一章〜非望〜 六百三十一話 闇に蠢く脅威
アレルが浴室から出ると、アリシアも既にテーブルの上を片付けており、歯磨きをするついでにコップも洗っておくとアレルと入れ代わる形でアリシアが浴室へと入っていく。瑠璃はというと、今日は疲れていたのか既に小物入れの中でアレル達が就寝するのを待っているみたいだった。
(別に、先に寝ていても大丈夫だぞ)
アレルは、そんな瑠璃の入った小物入れが置かれたアリシア側のサイドテーブルへ向かって精神感知で話し掛ける。
──いえ、まだ少し余裕があるので主様と一緒に待ってます。
(······無理はするなよ)
──はい、ありがとうございます。
元々、夜光蝶である瑠璃の活動時間は日が沈んでから朝日が昇る頃までのはずだ。それを、自身達に合わせて人間の活動時間に付き合わせてしまっている事に、アレルは申し訳なく思うのと同時に感謝で頭が下がる。
正直、アレルの感知だけでは範囲が狭く不安が付き纏う所を、瑠璃に頼る形でかなり補ってもらっている。それを理解しているアレルは、今多少なりとも心に余裕を持てているのもそんな瑠璃の存在あってのものだなと染み染み感じる。
(いや、感謝をしなきゃいけないのは俺の方だよ。本当にいつもありがとな、瑠璃)
──······ルリは、主様のお役に立てればそれで満足ですから。
そこへ、ガチャリと浴室の扉が開く音が聞こえ、中からアリシアが姿を現す。
「終わったよ。洗ったコップは、水差しの横に置いておくけど残ったラスクはどうしようか?」
「それなら、開き口だけ折り込んで水差しの近くにでも置いとけよ。明日、忘れずに持っていけば良いだけだからさ」
「うん、じゃあそうするね」
そう言って、アリシアが言われた通りに動く中で、瑠璃との話の間で浴室で使ったものの整理を終えていたアレルはベッドから離れて部屋の明かりの元へと足を向ける。すると、何故か小物入れの中に入っていた瑠璃もアレルについてくる。
(瑠璃?)
──明かりを消すなら、その後はルリにお任せ下さい!
どうやら、瑠璃にはアレルがやろうとしていた事が解っていたらしく、そう言って暗くなった部屋の中で導になってくれるみたいだった。そんな瑠璃に、アレルは感謝を口にする代わりに微笑みを向けてからアリシアへ声を掛ける。
「明かりは俺が消すから、アリシアは先に横になっていてくれ」
「うん、ありがとね」
アリシアはそう言うと、そそくさと自分のベッドへ駆け寄って、履物を綺麗に整えて脱ぐと速やかに上掛けを被って横になる。それを見届けたアレルは、部屋の明かりを消すと羽を青白く光らせてくれる瑠璃に導かれて自身のベッドまでやって来る。
「ありがとな、瑠璃」
──いえいえ。
言いながら、ペコリとまるでお辞儀でもするかの様に上下に揺れた瑠璃は、その後でヒラヒラとアリシア側のサイドテーブルにある小物入れへ入っていく。それを横目に、アレルはベッドに腰掛けてブーツを脱ぐとそのままベッドの中へ潜り込む。
「······おやすみ、アレル」
──おやすみなさいませ。
「ああ、二人共おやすみ」
そうして、アレル達はようやく一日の終わりを迎えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
──ほとんどの人が寝静まった深夜、ダリア郊外某所。
元黒羽根拉致犯との戦闘班、ハインリヒの教え子にあたる者達は総勢六名、全員が黒装束で身を固め諜報班から拠点だと伝えられた建物付近でその身を潜める。
ダリアの壁外にありながら、放置されている様な外装を装ったその建物は一見ただの小屋の様にも見える。しかし、諜報班の調べでは外から見える地上部は何の意味も無く、その小屋の内部から拠点機能が集約された地下へと下りる入口があるとの話だった。
「全く、辺境伯様の私邸があるダリアの鼻先にそんなものを作っているとはな」
班の指揮を任されている者が呟くと、補佐として付いている者が諜報班からの報告を追加する。
「その地下も、元は二百年以上前に魔物研究をしていた変人が作ったものらしいですね。魔物の支配地域付近で、安全に研究を進める為のものだったとか」
「ハァ······用済みなら、後世に利用されない様に潰しておいてくれれば良いものを」
地下への潜入は、中の様子を確認出来ない事からその危険度は通常の突入作戦よりも高くなる。狭い出入口、設置されているだろう罠に敵の待ち伏せ、通路なども狭い事が予測される事から数的優位も作りづらい。
出来る事なら、そんな場所への突入作戦なんてやりたくないのが班長の本音だ。しかし、拾ってもらった恩のあるハインリヒ教官の期待に応える為、班長以下六名はこの任務を失敗出来ないものと捉えている。その覚悟を共有するみたいに全員で目を合わせると、班長は全員に対して突入の手信号を送る。
それに、補佐と他三名は静かに頷くのであったが、一人だけブルブルと震えて頷きを返して来ない。こんな時に、臆するとは何事かと班長が怒りを抑えきれずに叱責しようとする。
「オイッ──」
「······に······げっ──ボファッ!?」
が、突然震えていた一人が声を絞り出したと思った瞬間、口から血を噴き出して前に向かって倒れ伏す。
その直後、その場の全員が敵の襲撃を察知して各々倒れ伏した一人に対して武器を構える。通常、この場合敵は倒れた一人の背後にいる事が多い。しかし、五人が武器を向けた方向に人影は無く、それでも五人は不審に思うよりも早く背中合わせになり死角を無くす。
「どうなってる!?」
「判りませんっ! ただ、ソイツの背中に刺さっているのは、形状は見慣れませんが投擲武器の様に見えます。各自、気を付けて下さい!」
とは言っても、いくら夜に目を慣らしたとしても見通しが悪いのは変わらない。周囲の木陰に隠れられれば、その姿を視認するのは難しい。
だからこそ、五人の視界を総動員して周囲の警戒をしているのだが、襲撃者の姿どころか気配すら感じられない。一体、どういう事なのだろうかと班長が思い始めた丁度その時、班長は自らの下腹部に妙な異物感と共に熱さを感じるとその直後に激痛を感じる様になる。
「グゥゥ······こ、これは!?」
見ると、班長の下腹部には先程やられた一人の背中に刺された物と同様の、刀身が捻れたナイフの様な物が捩じ込まれていた。
「残念ですわぁ······年齢ならば丁度良さそうなのに、目の前で殺られた仲間を気に掛ける素振りも見せないなんて。この様に、人間味の無い方々は私好みでは御座いませんのぉ」
そこへ、急に上品な口調の女の声が響き渡り、戦闘班の全員に緊張が走る。しかし、その姿は見えず自分達の直ぐ近くから聞こえてきた声に、撤退を思い浮かべた一人が班長の命令を待たずにその場から逃げ出そうと駆け出す。
ところが、その一人が駆け出した瞬間に首と胴体が分かれて、ブツンと飛んでいった頭部は上空へ消え体の方はそのまま数歩前進した後にバタンと倒れる。
「······本当に、男性ばかりでしたから期待しましたのにぃ······自分や仲間の命よりも、任務を優先する方程つまらない方もいませんわよねぇ」
残り四人、班長も手負いで敵の姿も視認出来ていない絶望的な状況。ここで、班長は敵視していた救出班のメッサー達が口にしていた事を思い出す。
その存在を口にしたのは、確か朱羽根を持っている人物だという事だったが、競争心を抱いていた班長はメッサー達の話をまともに聞いてはいなかった。
「お年を召した方は駄目。考えが凝り固まっているし、説教臭く可愛げがありませんので。逆に、子供も駄目。可愛くても、甘えが抜けてなくてお世話するだけで気が萎えてしまうので」
言い終わりに、背中合わせに構えていた一人の首がバツンと飛ばされる。
「私の好みの方は、成人前後の年齢で自ら死なんて選ばないにも関わらず、誰か大切な女性を守る為ならばその命を投げ出す事も厭わない······そんな方と出会えるのを心待ちにしてしておりますのぉ」
言いながら、班長だけを残して何も無い虚空へダガーを振るった補佐ともう一人の首が立て続けにバツンバツンと飛ばされていく。そうして、仲間の体が地面に倒れ伏す音を聞きながら、班長は最後に一言だけ言葉を口にする。
「······蜃気楼」
その瞬間、遂に班長の首もバツンと上空へと飛んでいき、その体はゆっくりと地面へ倒れていく。
「私、その名前嫌いですの。そ・れ・に、それはもう私ではありませんわぁ」
その場に生きている者がいなくなったからか、蜃気楼はその姿を現す。赤褐色の、まるで酸化したドス黒い血液の様な色をした艶のある長い髪に、それとは真逆の血の気を感じられない程に白い肌。男好きのしそうな蠱惑的な肢体ながら、その顔には上半分が大きな目隠しで覆われているが鼻立ちと口元からだけでも整った顔立ちなのが判る。
蜃気楼は、自らの獲物である大型の鉈の様な肉切り包丁に付いた返り血を班長の体で拭う。そして、どこか恍惚とした表情を浮かべながらペロリと唇を湿らせて空を見上げる。
「ああ······早く、私も運命の殿方と出会いたいですわぁ」
そうして、まるで恋に恋する少女の様な事を口にしてから、蜃気楼は肉切り包丁を鞘へ納めて玩具が残る拠点へと戻るのであった。




