一章〜非望〜 六百二十話 その想いはまだ言葉に出来ない
こんな日々も、あと数日もすれば国境を越えて目的地までそう掛からない所まで行ってしまう。そうなれば、自身はこうしてアリシアと街中を歩く事は疎か、気安く話し掛ける事すら出来なくなるとアレルは考える。
その時、アリシアを守らねばならない重圧からの解放を喜ぶのか、それともこういった関係が終わりを迎える事に寂しさを感じるのかはアレルにも解らない。それでも、あともう少しだけ、せめてアリシア達と別れるその時までは虚勢だろうとなんだろうと貫き通して、アリシアには不安なんて感じさせずに送り届けたい。
ただ、そこで自身の弱気から防衛本能が働いてしまうのがアレルで、いずれ訪れる別れに備えて自ら手放してしまおうと無意識にアリシアと繋ぐ手から徐々に力を抜けていく。
「どうかしたの?」
しかし、そう問い掛けるよりも早くギュッと握り返してきたアリシアによって、手を離そうとしたアレルはそれを阻止されてしまう。
「いや、ほら······両手が塞がっているのは護衛としてどうかなと思ってさ」
だけど、アレルの方も阻止されたからといって直ぐには諦めず、尤もらしい言葉を並べて抵抗する。
「イヤ! だったら、今だけは護衛じゃないアレルでいれば良いだけでしょ?」
ただ、そんなアレルの抵抗もアリシアの屁理屈には敵わず、更に手を握る力を増してくるアリシアにアレルは降参する。
「解ったよ、でも何かあったら直ぐに離してくれよ」
「······馬鹿」
約束忘れないでよと、どこか不貞腐れるみたいなアリシアから聞こえてきて、アレルはハッとさせられる。アレルは自ら宣言していた、アリシアから嫌だと言われない限り傍にいるという約束をそこで思い出す。
「あっ······のさ、約束に時効とかあると思うか?」
瞬間、ギリリッと繋ぐ手にアリシアが力を込めてくるも、アリシアはそこまで力が強くない為あまり痛くはない。それでも、痛いのは約束を忘れられていた上にこんな事を言われたアリシアの方かと、アレルは自身の言動を猛省する。
「ごめん······一応、確認しただけだからさ。そういう事なら、もう忘れないから嫌になったらちゃんと言ってくれよ」
「······アレルのバカ。いつも、そうやって離れていく事ばかり考えているんだから」
アリシアの文句に、流石にいつもではないと思うアレルだったが、今しがた考えていたのでぐうの音も出ない。
ただ、それでも今はアリシアが安心感を得られるのが自身からだけだったとしても、公国へ入って環境が変わればそうでなくなるとアレルは考える。そうして、アリシアから安心感を得る為の執着が無くなれば晴れてお役御免だ。しかし、その約束自体もアリシアから言わせるあたりに、自己保身と自己愛が滲んでいる様にも感じられてアレルは情けなさと共に気持ち悪さを感じる。
そう、本来なら自らが必要なくなったと感じたら黙っていなくなれば良いだけのは話なのだ。それが間違っていなければ、アリシアだってそういえば最近姿を見ないな程度で終わるはずだ。それなのに、わざわざアリシアから嫌だと言われない限りと縛りを作る事で、逆に言われない限り傍に居続けても良いという免罪符にしている。
愚かで卑怯、自分の中に存在する唾棄すべき劣等感の様なものから生み出されたそれらを、アレルはひしひしと感じさせられる。願えるならば、物語の中の騎士の様に高潔な人間になりたいと願う。だが、それが出来ないからこそアレルはボロが出る前に大切な存在から離れたいと願うしかない。
「仕方ないだろ? こっちの世界に来た方法が判らない以上、明日急に戻される事だってあるかもしれないんだから」
「そうかもしれないけど······それでも、ちゃんとアレルの口から聞きたい言葉だってあるんだよ。······馬鹿」
ギュウっと、アリシアは再びアレルの手を離してやるもんかと言わんばかりに握り締めてくる。
アリシアの事がどうでも良いのであれば、ここでアリシアの聞きたがっている言葉を口にしてやるのも吝かではない。しかし、どうでも良くないからこそ本心でない言葉なんて吐きたくはない。そう思うからこそ、アレルは何も言わずにアリシアの不満を受け止める。
言葉なんて、ただ口にするだけなら伝えるだけなら、誰にだって出来るし誰に言われても同じになってしまう。だからこそ、どこかで聞いた誰かの言葉なんかじゃなくて、自身の心から溢れた言葉でなければ意味がないしアリシアには届かないとアレルは考える。
それ故に、アレルはアリシアと二人、気不味い沈黙を続けながら宿への帰路を歩く。アリシアに握り締められ、痛い程に熱い自身の手に耐えながら。
──主様、そのまま歩くと諍いを起こしている者達と遭遇する事になります。
しばらく歩いていると、そうして瑠璃が面倒事が生じている事を教えてくれる。なので、アレルは精神感知で瑠璃へ訊ねる。
(瑠璃、それってどの程度のものか判るか?)
──そうですね······お酒に酔ってでの、ただの喧嘩といったところでしょうか?
(解った、ありがとな瑠璃)
──いえいえ。
瑠璃だって、アリシアとの事は気になっているはずなのに、そんなのはおくびにも出さず普段通りにしてくれている。その健気さに感謝すると共に、アレルは本当に情けなさで死にたくなってくると思う。
ただ、このまま進むと変に巻き込まれた場合に、アリシアへ危害が及ぶ可能性がある。なので、現在地的に瑠璃の言う場所は来る時にあった雰囲気の良くない酒場だろうと思ったアレルは、通りを挟んだ反対側の歩道を歩こうと考える。
「アンネ、ちょっと反対側の歩道へ行っても良いか?」
「······」
声を掛けても返事はなく、アリシアはどこか心ここにあらずな様子で、歩く速度を緩めるアレルなんてお構い無しにそのままの速さで歩いてしまう。そうして、手を引かれる形になってしまったアレルは仕方なしにアリシアの横に並び、再度声を掛けてみる。
「おい、アンネ!」
それでも返事はなく、そうこうしている内に前方から聞こえていた喧騒がより鮮明に聞こえてくる様になる。どうやら、店の中ではなく表へ出て言い合いをしているみたいだった。
「テメェはよぉ、オレ様の靴でも舐めてりゃ良いんだよ〜!」
「ふざけんなっ、コノヤロー!!」
バキッと、遂には手を出した音まで聞こえ、諍いの騒がしさは増していく。争い殴り合う音に、それらを囃し立てる下卑た野次馬達の声。実に不快で、聞いてるのも嫌になってくるとアレルは思うも、それすらアリシアの耳には届いていないらしく立ち止まるどころか歩く速度を緩める事すらしてくれない。
そんなアリシアに、自身が何も言わない事がそれ程までに気に食わないのかと、アレルは少しだけ苛立ちを感じる。しかし、段々と争う男達の姿も見えてきてこのままではアリシアが巻き込まれてしまうと思い、多少強引にでも酒場から引き離そうとした瞬間だった。
「ぐへぇ!?」
と、蛙が潰れたみたいな声を上げながら、喧嘩をしている片方の男がアレル達の前へと転がってくる。更に不味い事が、周囲を気にしていなかったアリシアが歩き続けていたので、転がってきた男をそのままつま先で蹴ってしまう。
「えっ?」
それで、ようやく周囲の状況に気付いた様子のアリシアは、事態が飲み込めずに首を左右に振って戸惑った様な表情を浮かべる。ただ、そんなアリシアを放っておいてくれないのが転がってきた男だった。
「オイオイ嬢ちゃん、こんな時間に彼氏とイチャコラしてんのかぁ? つうか、人を蹴ったらごめんなさいだろうがぁ!」
言いながら、男は拳を振りかぶりアリシアを殴ろうとするも、それだけはさせまいとアレルがアリシアの手を強引に引いて自身の背中へと庇う。その代わり、振りかぶった男の拳はアレルの頬を捉えて殴りつけてくる。
「何だぁ? 兄ちゃんが、代わりにオレの──」
「オイ······初めは、こっちの無礼だ。一発は見逃してやる。······だが、それ以上やるなら容赦しないからな」
男の言葉を遮り、アレルは滅多な事では人に向けない殺気を男へと向ける。その殺気の向け方も、ロバートがやっていたのを模倣しているので迫力は折り紙付きだったのだろう。
しかし、それよりもアレルの身に付けている刀剣類の多さを目にしてか、相手が悪いと悟った様子の男はその場で尻餅をついてしまう。
「い、いやいやっ!? 悪かった、勘弁してくれ!」
駄目押しに、アレルは尻餅をついたまま道を譲る男を睨みつけ、それ以上変な言い掛かりをつけられる前にアリシアを連れて酒場の前を速やかに通り過ぎる。
その際に、酒場の喧騒も静まり返っていたが、手を繋ぐアリシアが妙にソワソワしている様だったのがアレルには気になった。




