一章〜非望〜 六百三十二話 護り手の欠陥を目にして
──場所は、再びミッテドゥルムで泊まるアレル達の部屋の中。
向かって右側、そこにあるベッドからモゾッと布擦れの音が聞こえ、そこからゆっくりと人影が抜け出てくる。その人影は、音を立てない様に慎重に履物を履いて、窓からの月明かりもほとんどないのに手探りで向かいのベッドへ足を向ける。
その途中、スゥスゥとそこのベッドで眠る者の寝息が聞こえ少し安心すると、人影はその寝息も頼りにそこで眠る者へと更に近づく。そして、手の先がベッドに触れるとそこからは更に慎重に手を伸ばす。
(······あっ、良かった。ちゃんといる)
アリシアは、眠るアレルの肩に触れる事でようやく自身が感じていた不安が薄れていくのを感じる。これまでも何度か、その漠然とした不安があるせいか夜中に目が覚めてしまう事があった。
アリシアは、未だ現在の状況が受け入れられていない所があり、これまでの事が全部夢で目が覚めたら自室のベッドなのではないかと思った事は一度や二度ではない。それでも、目が覚めると知らない天井ばかりでやはり夢ではないんだと、受け入れ難い現実を突きつけられる。そうして、例えようのない感情で心が満たされそうになると、何故かは解らないがアレルの姿を探してしまう。
アレルとはあの日以降に出会った為に、ある意味では現在が夢ではなく現実だという象徴の様な存在だ。それでも、どういう訳なのかその存在を近くに感じると安心する自分がいる事をアリシアは不思議に思う。
(昨日は、大丈夫だったのにな······)
ヘッケルでは、アレルとは別行動なんだと自身に言い聞かせていたせいか、今夜みたいな変な不安に襲われる事は無かった。しかし、今日はアレルの剣を振るう姿にその存在が遠くに感じられたのが原因なのか、ベッドで横になった直後からどこか妙な胸のざわめきを感じてしまっていた。その事に、アリシアは本当にどうしてここまでアレルの存在に心を揺れ動かされるのかが解らないと感じる。
何故か、出会った瞬間から感じられていた説明出来ない安心感、それがあるからこそ離れ難く失うかもしれないと感じるとこんなにも不安になるのかなとアリシアは考える。加えて、アレルは落ち込んでいたりするとそれを察して話を聞いたりしてくれる。そんな事、アレルがする必要なんて無いにも関わらず。
寝る前にだって、アレルは話したくないならと解らないなりに、悩みが軽くなる様に励ますみたいな言葉をくれたとアリシアは感じている。そう、アレル自身は否定したり嫌がりそうだと思いながらも、アリシアはアレルがとても優しい人だと認識している。もしかしたら、自分はそんなアレルの優しさに付け込んで利用しているだけなのかもしれないと、稀にそんな風に思ってしまう時もある。
ただ、アリシアはそんなアレルの優しさが今だけはとても痛々しいものの様に感じている。
最初こそ、そうではなかった。あの状況で、理由は解らずとも信じられる人に出会えた幸運と、その人が自分達を助けるだけの能力を持っていて人格もそれなりだった事にアリシアは喜んだ。それに、言葉を交わしていく中で自身と似ている部分もあったりして、もしかしたらそういう親近感から安心を感じていたのかもしれない。
だが、それが段々と変な距離感がある事に気付いてからは、それまで感じていた不安とは別種の何かを感じる様にもなった。でも、それを明確に自覚出来たのが今日買い物から帰った後で、あの剣を振るうアレルの姿からは自身とは全く似てない別の人間なんだとアリシアは思い知らされた。それを理解した途端に、アリシアの中でどこか安穏としていた部分がガラガラと音を立てて崩れ去った。そして、依頼が終わった後もアレルなら自身と一緒にいてくれると根拠もなく信じられていたのが、それ以降はまるで絵空事の様に信じられなくなってしまった。
それも厄介なのが、この感情がアレルの出身には関係なく感じられている所だとアリシアは思う。本来なら、いつ帰ってしまうか解らない状況を不安に感じるのだろう。しかし、アリシアは就寝前のやり取りから、アレルの方に何かしら還りたくない理由があるのではないかという事を察してしまっている。それにも関わらず、自身が抱える不安は微動だにしなかったのだから、アレルが異世界に帰ってしまうかもという不安でない事は明白だった。
「······ねえアレル、こんなに近くにいて触れてもいるのに······なんか、凄く遠いよ······」
そう小さく呟きながら、これ以上は起こしてしまうかもしれないと、アリシアはアレルの身体から手を離す。
未だ、自身が抱えてしまった不安の正体がアリシアには解らない。それでも、こうしてアレルを近くに感じて安堵している自分は、アレルに縋って依存しているのかもしれないと感じる。
(このままじゃ、駄目だよね? 私も、アレルみたいに支えがなくても大丈夫なくらい強くならないと。そうじゃないと──)
そう思った瞬間、アリシアの脳裏に剣を振るうアレルの姿が刹那的に浮かび上がる。そのせいか、アリシアは少し強めのざわめきを自身の胸の奥に感じてしまう。
縋るばかりで、共に行動するだけでも余計な危険を伴ってしまう。それどころか、所々で迂闊な行動を取ったり我儘を口にしたりする、とても面倒臭い存在の自分······そんな認識のあるアリシアは、そのままではアレルに愛想を尽かされてしまうとどこか焦燥感に似た何かを感じる。
アレル自身がどう感じているか知らないが、アリシアから見ればアレルは行く先々で色んな人から信頼を得ている様に見えている。もし、自分が何も変わらずにただアレルを危険に巻き込むだけの存在のままなら、そういった人達の手でアレルから自分は引き離されてしまうかもしれないとアリシアは思う。
何故なら、アレルがひたむきに剣を振るう姿から、その危うさを感じ取るのは自分だけだとは限らないのだからと。
アレルは、口では見捨てるとか助けられないなどとは言うものの、実際にその目にしてしまえば身体の方が勝手に動いてしまう人だ。魔物に馬車が襲われるかもしれないという時、御者台から飛び降りて対処に向かった事からもそれは勘違いではないとアリシアは考える。
そう、アレルは何故か自分自身に対しての、自衛に関する何かが足りていないというか欠落している。それは、ミリアが言っていた様に過去に何か大切な存在を失ったのが原因になっているのかもしれない。
それでも、そんなのはあまり関係なくて、アレルのそういう部分に自分達よりも早く気付いていた人物に心当たりがある方がアリシアには問題だった。
(シープヒルから、アレルが着けている篭手······あれを用意した人は、アレルのそういう部分に気付いていたんだよね)
アリシアは、再び自身のベッドへ横になりながら、そんな事を考える。
アレルはロバートと呼んでいただろうか、その人はアレルと共にシープヒルに現れたアンデッドと戦い、その中でアレルの危うさに気付いたのであろう。だからこそ、宿に戻った後もアレルが休むと口にするまでアレルから離れなかったんだと、アリシアは今更になってその時の事を理解する。
守られているだけの自分とは違う。その認識が、再び眠ろうとするアリシアの胸をキュッと締め付ける。
自分には、適切な防具を用意する事も戦う術を授ける事も出来ない。それどころか、自分がアレルの傍にいる事でアレルを余計な危険の渦中に巻き込んでいる。そんな自分は、アレルを心配する人達からしてみれば単なる災厄でしかない。
(······今のままじゃ駄目なんだ。私も、早く強くならないと)
そうでなければ、アレルを危険に晒すだけの自分は簡単にアレルから引き離されてしまう。それに、今のままではまだ一緒にいたいなどと口にする権利すら無いとアリシアは考える。
だから、せめてアレルが自分から離れるその時までに、まだ一緒にいたいと口に出来る権利ぐらいは持てる様になっておきたいとアリシアは思う。そうして、可能ならこのアレルに対する漠然とした不安の正体が解るまでは共にいたいと願うのであった。




