一章〜非望〜 六百四十二話 小さくとも頼もしき相棒
どこか浮ついた気持ちになっていたアレルだったが、それが隣で見ていたアリシアにも伝播した様で、始めは怒っていたアリシアもアレルの笑いに釣られてクスクスと笑い始める。そうして、少しの間二人で笑い合っていた訳だが、ふとした瞬間我に返ったみたいにアリシアが真顔に戻る。
すると、途端にアリシアは不満気な表情を浮かべてアレルの事をにらんでくる。
「もうッ、何で私まで笑うしかないの?」
「いや、それって俺のせいなのか?」
「······他にいないでしょ?」
ジト〜ッと、釣られて笑ってしまった事に対してにらんでくるアリシアに、責任転嫁されてしまったアレルは少し理不尽ではないかと思う。
──アリシア様のは、照れ隠しの様にルリには思えますけど。
(これが、か?)
──主様、時として女心とは男性には理解の出来ないものなのですよ。
アリシアに不満をぶつけられながら、アレルは精神感知でのやり取りで瑠璃からそんな言葉をもらってしまう。それに、女心への理解が足りていない自覚のあるアレルは、ぐうの音も出なくなる。
そこへ、まるでアレルへの助け舟が如く、宿の中からミゲルが戻って来る。
「お待たせしました」
ミゲルの声に、僅かに肩を震わせたアリシアではあったが、いつもの様にアレルの背中に隠れる様な事はせずにそのままアレルの隣で佇んでいる。本当は、他者に対しての恐怖心が克服出来ていないはずなのに、ミゲルが自身の出自を気にすると思いアリシアは頑張って隠れたくなる気持ちに耐えている。
そう感じたアレルは、直前までのやり取りを水に流して頑張ってるアリシアを庇うみたいに、ミゲルへ対応する体を装ってミゲルとアリシアの間にスッと入る。
「いや、待ってはいないよ。悪かったな、わざわざこんな事まで頼んでしまって」
「構いませんよ。私も、昨日はお連れ様に無礼を働いてしまった様なので」
言い終わりに、ミゲルはアレルが背中に庇うアリシアへ深々と頭を下げる。
それには、流石に露骨過ぎたかと自身の行動を反省したアレルではあったが、ミゲルの表情がどこか清々しいものだった為に考え過ぎかと思った。すると、ミゲルは手にしていた封書をアレルへ差し出してくる。
「こちらが、マスターからの紹介状になります。アーフェンの、カルラスという店にいるドノヴァンという方を訪ねて下さい」
「アーフェン、カルラスって店のドノヴァンだな。覚えたよ」
復唱しながら、アレルはミゲルから差し出された封書を受け取る。すると、ミゲルはこれで自分の仕事は終わりだと言わんばかりに、アレル達へ正面を向けたまま一歩下がって頭を下げる。
「それでは、旅のご無事を祈っています」
「ああ、そっちも元気でな」
「はい、では失礼します」
どこか素っ気なく、ミゲルはそれだけのやり取りで踵を返して宿の中へと戻っていく。ただ、本来はこれぐらいが普通で、ロバートを始めとしたクリムエーラ関係の者達がこれまで過剰だったのかもしれないとアレルは思う。
すると、ミゲルの姿が完全に見えなくなってから、アレルの外套の端をクイクイっと誰かが引っ張ってくる。
「ん?」
アレルが顔をそちらへ向けると、やはりそこにはアリシアしかおらず、どこか恥じらうみたいな様子を見せている。
「······ねえ、どうしていつも私を助けてくれるの?」
その言葉から、やはり先程のアリシアを庇った動きは露骨過ぎたなとアレルは少し反省する。ただ、ここで助けたなんて口にしようものなら、アリシアに自分を責める理由を与えてしまうと感じたアレルは、肩を竦めて白を切る。
「助けたって、何の事だよ? 俺はただ、ミゲルからこの紹介状を受け取ろうとしただけだろ?」
アレルは、手にしている紹介状をアリシアにも見せて惚けた表情を浮かべる。すると、アリシアは外套を掴む手にキュッと力を入れて俯いてしまう。
「······嘘つき······アレルのバカ」
その反応に、やはり誤魔化したのは悪手だったかとアレルが後悔した瞬間、バッとアリシアが俯かせていた顔を上げてくる。
「なんてねっ、さっきはありがとアレル! ねえ、私が俯いてドキッとした? でも、アレルが惚けるのがいけないんだからねっ。アレルのバ〜カ」
「は?」
ありがとと、満面の笑みで礼を伝えたかと思えば、そうして無邪気に悪戯のネタばらしをアリシアは嬉々としてアレルへしてくる。しかし、そんなアリシアの反応にアレルが戸惑っている間に、アリシアはスッとアレルから離れて馬車の荷台へと軽やかな足取りで向かってしまう。
「ほら、早く出発しないとまた遅れちゃうよ!」
「あ、ああ······」
そう言って、荷台へと乗り込むアリシアを見送ったアレルは、暫し目の前で起こった事に対して呆然としてしまう。
──主様、あのルリから言う事ではないのかもしれませんが、アリシア様は主様の気遣いに気付いたからこそ、あの様に気丈に振る舞われているのだと思います。
と、瑠璃から言葉で我に返れたアレルは、それでようやく合点がいった。ただ、そんなアリシアに対して思う事があるアレルは、精神感知を使って瑠璃に愚痴を漏らしてしまう。
(んな事、しなくても良いだろうに······)
──そうかもしれませんが、きっとアリシア様もルリと同じで主様の力になりたいと思っているのではありませんか? だからこそ、いつまでも心配されるだけの立場でいたくないと抗っているんだと思います。
言われてみれば、先程ミゲルにアーフェンの職人を紹介するかと問われた時、悩んでいた所に口を挟んで助けてくれたのはアリシアだった。もし、これが少し前のアリシアならば、自身の判断に任せてアリシアは何も言ってくる事は無かっただろうとアレルは考える。
それに、他者に対して恐怖心を抱いているのは変わらないはずなのに、少しずつではあるもののアリシアはそれにさえ立ち向かっている様な姿勢を見せている。そんなアリシアからは、自分と同じく変わろうとしている気概が感じられ、アレルは何とも言えない気持ちになる。
変わろうと、強くなりたいと願った際に感じる無力感、何に対してか解らない申し訳なさや足りない時間に対する焦燥感、時に挫けそうになりながらも歯を食いしばり耐える辛さも知るアレルには、今のアリシアの気持ちが痛い程に理解出来てしまう。それでも、やはりそんな思いをアリシアにはして欲しくなくて止めたい気持ちが溢れてくるが、アリシアの気持ちを理解出来てしまうからこそ意思を尊重してやりたいという気持ちも強くなる。
そんな板挟みの思いに、アレルは自身の胸に形容し難い痛みを感じる。
(見ているだけで、何もしてやれないのはキツイな······)
──それ、主様が言ってはならない事だとルリは思います。だって、それはいつも主様を見ているルリやアリシア様達が感じている事なのですよ。
フードの中から、どこか咎める様なそれでいて拗ねてもいる様な、そんな瑠璃の気持ちが伝わってくる。それに、アレルは出発前だというのに意気消沈してしまう。
(相手の立場になって、初めて己の愚かさを知るなんて皮肉過ぎるな)
──それでも、主様は主様の思う通りにやって下さい。足りない部分は、ルリが頑張って支えますので!
(瑠璃?)
──主様が頑張りすぎて倒れそうなら、その背中を支えます。傷付いて、動けなくなったならばその傷を癒します。そんな風に、助けが必要な時は言われずともルリが主様を助けます。だから、主様もアリシア様に対してその様に見守れば良いとルリは思います!
思えば、瑠璃は最初から自身の強くなろうとする部分を見続けてきていた。そんな瑠璃にとって、今の自身の悩みなんてとっくに乗り越えていた事で、なんて事はないと解決策まで提示してきてくれているとアレルは感じる。
そんな瑠璃に、アレルは元気づけられたせいか不思議と身体の奥底から力が湧いて、自然と口元には笑みが浮かぶ。
(そうだな、瑠璃の言う通りだ。本当に、瑠璃には助けられてばかりだな)
──エヘヘ、それはそうですよ。だって、ルリはいつまでもどこまでも主様の味方なんですから!
(ありがとな······それじゃ、出発するか!)
──はいっ!
瑠璃に励まされ、充実した気力と共にアレルは御者台へと足を向ける。ただその胸に、小さくとも強さをその身に秘めた相棒に恥ずかしい姿は見せられないなと、アレルは新たな決意を宿すのであった。




