一章〜非望〜 六百十九話 その恐怖が足枷に
どうして、アリシアがここまで自身の身を案じてくれているのか、アレルには皆目見当がつかない。アレルの場合、きっかけはアリシアが置かれているその過酷な状況への同情だったかもしれない。それでも、今はアリシア達それぞれに想う所があり、自身にとって大切な存在だという自覚がある。
しかし、自身がそうだからといってアリシア達までが自身を同様に想ってくれているかは判らない。自分がこれだけ想っているから、同じだけの想いを返してくれなんていうのは関係として歪にも感じる。だから、アレルとしては例えアリシア達が自身の事を何とも想っていなくても、自身が抱える想いやアリシア達に対する行動に何か変化が起こる事なんてあり得ない。
それなのに、何故アリシアはここまで自身を心配するのだろうかとアレルは思う。アリシアの立場は特別で、これまでだって今の自身と同じく尽くしてきた者はそれなりにいたはずだ。アレルは、自身がそんな者達と大差ない存在だと言う事を理解している。いや、寧ろ十全に尽くせる者達と比べて、自身は能力的に劣っていてアリシア達を満足に守れていないとすら思っている。
(······そんな不憫な所を、憐れまれているのかな)
もっと強くなりたいと、未だ果ての見えない地平に手を伸ばす姿はさぞ滑稽に見えるのだろう。ましてや、その目指す所が決して辿り着けない場所ならば、その滑稽さは尚更際立って見えるはずだ。そして、そんな奴が身の程も弁えずに、不完全ながらも不器用に傷付く事すらも隠せずに目的地まで守るだなんて宣っている。
そんなのを見させられているアリシア達にとっては、情ぐらい掛けたくもなるかとアレルは考える。しかし、アリシア達が自身をそんな風に見ていない事は、アレルもここまでのやり取りから解ってはいる。そう、アリシア達は憐れみや同情で自身を心配してくれてる訳ではない。
それでも、アレルにはそんなアリシア達と一定の距離を取らなければならない理由が存在する。
──この嘘つき野郎ッ! お前なんか、死んじまえッ!
その、記憶を失おうとも自身の中に残り続ける言葉が、アレルに恐怖を抱かせ二の足を踏ませ続ける。何があったのかは、全く思い出せない。でも、きっと大切な何かを自身がきっかけで取り返しのつかない形で壊してしまったのだろう。それも、身近な誰かを裏切る形で。
そう考えてしまうアレルは、アリシア達が自身にとって大切な存在だと感じているからこそ、今一歩近づく事を恐れてこれ以上踏み込んではいけないと線引きをしてしまう。何が原因か判らないから、もう二度と大切な存在を自らの手で壊したくはないからと、アレルは敢えて大切だと感じるものから距離を取る。
過ちを犯した自分には、そういう守り方しか許されないのだからと自らに言い聞かせて。
「はいよ、こっちがラスクの入った方で、こっちが黒パンとバゲットな」
と、身に覚えが無くとも自らの罪に苛まれるアレルへ、品物を紙袋に詰め終わったパン屋がそれぞれをカウンターへ置きながら声を掛けてくる。それに、慌てた様子を見せる事なくアレルは冷静に対応する。
「ああ、ありがとな。それと、悪いんだけど······紙袋をもう一枚付けてくれないか? 宿で、他の連れとは別の部屋でさ、ラスクを分けるのに必要だから」
それで良いんだよなと、アレルは視線でアリシアに確認を取ると、アリシアは無言でコクンと頷きながらも柔らかく微笑んでくれる。
その微笑みを見て、アレルはアリシア達がどう思っていても自身がやる事は変わらないと、変な悩みを振り切って想いを新たにする。
「ああ、それで四人分······分かったよ、ほら」
そう言って、アレルの事情を察した様子のパン屋は紙袋をもう一枚付けてくれる。それに、感謝しつつもアレルは右手をサイドポシェットへ回す。
「悪いな。それで、いくらになる?」
「いや〜、こっちとしては助けられたから別にただでも構わないんだけど······」
「ふざけるな、この世でただより怖いものは無いんだ。だから、ちゃんと代金を支払わせろ」
そんな、まるで店員と客が逆になったみたいなやり取りに、隣で見ているアリシアがそのおかしさに笑いを堪える。そのアリシアの様子に、アレルも確かに変な感じがするなとは思う。
すると、腕を組んで悩んでいた様子のパン屋がヨシッと手を叩く。
「それなら、黒パンとバゲットで合わせて中銅貨五枚でどうだ? あっ、言っとくけどラスクに関してはまだ売値を決めてないし、一応試作品だからこっちとしても代金は受け取れないからな」
「それにしても、安過ぎないか?」
「良いって事よ、元々売れ残りだしアンタは恩人だからな。それに、こういう時は相手に少し多めに便宜を図った方が後々の利益も増えるって聞くしな」
ニシシッと、パン屋はどこかで聞いた様な話を口にしながら愉快そうに笑う。随分と気前の良い感じだが、それで店の経営は本当に大丈夫なのかとアレルは余計な心配をしてしまう。
ただ、何時までもここで押し問答をしている訳にもいかないので、アレルは言いたい事を呑み込んで中銅貨五枚をサイドポシェットから取り出してカウンターへ置く。
「へい、丁度頂きます」
そう言って、中銅貨をしまうパン屋を横目にアレルは黒パンとバゲットの入った紙袋を手にする。
「アンネ、そっちの袋を頼んでも良いか?」
「うんっ、任せて!」
アリシアは、面倒事を頼んだというのに声を弾ませ、嬉々としてラスクの入った紙袋をもう一枚の紙袋と共に手にする。どういう訳か、アリシアは自分で気に入ったものに関しては自分で持ちたがる、どこか子供っぽい一面がある。
それを知っていたアレルは、ラスクを食べていた様子から察して、ラスクをアリシアに持ってもらう事にした。
「じゃあ、帰るか?」
「うんっ」
そう言って、アリシアと共にパン屋を後にしようとしたアレルの背に、パン屋が声を掛けてくる。
「助かったよ、またウチに来た時は安くさせてもらうよ」
「言ったな。次、いつ来るか判らないけど、ちゃんと覚えておけよ」
アレルは、紙袋を片手で持つと空いた片手でパン屋へ向かって弓を構える様にする。すると、パン屋は怖い怖いと両手を上げながらも、にこやかに笑ってアレル達を見送ってくれた。
そうして、店の外に出たアレル達だったが街を出歩くには少々遅く、荷物も出来てしまったのでアリシアの行きたい場所へは行きづらくなってしまったなとアレルは思う。
「なあ、これからアンネの行きたい所へ行こうと──」
そこまで口にした所で、アレルはアリシアによって口の中にラスクを差し込まれてしまう。
「──ムグっ!?」
「帰ろっ、お土産も出来たしアレルも疲れているんでしょ?」
そう訊ねてくるアリシアに、アレルは手を使わずにラスクを口の中へ迎えると急いで咀嚼して嚥下する。
「ングっ······良いのか? どこか、行きたい所があったんじゃ──」
「良いのっ! ほら、帰ろっ」
アリシアはそう言って、アレルと同様に紙袋を片手で抱えると、空いた手でアレルの手を取り前を歩く。アレルは、そんな滅多に見せないアリシアの強引さに戸惑うせいでされるがままになってしまう。
「いや、そんなに引っ張んなくても自分で歩くから」
そう言って、アレルはアリシアに引っ張るのを止めさせると、今度はアリシアが何かを思い出したみたいに足を止める。
「あっ、そうだ! ねえアレル、今度私にもあれの作り方教えてよ」
「えっ? ラスクの作り方か?」
「違うよ、前にアレルが作ったレモンの蜂蜜漬けだよ」
言いながら、再び歩き出すアリシアにアレルも歩調を合わせる。
「作り方って言っても、それ程難しくは······そうか、包丁使うもんな」
染み染みと呟くアレルに、アリシアは不機嫌そうに頬を膨らませてくる。
「も〜う、また私の事馬鹿にしてるでしょ!」
「してないよ、危ないからな包丁って」
「ほら、してるじゃないっ」
プイッと、アリシアはアレルから顔を背けて口を聞いてくれなくなってしまう。それでも、離しはしない手だけが本気で怒ってない事を伝えてくれる。
そうして、少し冷える街中をアリシアの手の温もりを感じながらアレルは宿への帰路へついたのであった。




