一章〜非望〜 六百二十八話 大切だと思う事
脱いだ外套を壁掛けに掛け、続いてアレルは帯剣ベルトから外した騎士剣を壁に立て掛けると、ダガー、サイドポシェット、両腕の篭手を身体から外してサイドテーブルへと置く。最後に、ナイフ帯とソードクラッシャーを付けたままの帯剣ベルトを外して、既に置く場所のないサイドテーブルではなく壁掛けの方へと引っ掛ける。
そうする横目で、アレルは瑠璃がその周囲をヒラヒラと飛んで元気付けているアリシアの事を見る。ローブも脱いで、表情が見えやすい所為かアリシアは普段よりも沈んだ表情をしているみたいに見える。その証拠に、テーブルへ置かれたラスクの入った紙袋が手の付けられた様子もなくそのままになっている。
おそらくだが、アリシアの事だからメリル達へと持っていった分を口にする事もなかっただろう。パン屋を出る時は、あれ程気に入っていたのにも関わらずそんな状態である事で、アリシアがどんなに気落ちしているかの指標となっている。
ただ、判らないのはその理由の方だとアレルは思う。アレルが判っている事と言えば、自身が宿の裏手で剣を振っているのをアリシアが見ていたという事だけなのだが、それが現在のアリシアの状態とどうしても結びつかない。
それに、その様子から瑠璃はアリシアがどうしてそんな風になっているか知っているみたいだが、瑠璃では公用文字の一覧表をアリシアに出してもらわないと自分の言葉を伝える事が出来ない。それでも、どうにかしようと頑張っている姿は健気だが、そのまま見てるだけなのも忍びないとアレルは感じる。
なので、アレルは脱ぎ始めていたレザージャケットを完全に脱ぐとそれをベッドの上へ放り投げ、テーブルの方へと歩いて二脚の椅子を引く。
「アレル?」
「浴室を使うと、疲れが出て眠くなるからな。その前に、ラスクでも摘みながら少し話をしないか?」
アレルがそう言うと、アリシアは一瞬だけテーブルの方へ動く気配を見せるも、その腰を少し浮かせただけで再びベッドへ座ったままになってしまう。しかし、そうしてアレルが働きかけた事で安心したのか、瑠璃はアリシアから離れてアレルの肩へと止まりに来る。
「······駄目だよ、疲れているんでしょ? それなら、アレルは早く寝ないと」
膝の上で、両手をギュッと握り締めて俯くアリシアは、何かを堪えているのが隠しきれていない。ただ、そんなアリシアをそのままにしておけるアレルではないので、更なる働きかけをアレルは試みる。
「別に、難しい話をしようって訳じゃない。単に、ラスクを食べる間の話し相手になって欲しいだけなんだ。ほら、明日になれば俺は御者台だから食ってる暇無いだろ? だからって、今食わないと明日になればミリアに全部食われかねない。だから······少しだけで良いから、付き合ってくれないか?」
そう訊ねると、アリシアの両手は一瞬だけ拳を握る力が弱くなり開きそうになる。しかし、直ぐに首を左右に振ったアリシアは再び両手を握り締めてしまう。
それでも、アレルの言葉からミリアの行動でも想像してしまったのか、どこかソワソワした様子も見せ始めるとアリシアは小刻みに震えだす。そして、もうッと苛立ち混じりの声を出しながら、アリシアは立ち上がってそのままアレルの向かいの椅子へとちょこんと座る。
「アレルはズルいッ! いつもいつも、そうやって人の気持ちを利用するんだからッ」
僅かに頬を赤くして、食い意地を刺激された事に恥じらいでも感じている様子のアリシアはアレルへ文句を口にしてくる。それに、少しはいつものアリシアが戻って来たと安心したアレルはニヤリと笑う。
「今更だろ?」
「······バカ」
と、口にはしつつもアリシアは紙袋からラスクを一枚手にすると、アレルにも取る様に紙袋の開け口を向けてくる。なので、アレルはそこから五枚程のラスクを取って再び紙袋の開け口をアリシア側へ戻す。
「それで、明日昼に食べたい物とかあるか?」
「えっ? 話って······私の事を話せって事じゃなかったの?」
「話したくない、または話せない事もあるだろ? そんなのは俺にだってあるし、自分がされて嫌な事は人にだってしたくはない。だから、無理矢理聞き出そうとなんてしないから安心しろよ」
すると、アリシアは一瞬だけ安堵の表情を浮かべるも、直ぐにどこか寂しさが滲んだ様な笑みを浮かべる。
「アレルって······そうだよね」
「いや、どういう意味だよ? まあ、良いや。······それで、今のアリシア様には買い物に付き合った者の特権として、好きな物を明日の昼食に要求出来る権利が御座いますが、如何されますか?」
アレルは、わざと執事調の喋り方でアリシアへ問い掛ける。それに、アリシアはやはりどこか寂しげな笑みを返すものの、首を左右に振ってからアリシアは胸を張ってお嬢様然とした態度を取ってみせる。
「······例えば、どんな物が出来るのかしら?」
「そうですね······各種保存食の大盤振る舞いなどで御座いましたら、火も使わないので全員分ご用意致します」
直後、アリシアが不服そうな表情を浮かべてアレルをにらみつけてくる。
「もうッ、せっかく付き合ってあげたんだから、そこはもう少しそれっぽいの用意出来ないのっ?」
「アハハ、ごめんごめん。思い付きで始めたから、そこまで考えが及んでなかった」
「もうッ!」
プイッと顔を逸らしながらも、アリシアはサクッとラスクを頬張るとその仄かな甘さを噛み締めるみたいに、その場の空気に絆されたのか頑なだった表情が僅かに和らぐ。
一体、何にそこまで心を砕いているのかアレルには解らない。それでも、アリシアの表情がずっと硬いままなのは我慢ならず、どうにか笑顔になれる様に促したかった。寧ろ、どんな状況でも何に悩んでいようと、アリシアには笑顔でいられる強さを身に付けて欲しいとさえアレルは思っている。
その為、自分では力不足なのは自覚していても、どうにかアリシアの核心には触れずにそういったものを身に付けられるきっかけぐらいは与えたいとアレルは少し口調を真面目なものへと変える。
「なあ、アリシアは望みを叶える為に必要な事って何だと思う?」
「えっ······どうしたの、急に?」
アリシアは、そんなアレルの変化に戸惑いを感じさせつつも、どこか警戒しているみたいにテーブルから僅かに身体を離す。そこから、やはりアリシアは自身に何で悩んでいるかを知られたくないんだなとアレルは理解する。
「いや、単なる世間話とでも受け取ってくれ。ほら、望みの叶え方って人によって色々とあるだろ? 自分で努力するのは勿論、それを叶えてくれそうな人に頼んだり、何もしなくてもそれが叶う事を願ったり、叶える為には人の善意も利用したりとかさ。······アリシアは、その辺どう思っているのかなって思ってさ」
アレルは、言い終わりにそれが本当に世間話的な軽い話なんだと示す為に、サクッと取って置いたラスクを一枚齧ってみせる。
「そう······」
しかし、アリシアはそれでもどこか警戒しているみたいで、少し考えているみたいな間を空ける。そして、アレルへ目を合わせてくると直ぐに視線を逸らしながらも、アリシアは怖ず怖ずとアレルへ逆に訊ねてくる。
「アレルは? アレルは、どう思っているの?」
「ああ、人に訊いておいて自分は話さないなんてズルいもんな。そうだな······俺は、一番大切な事は諦めない事だと思っているよ」
「諦めない······事?」
アレルの言葉に、アリシアは腑に落ちないといった様子で首を傾げてくる。なので、アレルはもう一押しかと補足を始める。
「だって、そうだろ? それがどんな望みだとしても、諦めて何もしなければ何も起こらなくなっちまう。例え他力本願でも、自分はこうしたいこうなりたいって言葉にしてれば、それを耳にした誰かが手を貸してくれる事もあるかもしれない。例えどんなに小さな事でも、積み重ね続ければ何かしらの光明が差す事もあるだろう。······でも、その望みが叶いっこないって、絶対に無理な事なんだって自分に言い聞かせて諦めたら、それこそどんな発展すらも起こり得ない。何もはじまりなんてしない」
その諦めの仕方は、アレルが普段自身に対して行っている諦め方だった。その事に、多少胸が痛むもののアリシアの為だと、アレルはそのまま話を続ける。
「だからさ、その望みが本当に大切なものならば、どんな事があったとしても諦めたら駄目だと思うんだ。それでも、人の望みなんてどれか一つ、いずれか一つしか叶わないなんて事もあるし、誰かの望みとぶつかり合う事もあるかもしれない。でもさ······俺は、アリシアには諦めないで欲しいって思ってる」
「アレル······」
「もしも、俺かアリシアのどちらかの望みしか叶わないとなったとしても、アリシアには諦めて欲しくはない。勿論、俺だって諦めはしないから、争う事になるかもしれない。······でも、本当にそんな時が来たのなら、お互い遠慮なんてせずに互いの想いをぶつけ合おうぜ」
最後に、アレルはアリシアには威嚇と受け取られてしまうかもと思いながらも、負けず嫌いな所のあるアリシアを鼓舞する為にニカッと笑った。




