一章〜非望〜 六百三十六話 妖精との絆と些細な約束
身支度を終え、浴室から出る前にアレルは一つだけやっておきたい事があるのに気が付く。それは、起床から使用状態が続いている風詠についてで、これを止める方法を聞いていなかった為に考えられる事を試さないといけないとアレルは思った。
使っている感じでは、精神感知の様に微量ながら魔力を消費している感覚がない。つまり、風詠に関しては魔力を消費していないか精神感知よりも少ない消費で済んでいるか、または魔力ではない闘気などを消費している可能性がある。
ただ、何にせよ何かしら消費していると仮定するなら止める方法が判らない事は、消費している何かを枯渇するまで使い続けてしまう事に繋がる。なので、アレルは一先ず精神感知を切る時と同様の感覚で風詠を止めようとしてみる。
(······瑠璃、聞こえているか?)
──はい、何でしょうか?
風詠が切れているか、それを確かめる為に瑠璃へ話し掛けたものの返事が返ってきた事でアレルは試みの失敗を悟る。
(いや、ごめん。風詠を止めようとしてるんだけど、上手くいかなくてさ)
──そうでしたか······あの、主様はそれを使う時にどうやって始めましたか?
アレルが、許可も取らずに試みに巻き込んだ事を瑠璃に謝ると、瑠璃はそれについては何も言わずにアレルへ協力するみたいな事を口にしてくる。その事に、朝から随分と瑠璃には世話になっていて申し訳ないとアレルは感じる。
(始めは、確か風の精霊の声を聞くみたいな感覚でって始めたな。······それより、今日は朝から世話になりっぱなしで悪いな)
──いえいえ、ルリは主様のお役に立てる事が嬉しいんです。なので、気にしないで下さい。
(いや、そうは言っても······違うな。ありがとな、瑠璃)
アレルは、まるで自身と共にいる事が全てだと言ってるみたいな瑠璃に、それ以外にも何かあるはずだと言おうとした。しかし、それは瑠璃の望みや意思を否定する事にもなるかもしれないと感じ、瑠璃のその献身に感謝を伝えるだけに留めた。
だが、今は風詠でいつもより心が伝わりやすいのか、瑠璃が嬉しがっている様な何かがアレルへと返ってくる。
──そんな主様だからこそ、ルリはお力になりたいと思えるのですよ。
そこへ、言葉でも瑠璃からそんな風に返ってくるので、アレルは自身の心もある程度瑠璃へ伝わりやすくなっているのを悟る。
(なんか······便利なんだか不便なんだか、よく判らない能力だな)
──ですね。では話を戻しますが、止めたいならば始めた時と逆の事をしてみては如何ですか?
(逆?)
──はい、声を聞くみたいな感覚でと仰っていたので、今度は耳を塞ぐ感覚でやってみるとかはどうでしょうか?
確かに、瑠璃の言う事には一理ある。そう感じたアレルは、他に何か考えがある訳でもないので取り敢えず試してみる事にする。
(分かった、やってみるよ。本当にありがとな、瑠璃)
──いえいえ。
そうして、瑠璃との会話を一旦終わらせたアレルは、瑠璃の提案通りに風の精霊達の声を聞かずに耳を塞ぐ様な感覚で風詠の遮断を試みる。
すると、僅かに感じていたそよ風の様なものが段々と凪いでいき、暫くそうしているとピタリと風が止む。そこで、アレルは何故か世界に一人だけになったみたいな空虚感を味わうも、風詠を止められたかを確かめる為に瑠璃に呼び掛ける。
(瑠璃? 聞こえるか?)
しかし、アレルには何も返ってこない。そこで、アレルは使い慣れている精神感知を使って再度瑠璃へ呼び掛けてみる。
(瑠璃、さっきのは聞こえていたか?)
──いえ、今聞こえた声だけです。あの、これをお使いだという事は、止める事が出来たのでしょうか?
瑠璃は、風詠と精神感知の違いを感じたのか、そんな事を訊ねてくる。ただ、当のアレルも本当に止められたのかは判らないが、瑠璃の返事が無かった事と今の瑠璃の発言を踏まえて成功したのだと考える。
(ああ、一応出来たみたいだな。付き合ってくれてありがとな、瑠璃)
──お役に立てたのなら、それだけでルリには充分です。それよりも、アリシア様がお待ちなので早めに戻ってあげて下さい。
(ああ、解った。直ぐに戻るよ)
そう言って、精神感知を止めたアレルは脱いだ服などを持って浴室から出る。すると、部屋のカーテンは開け放たれており、アリシアもローブを着込んだ上でフードを被りベッドへ腰掛けていた。
「あっ、アレル······なんか、遅くなかった? まさかとは思うけど、中で寝てたりしてないよね?」
ジトーッと、アリシアからあらぬ疑いの目を向けられたアレルは、何でここまで今朝は突っかかってくるんだと辟易する。そんなアリシアに、その手に止まる瑠璃は無言ながら羽をパタパタと動かしアレルを擁護してくれてるみたいだった。
「してないよ。ってか、瑠璃もそんな事はしてないって否定してるだろ?」
「だって、ルリちゃんはいつもアレルの味方なんだもん······」
「まあ、それは······なあ」
と、アレルが少し困った様な反応をすると、瑠璃が気を利かせてアリシアの周囲をクルクルと飛び回り最後にその肩へと止まる。その動きは、声の聞こえないアリシアからすれば、瑠璃がそんな事はなくアリシアの味方でもあると言ってるみたいに見えただろうとアレルは思う。
実際に、アリシアはそんな瑠璃に対して穏やかな微笑みを向ける。
「もう、ルリちゃんもアレルなんて放っておいて、ずっと私の所にいない?」
おいコラと、アレルは心の中でツッコミを入れるものの、瑠璃はパタタと羽を動かしつつアレルに言葉を伝えてくる。
──主様、一応伝えておきますけど、アリシア様も本気で言ってる訳ではありませんよ。アリシア様も、本音ではルリの事よりも寧ろ主様の心配をなさってますから。
(解ってる······俺が、もう少し心配なんてさせない奴ならアリシアの不安も少しは減るんだろうけどな)
アレルは、精神感知で瑠璃へ答えながら自身のベッドへ近づき、持っていた荷物を片付ける。
「ほら、ルリちゃんも私といるって言ってるんじゃないの?」
「······そうだな、瑠璃が本当にそうしたいなら俺は構わないけど」
言いながら、アレルは浴室には持ち込まなかったレザージャケットを着込み、壁掛けの帯剣ベルトを手にして付随したままのナイフ帯とソードクラッシャーと共に身に着ける。
しかし、そこへアリシアの肩から離れた瑠璃がヒラヒラとアレルの方へと飛んで来て、帯剣ベルトを身に着け終えたアレルの肩へ止まる。それに、アリシアは少し不服そうな顔をするも、直ぐにそんな瑠璃に対して微笑みを向けてくる。
「やっぱり、ルリちゃんはアレルと一緒が良いんだね」
──主様······その、ルリは······。
(大丈夫だよ。瑠璃が誰と一緒にいようが、見捨てたりなんかしないから安心してくれ)
頼りになる所を見せたかと思えば、瑠璃はこんな風にどこか可愛げのある部分も見せてくれる。そんな瑠璃の存在に、自分は随分と救われているなとアレルは改めて感じる。
「そういえば、アリシアは昼に何が食べたいか決めたか? 段取りなんかもあるから、早めに言って欲しいんだけど」
「えっ? 本当に、作ってくれるの?」
「当たり前だろ、自分から言い出した事なんだからさ」
アレルは、アリシアに答えながらサイドテーブルの前まで歩き、そこに置いてあるサイドポシェットを手にしてそれを身に着ける。そんなアレルに、アリシアはボソリと呟く。
「······レモンの蜂蜜漬け」
「へ?」
「お昼は何でも良いから、レモンの蜂蜜漬けの作り方を教えて欲しいって言ったら······駄目かな?」
チラリと、そう言われたアレルはアリシアの表情を確認する。すると、アリシアの表情からはどこか真剣さが感じられ、アレルはとても茶化す気にはなれなかった。
「駄目なんじゃないけど、本当にそれで良いのか? 教える程の作り方なんてないんだけど?」
「うん······それが良いの」
「まあ、そこまで言うなら解ったよ。昼食を用意する時に、ちゃんと教えるよ」
「うんっ! ありがとっ、アレル!」
何がそんなに嬉しいのか、アレルには正直理解出来ない。それでも、アリシアはそんな些細な約束に対して本当に嬉しそうな笑みを浮かべてくるのであった。




