一章〜非望〜 六百二十四話 根拠のない信頼と不安
──時は少し遡り、アレルと別れてアリシアが瑠璃と戻った部屋の中。
直ぐに戻る、確かにそう言っていたはずなのにアレルが戻って来る気配はない。その事に、アリシアは不安を覚えるものの、それをパタパタと周囲を飛ぶ瑠璃の姿にどこか励まされているみたいに感じていた。
「······アレル、遅いね。ルリちゃんも、アレルが遅くて心配じゃない?」
い・い・えと、アリシアの問い掛けに瑠璃は三度羽を明滅させて応える。それに、アリシアは瑠璃とアレルは離れていても互いを感じられる事を思い出す。
「ルリちゃんは、アレルの事を感じられるんだもんね······」
アリシアは、そんな事を口にしながら疎外感の様なものを感じてしまう。それでなくとも、アレルからは時折妙に距離を取られている様な感覚を覚える事がある。アレルが、何の理由もなくそんな事をする人ではないと信じるアリシアではあるものの、その理由を話してくれるアレルでもないので余計に距離を感じてしまう。
(でも、だからって手を握ったりして······アレルに、鬱陶しいとか思われてないかな?)
それでも、アレルの方からも手を差し出してくれているので、それはないかとアリシアは不安に陥りそうな自分を納得させる。
ただ、そうしてアレルが帰ってくるのをジッと待つのも落ち着かずに、アリシアは何かする事がないかと思案する。そこで、アレルが帰ってくる前に浴室を使ってしまおうかと思うが、その前にテーブルの上に置いたラスクが目に入る。
(そうだ、メリル達に分けたのを持っていかないと)
そう思ったアリシアは、空の紙袋を開いてラスクの入った紙袋から適当に目分料で分けていく。ただ、アリシア自身もラスクは気に入っている為に、自分達の方を少し多めにするぐらいの手心は加える。
そうして、アリシアはラスクを分け終えると周囲を飛んでいる瑠璃に声を掛ける。
「ルリちゃん、メリル達の部屋に行くけど······一緒に来る?」
すると、瑠璃はチカチカと二回羽を明滅させて、アリシアのローブの下の小物入れへ潜り込んでくる。そんな、可愛らしい瑠璃の反応にアリシアは自然と微笑む。
「うんっ、じゃあ行こうか」
そう言って、アリシアはフードを被っているのを確認してから、メリル達の分のラスクと部屋の鍵を手にして部屋を出る。部屋から出ると、アリシアはしっかりと扉を施錠してから隣の部屋へと向かう。
そんな事をしている内に、アレルも戻って来てくれれば良いのだが、そんな事はなく気配すら感じられない。一体、馬車にパンを置きに行っただけなのに、どうしてここまで時間が掛かるのだろうとアリシアは思う。でも、もしかしたら明日の事を考えて何かの準備をしているのかもしれないと考えると、あまり文句も言えないなとアリシアは思う。
何も知らないどころか、自分の事すら判らないアレルを巻き込んだのは自分で、それにも関わらずアレルは出来る範囲の事は勿論範囲外の事でも無理してやってくれている。そんなアレルに、不満や我儘だって口にしているのにアレルは無視したりせずに正面から向き合ってもくれる。
(そんなアレルだからこそ、こんなにも頼りにしているし信じられてもいて、だから······傍にいないだけでこんなに不安になるのかな?)
アリシアは、未だに自分でもどうしてそこまでアレルの事を信じられるのか解っていない。ただ、出会った瞬間に直感的に感じてしまった。この人なら、自分達を助けてくれると。
実際にその直感は正しかった訳だが、無理や無茶を重ねて傷付く姿を見てきた今では、何か形容し難い感情が自分の中にあるのもアリシアは感じている。そして、それは自分だけでなくメリルとミリアにしてもそうだと言える。メリルは、自分と同じくアレルを信頼しているしどこか嫌われたくなさそうにしている感じがあるし、ミリアにしても最初はあんなに毛嫌いしていたのに今はアレルの事を認めている様な様子が見られる。
一行の方針を決めているのがアレルなので、当然と言えば当然なのだがいつの間にか自分達の中心になってしまっているアレル。そんなアレルは、自分が嫌だと言わない限り傍にいてくれると約束してくれてはいるものの、これまでの経験からアリシアはそんな約束が役に立たない事は知っている。
そう、この世界はそんな人の意思とは無関係に、簡単に命なんて失われてしまうのだから。
そう思った瞬間、チクリとアリシアは自身の胸の奥が僅かに痛むのを感じる。しかし、丁度メリル達の部屋の前まで来たので、アリシアはその痛みを無視してメリル達の部屋の扉を叩く。
「イバレラ? ちょっと良いかな?」
そう声を掛けると、間もなくガチャリと扉が開かれてメリルが顔を出す。
「アンネ······アレルさんは、一緒じゃないんですか?」
自分の姿を見るなり、キョロキョロと左右を確認して訊ねてくるメリルに、アリシアは何でとは思ったものの素直に答える事で自身の疑問をメリルに感じさせない様にする。
「うん、言ったでしょ? パンを買いに行くって。だから、アレルは馬車にそれを置きに行ってるからいないよ」
「そうですか······」
何となくではあるものの、メリルはホッとしているみたいでありつつ残念そうな気配も感じさせる返事を返してくる。
その辺りを詳しく訊きたくもあったが、メリルの事だから素直には答えてくれないだろうとアリシアは思う。なので、手早く用事を済ませてしまおうと、アリシアは手にしていた紙袋をメリルへ差し出す。
「アレルの事は後にして······私これを渡しに来たの」
「あっ、その前に部屋へ入って下さい。このままで話すのも何ですから」
そう言われ、アリシアはメリルに部屋の中へと招かれる。とは言っても、内装はアリシア達の部屋と変わりはないので目新しさはなく、部屋の中でどこか暇そうにしているミリアの姿が僅かな違いとなっていた。
そうして、テーブル横の椅子に座る様に促されたアリシアが椅子に座ると、瑠璃も小物入れから出て来てアリシアの肩へ止まる。
「それは······何か、食べ物ですか?」
すると、ベッドの方にいたミリアが紙袋からの香りに釣られたのか、クンクンと匂いを嗅ぐ仕草をしながらテーブルの方へとやって来る。しかし、そんなミリアの姿に苛立ちを感じた様子の瑠璃が、アリシアの肩から飛び立ちミリアの額へ体当たりをしてしまう。
「あっ痛っ!? ······ぐぬぬ、コイツはいつもいつも······」
と、ミリアは毎度のごとくやられているので、握り締めた拳をわなわなと震わせる。対する瑠璃も、どこかそんなミリアを挑発するみたいな飛び方で向かい打とうという構えをしている。
「ミ〜リ〜ア〜、アリシアが持ってきたのが食べ物だと判っているなら、埃が舞う様な事をすれば······解ってますよね?」
「ルリちゃんも、あまりミリアをからかっちゃ駄目だよ。後で、アレルに叱ってもらうからね」
ところが、メリルに先を譲りはしたものの、アリシアも瑠璃に対して止める様に言った為に瑠璃は速やかにアリシアの肩へ戻り、ミリアはうぐっとメリルを警戒してアリシアの背後へ回る。
「それで、一体何を持ってきたんですか?」
そこで、メリルが何事も無かった様に本題を切り出して来たので、アリシアは紙袋からラスクを二枚取り出して一枚ずつメリルとミリアへ手渡す。
「それ、ラスクって言ってアレルの故郷では割と一般的なお菓子なんだって。パン屋に行ったら、色々あってたくさん貰えたから二人にもあげようと思って」
へぇと、物珍しい様子でラスクを眺めるメリルとは違い、アリシアは自らの背後でサクッとラスクを齧る音を耳にする。
「······私としては、もう少し甘い方が好みですね」
「ミリア、あなたの好みはどうでも良いですから······うん、アタシはこれぐらいの仄かな甘さの方が好きですね」
そんな風に、二人の感想が聞けて満足したアリシアは、少しだけアレルへの心配が薄らいでいく。
「ね? 美味しいでしょ?」
「ええ、美味しいですけど······その、色々の部分を聞かせてもらっても良いですか?」
「うんっ、少し長くなるんだけど──」
そう言って、アリシアはパン屋での出来事を話していく。売れ残りに嘆いていたパン屋に、救いの手を差し伸べたアレルの話を。勿論、アレルが異世界からやって来た人だという話を抜きに、アリシアは自らの感じた事も交えて話していくのであった。




