一章〜非望〜 六百三十七話 話し合いを重ねて
アリシアとの話が一段落し、アレルは朝食が運ばれてくる前に自身のベッドへレイラから貰った地図を広げる。この先、ティエルナ・クレイル領方面とリバッジ方面との分岐路までは大体一日半と少し。やはり、昨日の雨であまり進む事が出来なかったせいで残りの距離もその分長くなってしまっている。
ただ、分岐路の先で少しの間悪路を走行する可能性も出てきたので、今日もどこかの町に宿泊し馬車の足回りを点検してもらう必要もある。それ故に、アレルは雨での遅れも却って悪くはなかったかもしれないと考える事にした。
「アレル? 何か、問題でもあるの?」
そこへ、アレルが地図とにらめっこをしている事を不審に感じたのか、アリシアが問い掛けてくる。
「いや、問題はないよ。ただ、この先の分岐路に王都からの兵士がいるかもしれないって話があっただろ? だから、少しこの先の予定を考えていただけだよ」
「そうなんだ······なんか、ゴメンね。私が、もっと国内の情勢に詳しければ相談に乗れたかもしれないのに」
何故か、少しも悪くないというのにアリシアは酷く申し訳なさそうな表情をする。それを、地図から目を離して見ていたアレルは、首だけでなく身体もアリシアへ向けてから首を左右に振る。
「アリシアが謝る事なんて、どこにも無いだろ? それに、それを言うなら、そんなのは演習や遠征なんかで出歩く事の多かったであろうミリアの役目だ。まあ、ミリアなら食い物の事しか覚えてなさそうだけどな」
と、アレルは肩を竦めて呆れてみせる。すると、アリシアは軽く握った手で口元を隠してクスッと笑う。
「うんっ、ミリアって帰ってきても何が美味しかったとかしか話してくれなかったよ。でも、野営の時はご飯が美味しくないから、野営の無い演習なら良いのになんて言ってた」
「いやいや、野営含めて演習なんだろがっ」
──本当に、あの者は愚かですね。
アリシアの話に、アレルの呆れと共にその肩に止まる瑠璃までもがミリアの事を貶してくる。そんな反応を見て、アリシアもどこか和んだ様子でその表情もどこか柔らかくなる。
「うん、でもね······ミリアはそれで良いと私は思うんだ」
「まあ、愉快な奴だとは思うからな」
──ただの愚か者ですよ。
アリシアには伝わらない瑠璃の声に、アレルはどうして瑠璃はここまでミリアを嫌うのだろうかと思ってしまう。そんな思いが表情に出てしまったのか、そこへアリシアが不思議そうな顔を向けてくる。
「ねえ、もしかしてルリちゃんが何か言ってるの?」
「ん? ああ、ミリアはだだの愚か者だってさ」
「う〜ん、なんかルリちゃんってミリアの事嫌ってるよね?」
「まあ、元々夜光蝶が人を嫌ってるし、こうして傍にいる方が普通ではないんじゃないか?」
アレルは、何かしら瑠璃にも嫌う理由はあるのだろうが、それを聞き出す気もないので夜光蝶の習性に絡めてアリシアへの説明とする。それには、アリシアの方も納得したみたいな反応を示してくれる。
「そっか······ルリちゃん、メリルに対してもどこか余所余所しい時あるもんね」
そのアリシアの言葉に、アレルはアリシアが瑠璃のそんな所まで気付いていた事に少し驚く。実は、瑠璃の中には明確な好き嫌いが存在していて、アリシアとメリルのそれにはそれなりの差が存在している。
瑠璃としては、アリシアに対しては明確な好意を持っているが、メリルに対しては他の人に比べればという気持ちに近い。ただ、これもどちらかといえば珍しい方で、瑠璃はほとんどの人間に対して好ましく思っていない事の方が多い。
しかし、アレルがそれを知っているのも、瑠璃と会話をする際には出会った当初みたいにある程度感情が伝わるからであり、それがないアリシアが瑠璃のそういった部分を察していた事には素直に驚きが隠せない。
「ねえ、そういえば今日はどこまで行くか決まっているの?」
そんな驚いてるアレルへ、アリシアは瑠璃の事に関しては納得したみたいで、今日の予定を訊ねてくる。どうやら、アリシアの興味はアレルが広げていた地図へと移ったみたいだった。
そのアリシアに対して、気を取り直す為に少し頭を振ったアレルは、咳払いを一つ挟んでから応える。
「そうだな、昨日は雨で思う様に進めなかったし、本来の予定より少し遅れているんだ。でも、この先王都の兵士が派遣されてる所なんかもあるらしいから、そんな所で足を止めない為に一度馬車の足回りを点検しておきたいと思ってる。だから、分岐路の手前······二つか三つ前の町辺りで、馬車の点検を頼もうかと思ってるんだ」
「それって、どの辺り?」
スススと、アリシアはそう訊ねながらアレルの隣までやって来ると、ベッドに広げられている地図へと目を落とす。なので、アレルも再び地図を見ながらおよその位置を指差してみせる。
「この辺になるかな」
「アーフェンに、ツェーンのどっちかだね。······それなら、ツェーンの方が良いかもしれない」
「何か、理由があるのか?」
アレルが訊ねると、アリシアは視線を地図からアレルへ移した後でコクンと頷きを返す。
「馬車の点検をしたいって言ってたでしょ? 確か、ツェーンには腕の良い職人がいて、ブルックス領に行く事があるならそこで馬車を頼むのが貴族の間で通例みたいになっているって聞いた事があるの」
「へえ、でもそんなに人気なら先々まで予定が詰まってて、点検なんてしてもらえないんじゃないか?」
「うん、そうかもしれないけど診てもらえる事もあるかもしれないでしょ? どうせ点検してもらうなら、腕の良い人にしてもらった方が良いかなって······思ったんだけど」
アリシアは、言葉尻に向かうに従ってその自信のなさからか、段々と声に勢いがなくなっていく。そんなアリシアに、アレルはその頭をフード越しにポンポンと優しく撫でる。
「アレル?」
「さっき、相談に乗れないなんて言ってたけど、充分相談に乗れてるじゃないか。ありがとな、参考になったよ」
「でも······それは、アレルがある程度考えてくれていたから思い出せた事で、私がどうにか出来た訳じゃないし」
尚も、そうして自分を卑下するアリシアに、アレルはアリシアの頭に置いた手を更に撫でる。
「そうやって、一人で何でも出来る様になったら他の人なんて必要なくなっちゃうなんて口にしたのは、どこの誰だったかな?」
その言葉に、ハッとしたアリシアは俯いていた顔を上げて、その僅かに紅潮させた顔をアレルへ向けてくる。
「そ、それはッ──もうっ、アレルの意地悪ッ!」
「アハハ、ごめんって。でも、そういう言葉は自分に返ってくるもんだろ? 俺の考えを改めさせたんだ、その責任ぐらい取ってくれよ」
そう言って、アレルは再度アリシアの頭をポンポンと優しく撫でてからその手を離す。すると、アリシアはどこかシュンとした様子を見せてアレルへ訊ねてくる。
「良いのかな? 私······頼ってばかりで、こんな事ですらアレルがいないと助言も出来ないのに······」
「それを言ったら、俺なんて色んな人の力を借りてここまで何とかやってきたんだ。人の手を借りちゃいけないなんて事になったら、俺なんて今のアリシアと比較してどんなに惨めな事になるのか判らないよ」
その言葉に、アリシアはムッとした表情をアレルに返してくる。
「もうっ、そうやってアレルはいつも自分の方が酷いって私の事を励ますんだからッ! ······でも······でもね、やっぱりありがとアレル」
アリシアの言う通り、自身の励まし方はどうなのかとアレルは思ってしまう。しかし、感謝を口にすると共に浮かべられたアリシアの微笑みを目にしたアレルには、そんな事ぐらい些末事だなと思えてくるのであった。




