一章〜非望〜 六百三十四話 慌ただしい起床
未だ、アレルの意識は波間をたゆたう様な感覚の狭間にあるが、もう先程の不思議な空間の使用権は無くしてしまっている。ただ、どういう訳だか暗闇を漂う感覚に晒される中、アレルの意識に何者かの意思が伝わってくる。
『────』
それは、瑠璃の様にハッキリと言葉になっている訳ではなく、そもそも言葉を知らないといった印象を受ける。それも、不思議な事に伝わる意思は一つにも関わらず、何故か大勢に語り掛けられているみたいな感覚をアレルは覚える。
(これから······いや、これからもよろしくな)
そして、不意にアレルがそんな事を伝えると、その意思はアレルへ好意的な返事を返してくる。その、出会った当初の瑠璃とのやり取りにも似た感覚に、アレルはその意思に対して親しみを感じる様になる。
こうして接してみれば、何となくではあるもののこれまでも身近な所にずっといてくれた存在の様に感じられ、アレルは今まで無視していたみたいで申し訳なく感じる。でも、今接している存在はそんな事は気にしていない様子で、無邪気とも奔放とも思える様な捉え所のない印象を受ける。個でありながら群、群でありながら個。そんな存在達に触れて、アレルは不思議と安らぎを感じられる様になる。
ただ、双剣術のアマデウスが言っていた何か掴めるものもあるという言葉が未だにピンとこない。やはり、実際に起きている時でないと感じられないものなのかとアレルが思い始めると、何かしら身体の方が感じている外部からの刺激にアレルの意識が揺さぶられ始める。
そうして、実際の時間はどれ程のものだったのかは知る事も出来ないが、体感でかなりの時間を過ごした長い夢が終わりを告げる。
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瞼を閉じていても、カーテン越しの陽の光が届いているのを感じる。ただ、それは朝日にしてはどこか弱々しく、もしかしたら外は曇っているのかもしれないと感じる。
既に、ほとんど起きてはいるものの心地良いまどろみに囚われて、アレルはもう少しだけ寝ていようかと甘い誘惑に誘われる。だが、そうはいかない理由をアレルは自身のベッドの間近にある気配から感じていた。
「もう······ルリちゃんだって起きてるのに、まだ起きない」
その、不満とも文句とも受け取れる声に、アレルはせめてあと五分ぐらい寝かせてくれと抵抗を示す。しかし、そうして上掛けの中に頭を潜り込ませようとしたのが災いして、既に半分程起きている事がアリシアにバレてしまう。
「あっ! ねえ、本当はもう起きてるんでしょ? ほら、もう起きないと朝食までに着替えが間に合わなくなるよっ」
と、アレルの無駄な抵抗に対してアリシアは上掛けを剥ぎ取ろうと引っ張り、それに強い抵抗をすると結局は二度寝なんて出来なくなるのを知っているアレルは無抵抗に上掛けを剥ぎ取られる。
「······あのさ、本当に王女なのか疑いたくなる程······乱暴な起こし方じゃないか?」
「残念でしたっ。これは、お母様直伝の寝坊助に対しての起こし方なんだよ〜っ」
「······寝坊助って」
アレルは、仕方なく上半身を起こしながらアリシアに半分程剥ぎ取られた上掛けを取り返しつつ、そんな事を呟いて欠伸をする。
しかし、こちらの世界にも寝坊助なんて言葉があるのかと一瞬アレルは思ったものの、直ぐにそれがフローレイティアの偉業による翻訳の仕業だなと考え直す。それでも、こちらの世界にも寝坊助に相当する言葉はあるんだなと、アレルは実際にはどんな言葉だったんだろうと気になる。
ただ、アレルはここまでのやり取りでアリシア側におかしな点があったのに気が付く。
「なあ、直伝って事はそれをやられた事があるって事か?」
「······どうかな?」
テヘッと、誤魔化すみたいに笑うとアリシアは少しだけ視線をアレルから逸らす。
それでは、もう答えを言っている様なものだろうとアレルは思いつつも、そんなアリシアがいつも自分より早く起きている事にやはり良く眠れていないという事が察せてしまう。ただ、それに気付いたのを悟られてしまうと、アリシアは気を遣って更に眠りが浅くなってしまうかもしれないと思い、アレルはこの場での言及は控える事にした。
アリシアの不眠の原因は、おそらくその胸に抱えている不安なのだろうが、その不安の原因がクーデター関連の事が大部分だとすると直ぐにどうこう出来るものではない。なので、対症療法でしかないが、少しでもアリシアの不安を軽減させてから寝かせる様にするぐらいしか現状では出来ないなとアレルは考える。
「でも、アレルが素直に起きないのも珍しいね。いつもなら、何かやる為に直ぐ起きるのに」
「まあ、少し長めの夢を見たせいで変に疲れたんだよ」
夢での事は、珍しくほぼ全て覚えている。騎士剣を用いた、ルクスタニア流剣術古流を元にアレルなりの独自性を加えた動き。そして、双剣術にロバートから教わった体術を組み合わせた新しい戦い方。どちらも、一朝一夕には身に付く事のない技術だし、何より寝起きで普段より気怠さを感じる現実の身体でどこまで夢に追従出来るかも判らない。
それでも、アレルは何故かそれが不可能だとは思えずに、いずれ近い内には身に付けてやると意気込む。そこへ、どういう訳だかアリシアがスッと顔を近づけてくる。
「······」
「アリシア?」
カーテンを開ける前で、ローブを着てないアリシアは勿論フードだって被っていない。その整った顔立ちと、何より宝石の様に輝く氷青の瞳で見詰められたアレルは動揺してしまう。
そんなアレルの動揺なんてお構い無しに、ジーッとアレルの顔を見詰めてくるアリシアは少しするとやっぱりとどこか感嘆めいた呟きを漏らす。
「······アレルの瞳、また少し琥珀色に見えてる」
「は?」
言われて、アレルは咄嗟にアリシアから顔を逸らして、どうにかならないかと両手で目を覆い隠す。
「あ〜っ、まだ見ていたかったのにっ」
「いや、こんなの人に見せたくないんだよ!」
以前もそうだが、アマデウスの力の影響で目がそんな風になっている可能性がある。そう考えるアレルは、今回は夢の中とはいえ風詠なんて能力を教えられたからだと思う。
しかし、どうにかならないかと方法を考えていると、そこへ瑠璃が声を伝えてくる。
──主様、あの主様が使われている能力を一旦ルリに向けてみて下さい。そうすれば、ルリの方である程度調整出来るかもしれません。
(それ、瑠璃に負担が掛かったりしないか?)
──平気ですので、お任せ下さい!
などと、その場では真偽の判別がつきづらい事を瑠璃は張り切って伝えてくる。しかし、ここで瑠璃の言葉を疑う事もしたくないアレルは、瑠璃を信じて何故か起床時から使用状態になっていた風詠を瑠璃へと集中させる。
それまでは、周囲で無遠慮なまま遊ばせていた風をアレルは自身の意思で瑠璃へ向かってくれと頼む感覚で誘導してみる。すると、ゆったりとした動きでアレルの意思に従い風は瑠璃へ向かっていくのだが、瑠璃はそれをまるで邪魔者扱いするみたいに羽をバサバサと乱暴に動かして散らしていく。
(瑠璃!?)
──あっ、いえ······心配なさらないで下さい。少し集まり過ぎているせいで、主様の身体に影響を与えているので問題ない程度まで散らしているだけです。別に、傷付けたりしている訳ではありませんので、主様はそのまま少し待っていて下さい。
(まあ······瑠璃がそう言うなら)
そこで、アレルは一旦冷静になれたせいか、自身が不思議な状態にある事に気が付く。アレルは、アリシアに見られない様に両手で目を覆っているにも関わらず、何故か瑠璃の動きを手に取るみたいに把握している。
それも、瑠璃だけならまだ判る範囲ではあったが、不思議とアリシアの動きなども判る様になっている為、アレルはこの一切の説明が無かった風詠という能力について、少し考え始めるのであった。




