一章〜非望〜 六百五十三話 一旦の落ち着きを得てから
従業員の後に続くと、カウンターからそう遠くない場所に階段が見えてくる。見た感じ、ビルなどで良く見かける壁の奥に設置されているので、踊り場のある折り返し式の内部階段の様だとアレルは判断する。
その階段を上り、アレル達は二階へと上がっていく。そうして、階段を上がりながらアレルは宿に向かって左側にある部屋へ案内されるのだろうなと思う。何故なら、宿は左右対称の造りをしており、今アレル達が上っている階段があったのはカウンターに向かって左側にあるものだった。という事は、当然ながらカウンターに向かって右側にも同様の階段があると考えられるので、左側の階段へ案内された自分達は宿の左側にある部屋へ通されるのだろうとアレルは考えた。
二階に上がると、一階ではカウンターにあたる場所に幾つか椅子を置いて少し休める様にしてある空間があった。そこも、正面が南側に向けられて宿が建てられているので、二階の正面側には割と大きめの一枚ガラスが嵌められている。その為、日が出ている間は明かりなしに廊下を歩ける様にもなっていて、先程の休憩場所も肌寒くなってくる季節に陽の暖かさを感じられる場所とされているのかもしれないとアレルは考える。
そして、当然アレル達が案内される部屋は宿の北側となる訳なのだが、北側の部屋は直射日光が当たらず家具などの日焼けを軽減出来る。そこから、アレルはもしかしたら部屋に置かれている家具類が他に比べて少し高級な物なのかもしれないと思う。
そんな事をアレルが思っていると、前を歩く従業員が西側廊下の中程の辺りで足を止める。すると、従業員はカウンターから持ち出した鍵の一つを直ぐ横の部屋の鍵穴へと挿し込む。
「どうぞ、こちらになります」
ガチャリと、部屋の鍵を解錠した後に扉を開いてみせた従業員がその場を譲ると、案内された部屋の内装が見えてくる。部屋の配置などは、他とあまり変わりがない様に見える。しかし、よく見るとそこかしこに僅かな違いがある事に気が付く。
部屋奥に二台のベッド、入って左側には浴室への扉、その逆にはこれまでには無かったクローゼットみたいな物が置かれている。そして、部屋の中央にテーブルと二脚の椅子があるのは見慣れたものなのだが、それらのどれもアレルがこれまで目にしてきたものとはどこか違う雰囲気を纏っている。
それは、一体どこから感じるものなのだろうとアレルが思っていると、クイッとアレルの袖が引っ張られる。反射的に、アレルがそちらへ目を向けると、そこにはアリシアがいてそっとアレルの耳へ顔を寄せてくる。
「······ねえ、ここの調度品ってそれなりに高価で貴族達に人気のあるものだよ」
「判るのか?」
従業員に聞こえない様に、こっそりと耳打ちしてくるアリシアにアレルは疑問を返す。
「うん······何度か、お城へやって来た商人が持ってきてたりしたから。でも、大概は貴族にはこちらが人気ですがって見せるだけで、お父様にはもっと良いものを勧めてくるんだけどね」
それだけ伝えると、アリシアはスッとアレルから身体を離してしまう。
ただ、アリシアから話を聞いたアレルは、御用商人もちゃんと商売してんだなと思ってしまう。貴族と王族、ちゃんとその辺の格差を勧める商品で示す辺り、やはりやり手の商人がそういった役割に選ばれているんだろうとアレルは考える。
「それでは、隣の部屋も開けて参ります」
すると、従業員はそれだけアレルに伝えるとメリルとミリアを連れて隣の部屋へと足を向ける。なので、アレルはアリシアと一緒に部屋へ入るかと、手にしている荷物を少し持ち直す。
「それじゃ、中に入るか?」
「うん」
アリシアの返事に、一旦荷物を置いたら直ぐにカルラスへ向かうつもりのアレルは、先にアリシアを部屋へと入れると、持って出掛けるつもりの鍵を扉へ付けたままで部屋の中へと入る。ただ、その行為はアリシアがついてくる前提だと気付き、アレルは前を行くアリシアへ声を掛ける。
「なあ、この後馬車の整備に行くけど、一緒に来るか?」
「うん、だって私が部屋に残るとルリちゃんにも我慢させちゃう事になるでしょ? だから、私も一緒に行くよっ」
首だけで振り向き答えるアリシアは、そのままどこか軽やかな足取りで当たり前の様に向かって右側のベッドを陣取る。なので、やはり鍵はそのままで大丈夫かとアレルは向かって左側のベッドへ荷物を置きに動く。
──あの······なんか、ルリが言い訳に使われているみたいな気がするのですが?
(······まあ、アリシアなりに断られない様にこじつけたんだろ? 悪いけど、複雑な乙女心って事にして流してやってくれ)
精神感知で、アレルは自身も理解出来ない乙女心というものを理由に瑠璃を説得する。
──主様がそう言うのであれば、ルリはそれで構いませんよ。特に、不満がある訳でもないので。
(悪いな)
──いえいえ。
そんな風に、アリシアが持つ小物入れに隠れる瑠璃は返してくるが、未だ近くにいる従業員を警戒してか姿を現す事はしない。そんな瑠璃に、やはり姿を現すのは自分とアリシア達の前でだけなんだなとアレルは思いながら、ベッドの上へ自身の荷物を無造作に置く。
すると、アリシアの方も荷物を置き終えたのか、アレルの肩をツンツンと指先でつついてくる。
「ねえ、もう行く?」
「そうだな······その前に、一応確認はしておくか」
アレルは、それだけ口にすると速やかに浴室の扉を開けに動き、中に誰かいないかを確認するとクローゼットに対しても同様の事を行う。ただ、アリシアを不安にさせない様にクローゼットを閉めてから、中を指差してアリシアへ顔を向ける。
「せっかくあるのに、使わないのか?」
「うん······何日か過ごすなら使うかもしれないけど、一日だけなら忘れ物しそうだから」
「ああ、アンネって意外とうっかりしてるからな」
「そ、そんな事ないもんッ! 私だって、ちゃんと······しっかり、し······してる、よ?」
アレルの弄りに、反射的に反発したのは良かったものの、反論しながら何かを思い出したのかアリシアは言葉尻が疑問形になってしまう。その反応に、アレルは思わず笑ってしまう。
「プッ、アハハ······俺に訊かないでくれよ」
「もうッ、またそうやって笑うんだか······ら──あっ!?」
笑うアレルに、憤慨する様子を見せたアリシアだったが、急に何かを思い出したみたいに声を張り上げる。それに、少し驚いたアレルだったが取り敢えず訳を訊いてみる。
「どうしたんだ、一体?」
「えっと、その、だって······今、馬車の中の荷物下ろしているんだよね? 私、自分で作った蜂蜜漬け忘れてきちゃった······」
言いながら、アリシアは途方に暮れた様子でシュンとしてしまう。
そんなアリシアへ、何かを言って安心させてやらないととアレルが言葉を選んでいると、そこへトントンと開けたままの扉を誰かが叩く。
「お客様、その様な心配なさらずとも、馬車が戻り次第こちらで載せてあった通りに荷物をお戻し致します。勿論、荷物を傷付けたり失くしたりなども致しませんので」
「······って言ってるし、大丈夫だろ? 何なら、今からでも蜂蜜漬けを取りに戻れば良いしさ」
そう言うと、アリシアはフードを目深に被り直してから小さく頷いて返す。
「うん······アレルが、そう言うなら大丈夫······かな?」
「そこは、言い切って欲しかったけどな。······んで、何か用でもあるのか?」
どうにか、アリシアが落ち着いてくれたみたいなので、アレルは視線をアリシアから扉の前に立つ従業員へと向ける。すると、従業員は姿勢を改めてからアレルへ頭を下げる。
そして、その頭を下げた体勢のまま従業員はアレルへ用件を告げてくる。
「アレル様、少々お話ししたい事が御座います。出来れば、お一人で私についてきては頂けませんか?」




