一章〜非望〜 六百二十六話 天啓は不意に得られる
──再び、アレルが無心で剣を振り続ける宿の裏手。
どれ程の時間、剣を振り続けているのだろうか。そうアレルが感じ始めた頃、丁度空からそんな熱を発するアレルの頭を冷やすみたいにポツリポツリと雨粒が降ってくる。
気付けば、騎士剣を振り続けた両腕には疲労が溜まり、特に片手でも振るう事のあった右手はピクピクと痙攣めいた震えを見せている。そんな自身の状態を省みて、アレルは雨も降ってきたしここまでかと両腕をだらりと下ろす。
それで、ようやく騎士剣を鞘へ納めたアレルへ、どこからか声が掛けられる。
「満足しましたか?」
瞬間、ビクッと身体を震わせたアレルは、誰もいないと思っていた宿の表へ向かう方へと顔を向ける。
「って、ミゲルか······」
「ええ、そろそろ宿の出入口を施錠したいと思いまして」
「あっ······悪い、迷惑だったよな?」
どこか、憮然としている様にも見えるミゲルに、アレルはバツの悪さから苦笑いを浮かべる。しかし、ミゲルはそんなアレルへ首を左右に振って返す。
「いいえ、少し前にお連れ様から好きにさせてやって欲しいと言われたので、終わるまでは待つつもりでしたので」
「連れ? 誰が?」
「フードを被った方と、長髪でやや女性顔の男性でしたが」
ミゲルの言葉で、アレルはそれがアリシアとミリアだと判る。しかし、ミリアは男装しているとそんな風に見られるのかと、単なる思い付きにしては効果があるなと感じる。
「そうか······それじゃ、中に戻るか? 俺が言えた事じゃないけど、雨脚が強くなってきても面白くない」
「そうですね」
淡泊な返事を返して、ミゲルはアレルの前を歩いて宿の表へと向かっていく。アレルは、その背中を追う形で宿へと戻り始めるが、アリシア達がこちらまで見に来ていた事が少し気になってしまう。
確かに、馬車へ荷物を置きに行ったにしては随分と長居してしまったが、待っていてくれれば必ず帰ったというのに何故裏手まで見に来たのだろうかとアレルは思う。ただ、ミリアも一緒だった事から、ラスクでも渡しに行ったついでとかだったんだろうと、アレルは軽く考えてそれ以上は気にしない事にした。
そうして、宿の中へと戻ったアレルはカウンター前でミゲルへ倉庫の鍵を返し、そのままの足で部屋へと向かう。その際に、アレルは歩きながら自身の右手へ視線を落として拳を握ったり開いたりを繰り返す。
(古流に関しては、一応使えるところまでは持ってこれたか? ただ、それでセドリックの奴に通用するかは判らないんだよな)
最早、ここまで来るとアレルの中でもセドリックと遭遇するのは想定内で、既に戦う事も念頭に対処を考え始めている。しかし、この先の分岐路で遭遇する事を踏まえると、実際は遭遇した後の方が問題になるとアレルは考える。
分岐路でという事は、その先の進路までを相手に晒さなければならないという事であり、万が一何かしらの理由でアリシア達の事が悟られれば簡単に追われてしまう。それも、分岐路はティエルナ・クレイル領方面とリバッジ方面の二つしかなく誤魔化しが効かない。どちらかと言えば、そうした誤魔化しが出来そうなのがその先にセプルスへの分岐もあるティエルナ・クレイル領方面なのだが、そちらへ向かうとエリオットから許可証を得る事が出来なくなる。
さて、どうしたものかと考えながらアレルが階段を上がり始めると、他の客の話し声がアレルの耳に届いて来る。
「だから言っただろ? ただ納品すれば良いだけなんだから、変に手なんか加えなくて良かったんだって」
「うるせえな、んな親方に従ってばっかじゃいつまでも親方を超えられねえじゃねえか? いっても親方止まりなんて、オレはゴメンだね!」
声の方へと視線を向けると、旅装束の二人組の男達が階段を上がって部屋へと向かう所だった。男達は、階段を上がるとアレル達の部屋があるのとは逆の、階段から向かって左側へと歩いていく。
「オレが目指すのは超一流! その為には、常識や親方なんて立ちはだかる壁はぶち壊してでも道なき道を行くのが必定なんだよぉ!」
「はいはい、そういうのは一人で仕事を任せてもらえる様になってから言えよ〜」
話しぶりから、何かしらの職人だと思われる二人は、片方が酔っているのか随分とデカい事を口にしていて、それをもう一人に適当に流されている。話の中で、納品という言葉もあったので、ミッテドゥルムへは注文のあった品を届けに来たのだろうとアレルは思う。
ただ、その酔っ払いの口にした言葉にアレルは、壁を壊したり道なき道を行きたいのはこっちなんだよなとため息を吐いてしまう。
(······待てよ、確か何かでそんな状況を描いていたものが······)
アレルは、中々思い出せない事から引っ掛かっているのは元の世界の何かだとして、残っている記憶からどうにかそれを引っ張り出そうとする。しかし、やはり簡単には出てきてくれずに、アレルは遂に階段の途中で足を止めてまで頭をひねり始めてしまう。
道、壁、壊す、それらの言葉を手掛かりに、たぶん創作物の類だろうと当たりをつけて、アレルはあれでもないこれでもないと思い浮かぶ候補を次々に消していく。ただ、そうしていると自身に関する記憶は全く出てこないのに、よくも目にした創作物の記憶は残っているよなとアレルは自身に文句を言う。鮫が台風に巻き上げられる話なんて、覚えていても異世界では何の役にも立たないと心底呆れてしまう。
だが、そうして肩の力を抜いたのが功を奏したのか、本題は思い出せずとも局所的にその場面だけは思い出す事に成功する。それは、どこからか脱出を迫られる場面で、主人公達は二つの道を前に選択を迫られる。思い出したのはその結果だけだが、主人公達は第三の道として片方の道から壁を壊し、早く脱出出来る道へ入るという内容だった。
(そうだ、二つの道から第三の道を作り出す······これさえ踏襲出来れば!)
そうと決まれば、問題はそれを行う為の条件が揃っているかだけだとアレルは考える。第一に、整備されていない道がどの程度の悪路となっているかで、その状態によっては馬車を痛めつける結果になるだけなので断念せざるを得ない。しかし、ブルックス領はその大部分が平野であり、道として整えられていなくともそれなりに馬車で走れる可能性は残っている。
そうなると、二つ目に馬車の足回りが問題となってくる。パメラがタタンに用意させた馬車は、元々足回りに関しては高品質なものなのは最初にアレルも確認している。だが、見切り発車で途中に壊れて立ち往生では目も当てられないので、やるとするならそれが可能か前もって専門家に診てもらった方が良いだろうとアレルは考える。
ただ、こちらは発想元となった創作物とは違って壁などは存在しない。なので、あとは地図を確認してどのあたりからどこを目指すのが妥当かを判断するだけだと、アレルはまだ実際に出来るかは判らないが期待は出来るとして万が一の時の策とする事を決める。
(······でも、やるならやるでちゃんと準備もしないとな)
そう思うアレルは、ミッテドゥルムでは最早もう一日滞在する事でしか準備は出来ないので、明日滞在する事になる町で可能な限りの準備をしようと考える。
そうして、一応の纏まりを得たアレルは再び階段を上り始める。しかし、ただでさえ遅くなっていたのにも関わらず更に時間を使った事で、心配させたアリシアには文句を言われるかもしれないとアレルは思う。そのせいか、アレルの足取りは僅かに重くなるのであった。




