一章〜非望〜 六百二十一話 約束を重ねる事で
酒場から離れて、しばらく歩く事でチクチクとささくれ立っていたアレルの気分もようやく落ち着いてきてくれる。正直、アリシアに向けて腕を振りかぶった時点で、右手が空いていればその腕ごと騎士剣で斬り落としてやったのにと思うも、それをやれば衛兵だのなんだのがうるさいかとアレルは思う。
いや、そこまではせずとも二発か三発、それでは足りないから二度と酒なんて飲みたくなくなるまでぐらいとアレルが考えていると、不意にアリシアがその足を止める。
「アンネ?」
「あの······さっきは、ごめんね。私が、ボーっとしていたせいで······」
「いや、非があるなら俺の方だよ。アンネの事を考えるなら、経路選択の時点であの通りを外しておくべきだった」
反省するアレルは、パン屋へ向かう時点で既に酒場の雰囲気が悪い事は判っていた。それならば、安全性を優先して帰り道から酒場の前を外しておくべきだった。
それをしなかったのだから、責められるべきは自分だとアレルは判断する。しかし、そこでふと繋いでいる手を離したアリシアが、その手でアレルの殴られた頬にそっと触れてくる。
「······痛くない?」
「全然。腰だって入ってなかったし、あんな勢いだけの大振りなんて大して痛くなんかないよ。前に、身体がひしゃげるんじゃないかって攻撃も喰らってるし、あれに比べれば屁でもない」
アレルは、シープヒルでの戦闘を思い出して、その時の痛みに比べれば蚊に刺された方がもっと痛いぐらいだと思う。しかし、そう言ってもアリシアは頬から手を離してはくれず、どこか暗い表情をしたまま俯いてしまう。
「でも、私のせいで······」
尚も、そんな事を口にするアリシアに対して、あまり掘り返したくはなかったけど先程の話を引き合いに出すしかないかとアレルは覚悟を決める。
「正直、あんまり蒸し返したくはなかったけど、アンネが何か考え事をし始めたきっかけを作ったのは俺だろ? そうやって、アンネが気落ちした姿を見せる程、俺の罪悪感も増してくんだけど?」
「それは!? ······そうかもしれないけど、アレルが悪い訳じゃ······」
バッと、顔を上げたアリシアはアレルの言葉自体は否定しないまでも、アレルの非までは否定してくる。こういう時、一切合切の罪を背負おうとする所は、自分と似ているかもしれないなとアレルは感じる。
しかし、アリシアにこのまま自身と同じく罪悪感を感じさせたままではいさせたくないと、アレルは一計を案じる事にした。
「だったら、交換条件だ」
「交換条件?」
「ああ、まずアンネはさっきの一件をこれ以上気にしない事。それが出来たら、俺の方は······さっき、アンネが俺の口から聞きたい言葉もあるって言ってたろ? まあ、アンネの聞きたい言葉になるかは判らないけど、今は状況やらなんやらがややこしくて上手く言葉に出来ない俺の気持ちを、ちゃんと言葉に出来る時が来たらアンネに伝える。それで、どうだ?」
すると、アリシアはスッとアレルの頬から手を離して、その手を今度は自身の胸の辺りへ置く。その仕草は、アリシアが良く行うものだが、それはアリシアが自身の心を落ち着ける為の習慣づけの様なものなのかもしれないとアレルは考える。
しかし、その手はおそらく服の下のペンダントに触れており、僅かながらペンダントを通してこちらに嘘がないか確かめているのかもしれないともアレルは思ってしまう。
「······うん、良いよ。私が気にしない代わりに、アレルはちゃんと言葉に出来たら私に伝えてくれるんだよね?」
「ああ」
「それなら──」
と、アリシアは胸から離した手で小指を立てるとアレルの方へそれを差し出してくる。なので、アレルも紙袋を持ち替えてアリシアに合わせて、自身の小指をアリシアが差し出す小指へ絡ませる。
「──約束だよっ」
ニコッと、アリシアはそれまでの暗い表情を一変させ朗らかな笑みを向けてくる。それに、アレルも薄く笑みを返して小指を離すが、その内心は表情とは裏腹に暗い感情が僅かばかりチラついていた。
約束、これまでにアレルはアリシアと既に幾つかの約束を交わしている。確かに、約束を交わすにはある程度の信頼関係が必要となるが、その約束の数がアリシアとは少々多い様にアレルは感じる。それが却って、お互いに信じられない部分を補う為の方便に利用しているのではないかという疑念に繋がってしまう。
本来、信頼関係が出来ている上で交わす約束を、その関係を維持する為のものとして利用する。そんな、どこか歪とも言えてしまう関係に、アレルはどこかで正さないといけないと思い始める。
「······アレル? 何か、心配事でもあるの?」
「えっ?」
そこへ、アレルは笑顔を作っていたはずなのに、何故かアリシアはアレルの内心を言い当ててくる。
「い、いや、別に心配事なんてある表情してないだろ?」
「ううん、何か変だもん」
そう言って、アリシアはジーッとアレルの表情を観察する為か顔を近づけてくる。
流石に、薄暗いとはいえアリシアの顔を近づけられるという状況にアレルは耐えられない。その上、先程も言葉に出来る事は伝えると約束した様なものなので、今隠している疑念に関しては口にしなければならない気がしてきてしまう。
なので、アレルは取り敢えず顔を近づけてくるアリシアを空いてる手でその肩を押し返してから、咳払い一つを挟んで話を切り出す。
「······今から話すから、一先ず顔を近づけるのは止めてくれ」
「······うん」
アリシアは、首を傾げながらも了承したのか話を聞く姿勢になってくれる。
「えっと、だな······俺達って、それなりの数の約束をしているだろ? なんか、それが互いを縛っている鎖の様に感じられてさ······そんな風にしか、俺達は関係を維持出来ないのかななんて考えちまってさ」
アレルは、話はするもののそんな風に考えていた事がどこか後ろめたく、言葉を途切れさせながら少しずつ話す。そして、アレルは話を聞いたアリシアの反応が怖くて視線を逸らす。
「······ふ〜ん、アレルってやっぱり馬鹿だねっ」
「はぁ!?」
しかし、声を弾ませてどこか小馬鹿にした様なアリシアの反応に、アレルは思わず声を上げてしまう。
「だって、約束なんて破る事だって出来るんだから、そんな風に誰かを縛り付ける事なんて出来ないでしょ? それを鎖みたいに感じているなんて、アレルが約束を守ろうとしてくれてる証拠じゃないっ」
「それは······」
言われてみれば、確かに約束を破る前提であれば約束自体にそこまでの拘束力なんてまるで無い。つまり、アリシアの言う通りアレルを縛り付けていたのは約束ではなく、自分の中にある約束を守らなければならないという義務感だった。
そこに気付いたアレルは、その恥ずかしさから言葉を失ってしまう。そこへ、アリシアは更に続ける。
「アレルの言う縛り付ける約束って、契約や誓約の方だと私は思うの。それに私が約束をするのはね、別にそれを守って欲しいとかじゃなくて相手を信じたいからするの。確かに、破られちゃったら悲しいけれど、それでも約束してくれてる間は守ってくれるんだろうなって信じられる。······まあ、誰に対してでも出来る訳ではないんだけど、私今は凄く嬉しいのっ」
「何で?」
「解らない? だって、アレルは自分から言ってるんだよ? 私との約束を、自分達を縛り付ける鎖みたいに感じる程守り通そうとしてくれてるって。私ね、それが凄く嬉しい」
まるで花が咲く様に、そこだけが陽光で照らされているみたいな笑顔をアリシアは浮かべてくる。
そんな笑顔を向けられたアレルは、どういう理屈かは判らないがまるで自身の心の中の陰りまで照らされた様な気分になる。加えて、理論や理屈までも通り越してくる様なアリシアの姿勢に、アレルは自身の中の何かが打ち壊されたみたいな感覚すら覚えて何故か急に笑いが込み上げてくる。
「プッ······ククク、ハハハハッ! 凄いな、アリシアは」
「そうだよ、アレルが知らないだけで本当は凄いんだからっ」
ニコッと、思わずアリシアと呼んでしまったアレルに対しても、アリシアは嬉しそうな笑顔を向けてくれる。そうして、笑い合う二人だったが、アレルはこうして道端で笑い合ってても仕方ないと意識を切り替える。
「あー、あ······と、さて笑った事だし、ぼちぼち帰ろうか?」
言いながら、アレルは再び紙袋を持ち替えてアリシアへ自らの手を差し出す。それに、アリシアも一切の戸惑いを見せずにスッとアレルの手を握ってくる。
「うん、帰ろっ」
「ああ。でも、アンネは凄いって胸を張る前に包丁の使い方を覚えた方が良いかもな」
「むぅ、またそうやって私を子供扱いしてぇ······アレルのバカ」
はいはいと、アリシアの不満を聞き流してアレルは宿への帰路を歩き始める。そうして、アリシアと手を繋ぎ歩く夜道は、何故かアレルには周囲が明るくなった様に感じられていた。




