一章〜非望〜 六百三十八話 朝食の時間を迎えて
どうにか、アリシアを落ち込ませずに済んだアレルだったが、このまま地図を広げっぱなしにしているのも良くないと思い畳み始める。そうして、畳んだ地図をサイドポシェットへしまうと、アレルの肩にいた瑠璃が離れて小物入れの中へ隠れてしまう。
その直後、部屋の扉を叩く音が部屋の中に響いてくる。
「お客様、朝食をお持ちしました」
「ああ、ありがとう。直ぐに開けるから、少し待っててくれ」
そう言いながら、一応アリシアへ目配せするとアリシアも解っているのか、フードを目深に被って自分のベッドの方へ腰掛ける。それを確認した後で、アレルは部屋の扉を開けて朝食を運んできた従業員を招き入れる。
従業員は、配膳ワゴンの様なものから朝食の載ったトレイを二人分手にしてアレルが押さえる扉を通って、それらをテーブルの上へと置いていく。それから、再び部屋の外へ戻るとパン籠を一つと蜂蜜と水に小皿と匙を手にして、これもテーブルの中央に置く。
「あの、昨夜お頼みになった蜂蜜も必要かと思いお持ちしました。余計でしたら、このままお下げしますが?」
「いや、無かったら頼もうと思ってたんだ。助かるよ」
「そうですか。では、私はこれで失礼します」
従業員は、そう言ってアレルと奥にいるアリシアへ二回に分けて頭を下げると、そのままアレル達の部屋を退室していく。そうして、従業員が去った後でアレルが扉を閉めて施錠すると、アリシアがフゥと安心したみたいに吐息を吐くのと同時に瑠璃が小物入れから出てくる。
「別に、二人してそんなに緊張する必要もないんじゃないか?」
「そうは言っても、万が一って思うと緊張するんだよ。ねっ? ルリちゃん」
その時、丁度アリシアの顔の前をヒラヒラと移動していた瑠璃はその場で一旦浮遊し、アリシアに対して二度程羽をチカチカと明滅して返す。
「ほら、ルリちゃんだってそうだって言ってるじゃない」
「ああ、そうだな」
正直な所、瑠璃は別にそこまで緊張なんてしてはいない事をアレルは知っている。何故なら、瑠璃の場合は誰が来ようと自らの姿をヒトの目には映らない様にも出来るからだ。
そして、敢えてそれをしないのはアリシアへの気遣いでもあり、単純に疲れるし煩わしいという理由もあるらしい。そんな瑠璃は、アリシアへ返事をした後でヒラヒラとアレルの方へ飛んできてアレルの肩へと止まる。
「それじゃ、瑠璃のご飯も直ぐに作るからさっさと飯にしよう」
「うんっ」
──はい!
アリシアと瑠璃、二人の返事を聞いたアレルは部屋の扉から向かってテーブル左側の椅子へと腰掛ける。それから、テーブルの中央に置かれた蜂蜜などを手にして、 慣れた手つきで蜂蜜水を作っていく。
その間に、ベッドから立ち上がったアリシアもゆっくりとした足取りでアレルの向かいへと座る。
「うん、今日も美味しそうな朝食だね」
見ると、朝食は主食のパンがパン籠に、それからアレルとアリシアそれぞれに、炒り卵と魚の燻製にサラダ、ポタージュの様にとろみのあるスープが用意されている。割とごく普通の朝食だと思うが、これをわざわざ美味しそうと言うあたりアリシアには物珍しい品揃えなのかもしれないとアレルは思う。
そんな事を思っている間に、蜂蜜水を作り終えたアレルはそれを瑠璃の前にそっと置くと、瑠璃もアレルの肩から離れて蜂蜜水の前にふわりと舞い降りる。
「じゃあ、食べ始めるか?」
言いながら、アレルは両手を合わせてアリシアへ目配せする。すると、ニコッと笑みを浮かべたアリシアも両手を合わせてくる。
そして、互いに言い始めを合わせる為にアレルとアリシアはスゥと呼吸を合わせる。
「「いただきます」」
──ます!
そんな、アリシアと瑠璃の三人の時はお決まりの様になってしまった言葉を合図に、アレルは朝食を食べ始める。
相変わらず、アリシアの食べ方は上品でその所作にも美しさが感じられる。アレルは、アリシアのそういった様子から、まさかとは思うが育ちの良さを勘繰られたりはしないよなと思ってしまう。ただ、直ぐに考え過ぎだなと思い直し、少し過敏になっているなとアレルは感じる。
なので、アレルは変な事を気にしない様にする為に、目の前の食事に集中する。幸いな事に、アリシアは話し掛けられたりしなければ食事中に話をする事は滅多にない。そのお陰で、アレルは黙々と朝食を食べ進める事が出来た。
──主様、少し良いですか?
そこへ、珍しく瑠璃が話し掛けてきたので、アレルは食事の手を緩めながら瑠璃へ精神感知で応える。
(別に大丈夫だけど、どうした?)
──あの、主様は今のものではなく、起床時の能力はお使いになられる気はないんでしょうか?
起床時の能力、つまり風詠を何故使わないんだと瑠璃は問い掛けてくる。
確かに、風詠の方が魔力を微量に消費し続ける精神感知よりも負担は少ない。しかし、それは現状判明している範囲の話であって、未だ能力の全容を掴めていない状態では精神感知よりも有用とは言い難い。
要するに、アレルは瞳の色が変わる恐れも含めて、風詠の未知の部分に対して臆病になっている。それ故に、精神感知の様に気軽に使う気にはなれないのであった。
(そうだな、今はまだ判らない事が多過ぎて気軽に使う気にはなれないな)
──そうですか······でも、それらが判っていけばいずれ使用する事もあるんですよね?
(ああ、それは確かだな。それなりに、便利な能力みたいだしこのまま使わないなんて事にはならないと思う)
そう言うと、瑠璃からはどこかホッとした様な気配がアレルに伝わってくる。
──そうですか、それなら瑠璃は大丈夫です。
その瑠璃の反応から、瑠璃がどういう訳だか風詠を使って欲しいと思っているみたいな様子を察したアレルは、その理由を素直に訊ねてみる。
(なあ、瑠璃は俺に風詠を使って欲しいのか?)
──えっ!? あっ、あの······はい。
アレルの問いに、瑠璃は珍しく歯切れの悪い返事を返してくる。そこから、瑠璃にも話しづらい事なのかと感じたアレルは、無理に聞き出す事はしたくないなとそこで引き下がる事にする。
だが、そうしてアレルが話を切り上げようとした所に、瑠璃が自らその理由を話し始める。
──あの、主様が風詠と呼んでいる能力は、今お使いの能力よりも主様を近くに感じられるんです。そのせいか、使用されていない今は少しだけ遠くにいる様にも感じられてしまって······ルリの我儘で、申し訳ありませんでした。
瑠璃は、そう言って謝るもののアレルとしては謝る必要なんてないと感じていた。なので、アレルは瑠璃に対してその説明をちゃんと伝える。
(別に、瑠璃の我儘の一つや二つ聞いてやるよ。それぐらい、瑠璃にはいつも助けられているんだからさ。だから、そんな事で謝らないでくれ)
──主様······。
(それに、俺も風詠を止めた瞬間は世界に一人きりになったみたいな感覚を覚えたんだ。瑠璃のもそれに近いなら、気持ちは解らなくもないからさ)
すると、食事の途中なのか食べ終わったのかは判らないが、瑠璃が蜂蜜水の小皿から離れて、ヒラヒラとアレルの頬にその身を寄せてくる。
(瑠璃?)
──申し訳ありません。でも、ルリも主様もちゃんとここにいます。······だから、ルリももう大丈夫です!
それだけ伝えると、瑠璃はアレルの頬から離れて再び小皿へと戻っていく。どういう事なのか、アレルには良く解らなかったものの、瑠璃が元気になったならそれで良いかと思う事にした。
しかし、そんな瑠璃とのやり取りを向かいから見ていたアリシアが、首を傾げている事にアレルは気付いてしまう。
「えっと······どうした?」
「えっ? その······ルリちゃんと何かあったの?」
正直、アリシアには風詠の事を伝えていないので、ちゃんとした説明はしづらい。なので、アレルは精神感知で瑠璃にごめんと一言断ってからアリシアへ答える。
「別に、大した事じゃなくてさ。最近、瑠璃が俺に甘えていなかったのを思い出して甘えてきただけなんだ」
「あっ、そういえば最近はルリちゃん私と一緒にいるもんね」
と、アリシアは一応の納得をしてくれたみたいでホッとするアレルへ、瑠璃からの一言が伝わる。
──そう伝えれば、ルリは主様に甘えてもよろしいんですね! ルリは、ちゃんと覚えましたよ!
なんて、瑠璃は含み笑いなんかも交えて冗談めかして伝えてくる。そんな瑠璃の反応に安堵しつつ、アリシアも手を止めていた食事を再開させたのをアレルは確認する。
取り敢えず、瑠璃も元気になったみたいだしアリシアも変に思ってないと確信したアレルは、安心しながら自身も食事を再開させるのであった。




