一章〜非望〜 六百三十三話 幻の鍛錬場
──波間をたゆたう様な浮遊感に包まれて。
周囲が判然としない中、アレルは黙々と剣を振るう。何故かは判らないが、身体がまるで羽でも生えたかの様に軽く一切の疲労も感じない。その上、自分の想像通りに動く身体は動かしていて気持ちがいい。
間合いを一息に詰めると同時に放つ振り下ろし、そこから瞬きの間に終わる左右への斬り返し、最後にその場ではなく回転軸を移動させ円を描く様に動く事で相手の攻撃を避けつつその背後を狙う回転斬り。
そんな、教えてもらってすらいない動きまでもが、思考と同時に身体へと反映されていく。それは、きっと自身のものなんかではなく、自身に何らかの影響を与えている存在から流れ込んでくるものなのだろうとアレルは思う。
ただ、それらの動きはまるで相手の攻撃など意に介さない程に攻撃に特化していて、その動きの中には巧みに相手の動きを誘導するものも含まれていた。流麗にして剛毅、そんな言葉がぴったりと嵌る一連の動きにアレルは自らがまだそこへ手を伸ばす資格すら無い事を自覚させられる。
──全て······する······ない。
そこへ、そんなアレルの卑下を察してか、途切れ途切れではあるものの誰とも判別出来ない声が届く。それでも、どこか聞き覚えがある様な声は確かに言っている。
全てを模倣する必要はないと。
いつもならば、途切れ途切れの内容なんて判らないはずなのに、この時だけはちゃんと内容が伝わって来た事をアレルは不思議に思う。しかし、確かに言われた通りで何もかもを教えられた通りにやる必要はなく、自分に合ったものだけを取り入れた方が効率的ではあると感じる。
ただ、それを行うにはやはり現実の身体が必要で、こんな思い通りに動く身体では何の役にも立たないとアレルは思う。
──そうで······いと、······がな。
どうやら、声の主には考えてる事が筒抜けらしく、アレルの考えに対して今の状況でも得るものはあると言ってくる。正直、その少し小うるさい感じがアレルには鬱陶しく感じる。
それでも、言ってくる事には一理あるので、アレルは大人しくこの不思議な状況が続く限り剣を振り続ける。
自らの適性、性格、戦いやすさなど、そういったものを考慮して剣筋の連動や力の入れ具合に身体の動かし方を決めていく。そうしていく中で、確かに想像の中とはいえ身体を動かす感覚だけはあるので、この不思議な空間での動きを手本とすれば現実で闇雲に剣を振るうよりかは効率的かもしれないとアレルは感じ始める。
ただ、この不思議な空間が何なのかに気付いてはいけないと、アレルはそこに気が付けばこの時間が終わってしまう事に薄々勘付いてしまっている。なので、その正体を意識せずに例え不思議な空間が終わったとしても、ここでの事を覚えていられる様にアレルは一つ一つの動きを確かめるみたいに積み重ねる。
そうして、暫く騎士剣一振りでの戦闘を想定した動きをしていたが、最後にアレルは双剣術の方も少しだけやっておきたいと思う。すると、その瞬間アレルの手には左右一対の双剣が握られる。その一瞬、流石と不思議空間の正体を思い浮かべそうになったのを、アレルは無理矢理違う違うと否定する。その結果、まだ不思議空間を利用出来るみたいだったので、アレルは心底ホッとする。
そして、アレルはいつかの双剣術のアマデウスが自らの身体を使った時の動きを参考に双剣を振っていく。
そこで、問題になるのが双剣を用いた攻撃は割と単調になりやすい傾向がある事だった。意外かもしれないが、右手と左手、同時に別の動きをさせるのが難しい様に、双剣もその実扱いが難しい。それに、ただでさえ片手で軽くなる斬撃に体重や勢いを加味しようとすると、二撃目はどうしても一撃目の軌道を追う形か交差でもさせないと腕の力だけで振るう事になってしまう。
しかし、双剣の強みはそこにはなく、二振りの刃を手にしている柔軟性こそが双剣術の強みだと考えられる。例え、充分に斬撃に重さを加えた所で両手持ちの同様の斬撃には劣ってしまう。ならば、敢えて真っ向勝負などせずに相手の攻撃を片手で受け流し、近接の更に内側の間合いで戦った方が優位に立てる。
加えて、力ではなく速さに注力する事で、双剣だけでなく体術なども組み合わせて戦う事も出来る。そう、双剣の利点はその取り回しの良さと長剣の間合いの内側でも振り回せるという点にある。
そんな説明を、アレルは自らの内側にいる存在から伝えられ、余計な知識を吹き込むなと文句を思い浮かべながらも身体の使い方をその利点に則したものへと変化させる。
一息で間合いを詰めるのは騎士剣使用時と同様に、それでも相手の振るう剣に双剣の片方を滑らせる様にして残る片方で相手の身体を突く。その際、殺さずに制するには肩口辺りに狙いをつけるのが良いだろうかとアレルは考える。次に、相手が突きを繰り出してきた場合は、双剣を交差させて受けると同時にこれも相手の剣に双剣の刃を滑らせて間合いを詰める。その後、そのまま相手の背後へと回り込んで体術で相手を前方へと倒し、起き上がれない様に背中へ乗ってその首筋に双剣の刃を当てる。
その様に、相手がいる想定で動くアレルは、意外と体術も合わせられる双剣術の方が相手を殺さずに制するのには向いているのかもしれないと感じ始める。あくまで、思い通りに身体が動く不思議空間だからかもしれないが、双剣とロバートから教わった体術は思いの外相性が良い。なので、アレルは実際の身体で再現出来るか判らないが、幾つか双剣とロバート直伝の体術を組み合わせた戦い方を試していく。
そこへ──。
──鋼を鍛える音が鳴り響く。
『お久しぶりです』
(······マスラオじゃない、双剣術の奴か?)
と、アレルが急に周囲に響いてきた音と共に聞こえた声に手を止めて疑問を返すと、声の主はどこか苦笑するみたいな気配を感じさせてくる。
『まあ、時間が限られていますので肯定しておきましょう。ただ、一つ私から贈り物を授けて差し上げようと思いましてね』
(贈り物?)
『ええ、懐かしい······理由を話す暇もありませんか。では、手短にいきましょう』
声の主が、何かに気付いた様子でそう口にすると、不思議空間に爽やかな風が通り抜ける様になる。
『感じますか? それが、風詠になります。貴方が、小さき者と会話をする際に使用している能力、それを戦闘に応用した力とでも言えば良いのでしょうか? まあ、感覚的には風の精霊の言葉を聞く感覚でその身を委ねてみて下さい。今の貴方なら、何か掴めるものもあると思いますよ』
それだけ言うと、不思議空間に流れていた風が止んで、声の気配も遠ざかっていく。
(おい、待てよ! 色々と、ちゃんと説明をしてけって!)
──鋼を鍛える音が遠ざかる。
しかし、アレルの抵抗も虚しくアマデウスの連中と会話出来る時の感覚が無くなり、アレルはマスラオといい双剣術の奴といいアマデウス関連の奴は自分勝手な奴ばかりだと思う。
ただ、風詠と呼んでいた技術に関しては、どうにか感覚で捉えられた為に双剣術のアマデウスとの会話を忘れたとしてもその感覚だけは覚えていられるだろうとアレルは感じる。それでも、暫く手を貸せないんじゃなかったのかよと、アレルが拗ねたみたいな事を思っていると不意に不思議空間が収束を始める。
それに、もう時間切れかとため息一つで諸々の未練を断ち切ると、アレルは夢から目覚める準備に不思議空間の中で目を閉じるのであった。




