を思い出す。
「そうだな、取り敢えずメッサー達には妻子の救出を優先した方が良いって言ったのは俺だし、その後で会ったハインリヒからは別枠で教え子達を動かしているとは聞いたな」
「では、もう一つ諜報班が動いている事は?」
「ハインリヒから、三つの班が動いているって聞いてる」
成る程と、ルチアーノは一度言葉を区切ると、少し沈黙した後で再び話し始める、
「それでしたら、順を追って説明しましょう。まず、妻子が捕らわれている場所を突き止めた救出班が動いたのですが、救出は失敗しました」
「は? メッサー達が、しくじったのか?」
「いえ、メッサー達がその拠点に踏み込んだのですが、妻子はそこにはおらず諜報班の調べが足りなかったという事で他の候補を、おそらく今夜辺りに襲撃するかと思われます」
一瞬、メッサー達に対して何をやってんだと思ったアレルだったが、調べが足りなかったのなら仕方がないと思い直す。
「んで?」
「ここからが少しあれなんですが······その諜報班の一人、拉致の首謀者が潜伏している場所を調べていた者が、私の同期へその情報を伝えた後に消息不明となっています。そして、更に不可解なのが······その私の同期も、昨夜から定時連絡が途絶えています」
「定時連絡? そんなに、密なやり取りをしていたのか?」
「はい······今回、同期で一人だけ外された私を気遣い一日に一度だけではありましたが、それが今日は無かったんです」
この際、連絡を取り合っていた事はどうでも良い。問題は、潜伏場所を伝えた直後に消息不明となった諜報員と、その潜伏場所を知ったルチアーノの同期とも連絡がつかない事だとアレルは考える。
まず、普通に考えれば諜報員が消息不明になったのは、拉致犯側に捕まったというのが理由だろう。ルチアーノの同期に関しても、現場で不測の事態が発生した為に連絡する余裕がないだけかもしれない。だが、最悪を想定するアレルの考えではまるで違う考えが生まれる。
「それを、ルチアーノはどう考える?」
「かなり希望的観測が入りますが、諜報員の一人が裏切って誤った情報を伝えられた為に、同期達は罠に嵌ったのではないかと」
「まあ、そう考える事も出来なくはないが、それだけは無いだろ?」
「何故ですか?」
「一応、数は少ないけど俺は商会の中でも立場のある人に会った事や人伝に話を聞いた事がある。その人達からは、抜け目のなさや思慮深さを感じた。そんな人達が、最も危険な敵の懐を探ったり、万が一裏切りが出た場合に一転してこちらが窮地に追い込まれる様な役割に、信頼のおけない人物を選出するとは思えない。だから、諜報員が裏切ったとは俺には思えない」
会った事があるのはパメラで、話に聞いたのはディミトリスの二人だけだが、アレルはそのどちらにも人選で失敗する様な頼りなさは感じていない。特に、パメラなんて相対してものの数秒で人の事を見透かしてくる様な妙な才能がある。
それ故に、アレルは諜報員の裏切りに関してだけは、ほぼ確実に無いだろうと考える。
「あの、それでは一体同期達の身に何が起きているとアレル様は考えているんですか?」
おそらく、ルチアーノも同期の身を案じているが故に不安なのだろう。まるで、食って掛かるみたいにしてアレルの考えを問うてくる。
それに、アレルはもしかしたらルチアーノの希望を断ち切る事になるかもしれないと思いながらも、その重たくなりつつある口を開く。




