一章〜非望〜 六百二十五話 垣間見えるその心の深層
アリシアは、パン屋での話を笑いを交えながら、本当に楽しかったんだと伝わる様に話していく。事の経緯と、少し面倒臭く感じるアレルの信条やラスクの説明、店の奥から漂ってきた良い香りの話など取り留めなく語って聞かせる。
それを、メリルはアリシアの向かいでラスクを摘みながら、ミリアは立ったままをメリルに注意されたので片手で持てるだけのラスクを持ってベッドで座って食べつつ聞いている。ただ、何故か段々とメリルの表情が曇っていくのを感じたアリシアは、話を中断してメリルに訊ねる。
「どうかしたの?」
「あっ、いえ······アリシアは、良いなと思いまして。アタシの時なんか、ヘッケルで夕食を食べる所を探している最中魔物料理の店に入るかって言われたんですよ」
「あっ、それ私も言われたよ。直ぐに、冗談だって言ってたけど······」
そう言うと、メリルはハァと深いため息を吐き、それにアリシアは苦笑を返す。
「あの人、変な所で悪ふざけをしますよね?」
「うん······でも、それがアレルだから」
確かに、アレルは変な悪ふざけをする時もあるけれど、それは沈んだ気持ちになっているのを察しての事の場合もある。それを知っているアリシアは、メリルの様に直して欲しいと思う様な事はなく、寧ろそのままでいて欲しいと思える。
ただ、パン屋からの帰り道でどうにかアレルの意思で傍にいると言わせるにはどうすれば良いかと考えていた時、アレルの声すらも耳に届いていなかった事をアリシアは反省する。そんな表情の変化を察したのか、メリルはアリシアへ訊ねてくる。
「ねえ······他にも、アレルさんと何かあったんですか?」
「うん······アレルとというか、少し私の不注意でね──」
そう言って、アリシアは酒場の前での事をメリル達へ話していく。途中、アレルが自身を庇って殴られたと口にすると、肩に止まっている瑠璃が憤慨するみたく羽をパタタと激しく動かす。そんな瑠璃に、事の顛末を語り終えたアリシアは最後に私のせいでごめんねと謝罪する。
「そんな事があったんですね」
「アレルも、気にしなくて良いって言ってくれたんだけどね」
それでも、そのままでいて欲しいと願いながら、欲しい言葉だけは言わせたいと思っていたせいなのもあってアリシアとしてはバツが悪いと感じる。
「アイツ······アレルは、自分を差し出すみたいな守り方しか知らないみたいですからね」
そこへ、ラスクを食べているだけで話には入ってこなかったミリアがボソリと呟く。
「ミリア?」
「アイツと剣を合わせていると、何となくではありますが感じるんですよ。ああ、コイツは本来守るよりも攻める方に才があるヤツなんだなって。だから、アレルは守るべきを遠ざけるか代わりに自らを盾にする事しか出来ないんですよ」
言いながら、ミリアはベッドから立ち上がり窓際まで歩くと、外の様子を軽く見てからアリシアの方へと振り返る。
「アリシア様、アイツの事が気になるなら見に行きますか?」
「えっ?」
「アレルのヤツ、まだ下にいるみたいなので」
そう言われ、アリシアは反射的にメリルの顔を見ると、メリルは私は行きませんよと言うみたいに首を左右に振ってくる。
なので、アリシアはミリアの提案に戸惑い悩んでしまう。確かに、アレルが何で戻って来ないのか気にはなるものの、それを見に行った事でアレルの不興を買うのはどこか怖い。しかし、それでもアレルの事が気になるアリシアは意を決して力強く頷く。
「うん、私やっぱりアレルの事が気になるから行く」
「解りました。では姉さん、少し出てきます」
「ええ、でも二人は早く帰ってきなさいね」
そう言ってくるメリルに、アリシアはミリアと二人で頷くと、その隙に小物入れへ入った瑠璃も一緒に三人でメリル達の部屋を後にする。その際に、アリシアはメリルがアレルの事を気にする素振りを見せないのが気になったが、扉を閉める直前に全くあの人はと何か察しているみたいな呟きをするのをアリシアは耳にした。
そうして、メリルの様子を気にしつつもミリアに先導され一階へと下りたアリシアは、カウンターのミゲルへ事情を話してから外へ出て宿の裏手へと回る。すると、向かう先からシュンシュンボゥンと、風を切る様な音が聞こえてくる。
そこで、ミリアは足を止めてアリシアにもそこで止まる様に片腕を伸ばして通せんぼしてくる。
「······あの様子では気付かないとは思いますが、ここの陰から覗きましょう」
「うん······」
声を潜めるミリアに合わせ、アリシアも声を小さくして答えると物陰からミリアが指し示すものを覗く。そこには、宿から漏れる明かりに身体を部分的に照らされたアレルが剣を振っていて、その周りの事が目に入っていなさそうな様子にアリシアは胸の奥が少しだけざわめくのを感じる。
「さっき気付いたのですが、アイツ暫くああしていたみたいで」
「そう······あんなに必死になって、アレルがあそこまでやる必要なんてないのに」
アリシアは思う。本来、別の世界からやって来たアレルには、そこまでやる理由がない。それを、あそこまで追い込む理由になっているのが自身の願いのせいだという認識があるアリシアは、思わず止めに行こうとしてしまう。
「お止め下さい。今止めても、アイツの為にはなりませんから」
「でもっ──」
そこへ止めに入るミリアに抵抗しつつ、アリシアは言葉でも反論しようとするがゆるゆると首を左右に振るミリアに黙るしかなくなる。そんなアリシアに対して、ミリアはアレルに気付かれない様に静かに語り始める。
「良いですか? まずは、アイツが振る剣の音を聞いてみて下さい」
「音······?」
言われて、アリシアが耳を澄ますとシュンシュンと小気味よく風を切る音と、ボゥンとどこか鈍い音とが混じり合って聞こえてくる。
「アレルのヤツは、私達と会う前は剣を握った事も無かったのでしょう。しかし、アイツは曲がりなりにも剣の振り方を身に付け始めています。まあ、まだ鈍い音を出しているあたり、剣筋が乱れる事もあるみたいですが」
「うん······でも、あんなに必死になる事はないんじゃないの?」
一心不乱と言うよりも、暗闇の中で行っているせいかどこか鬼気迫るといった様にも見えるアレルの姿に、アリシアは止めるべきではないかと目でミリアへ訴える。ただ、それでもミリアは頷く事はなく、アレルへ視線を移して再び語り始める。
「実は、私があの様な姿の者を見るのは初めてではありません。それは、騎士団の中で······自らの親しい者を亡くした者達でした。自らの実力不足に心を痛め、準備不足と間違った判断に嘆き、自らの非才を呪う······そういった思いをした者達が、あの様になる事があります」
「待って······それじゃあ、アレルも······」
「ええ、でもアイツは記憶喪失だと言ってますから、おそらくは記憶には無くとも心に残り続けているんでしょう。······その時の後悔が」
その言葉に、アリシアは胸の奥がグッと締め付けられる様な感覚を覚える。
どういう心境だったのか、今まで最初は自身を助けただけでその場を去ろうとしたアレルが、メリル達を助けても尚一緒に行動してくれている理由が解らなかった。しかし、それが記憶に残っていない喪失感からかもしれないと判った今は、現状がアレルのそんな心の傷を利用しているみたいに感じられアリシアには我慢が出来なかった。
そう頭が理解した途端、アリシアは今直ぐにでもアレルを止めようと駆け出すも、それはアリシアの反応を解っていたみたいな動きをするミリアによって防がれてしまう。
「どうしてっ!?」
「いけません······ああいう奴は、中途半端に止めたりすると戦いの中で死んでいきます。その後悔が強い分、自らの命が軽いんですよアイツ等は」
「でもっ──」
「待つしかないんですよ。アイツ自身が、自分を肯定して自らの命も他者と同じくらい重いんだと気付くまでは。······団長も、私にそう言ってました。失った事のない、私には解らないかもしれないがと」
戦場において、多くの部下の死に立ち会った事のあるガルシアの言葉に、アリシアはそれが持つ妙な説得力に勢いを削がれてしまう。その言葉の裏には、そうやって待つ事で立ち直った者もいるという事が含まれているのをアリシアも感じたから。
「解って頂けましたか? ······少し前に、アイツは私に言いました。答えが欲しいなら、自分で考え続けるしかないと。他者から与えられた答えなんて、自らの答えにはなり得ないのだからと。だから、アレルもアレルなりに答えを探し続けているのでしょう。ただ、アイツの自らが犠牲になっても私達を守れれば良いみたいな姿勢は正直腹が立ちます。シープヒルでも、大角牛の時も戦いの場には自分だけが赴いて······アリシア様にも姉さんにも、これだけ心配されているというのに自分の事を蔑ろにするアイツの事は、私は嫌いです」
「ミリア······」
「ですが、私は考える事が苦手でアイツに対して何を働きかければ良いのか判りません。まあ、私自身の事すら判らないのですから当然なんですがね。······それでも、今直ぐアイツをどうこうする術がないのも事実です。なので、私達はせめてアイツが私達の事を気にせずに戦いに集中出来る様、協力する事しか出来ません。取り敢えず、今夜はアリシア様にそんなアイツの現状を伝える為にここへお連れしました。さあ、冷えますしもう部屋へ戻りましょう」
そう言って、手を差し出してくるミリアへ自らの手を伸ばしつつも、アリシアは視線だけでアレルの姿を追ってしまう。
薄明かりで、その身体の半分が闇に呑まれている様にも見える姿は儚げで、その激しい動きとは裏腹に今直ぐにでも暗闇に溶けていってしまいそうだった。ミリアの手を取りつつも、そんなアレルの姿に思わず手を伸ばしたアリシアだったが、掴もうとしても掴めないその姿にアレルがまるでそこには存在しない虚像の様に感じられてしまう。
ここまで来る中で、少しはアレルとの距離が縮まったと思っていたアリシアだったが、ここで改めてアレルとの距離の遠さを実感してしまう。そこへ、異世界からやって来たという秘密の共有がアレルの存在の不確かさを強調させてしまい、アリシアの漠然とした不安を助長させていくのであった。




