一章〜非望〜 六百十四話 せめて夜道を歩く支えぐらいには
部屋を出たアレルは、アリシアが部屋の施錠をするのを待ってから一緒に一階へと向かおうとして、メリルの事を思い出し一言声を掛けてから階段へ足を向ける。移動しながら、オルフェに借りを作る形になってしまうのが少し癪だが、アリシアが雨に濡れずに済む事だけは感謝してやろうとアレルは思う。
しかしながら、ここラ・アトランディアという世界は実に不思議な世界だとアレルは感じる。魔法という奇跡の力がありながら、それは結局妖精や精霊達の下位互換でしかなくどこまでの事が可能なのか未だ判らない。ただ、精霊信仰といい魔法の事といい、元の世界なら神の御業とかになりそうなものが全て精霊由来のものとされている節があり、まるで神なんていない世界の様にアレルは感じる。
ただ、ティエルナ教という神を信仰する宗教もあるみたいなので、神という存在または概念的なものは存在しているのが判る。それでも、アレルはこの世界における神と妖精や精霊達との関係はどの様になっているのだろうかと気になるのであった。
そうこうしている内に、階段を下りて一階まで来たアレル達は一先ずカウンターへ顔を出す。
「アレル様? その様な物を抱えて、どうかしましたか?」
だが、アレルが声を掛けるよりも先に、店主に代わりカウンターで立っていたミゲルに用件を訊ねられてしまう。その際に、アリシアはいつもの癖なのかアレルの背に隠れるみたいな動きをするが、暖炉前での事を思い出してか躊躇した様子を見せてそれを踏み留まる。
「······いや、少し物資の調達に出ようと思って、部屋を空けるからコイツを下げに来たんだ」
そう言って、アリシアの事を気にしつつも、アレルはスッと持っている食器を載せたトレイを軽く上下させる事で判りやすく示す。
「それぐらいなら、声を掛けてもらえれば誰か向かわせましたが?」
「まあ、だろうけど······ほら、雨の心配もあったから少しでも早めに出たいと思ってさ」
「そうですか······それでは、抱えている物はこちらで預かりますので、雨の止んでいる内に速やかに済ませて来て下さい」
ミゲルがそう言うので、アレルは手にしていた食器の載ったトレイをカウンターへ置き、続いて戸惑っていたアリシアから持っていたパン籠も受け取ってそのままそれもカウンターへ置く。
「じゃあ、少し出て来るよ」
そう口にするアレルの横から、緊張した様子のアリシアは持っていた部屋の鍵をミゲルの前にスッと置く。アレルは、そういえば自分で持っていなかったから忘れていたなと申し訳なく思う。
ただ、アリシアが自ら勇気を出して行った事に、変な責任を感じるのもおかしな話だと思いアレルは謝るのをやめる。
「はい、では部屋の鍵をお預かりしますので、どうぞ出掛けて下さい」
「ああ」
頭を下げるミゲルに、アレルは軽く手を上げて返すとアリシアを伴って宿を出る。
外に出ると、ジトッとした水気を含んだ重たさを感じる空気に、鼻先には雨の匂いが微かに届く。雨上がりだからか、通りに敷かれた石畳の隙間には雨水が留まり徐々に側溝へと流れてはいるものの、それなりの足元の悪さを感じさせる。頬を撫でる微かな風も冷ややかで、湿度の高さもあって更に冷える朝は霧も出る事が予想される。
そんな街の様子に、その身を縮こませている様に見えるアリシアに対して、アレルは自身の左手を差し出す。
「えっ······?」
「いや、えっ? じゃなくて、足元も悪そうだし暗いから、手を繋いだ方が良いかと思ってさ。······もしかして、要らないか?」
そう訊ねてはみたものの、一応アリシアには考える時間が必要だろうとアレルは左手を差し出したまま待つ。すると、ゆっくりではあるもののアリシアの右手がアレルの左手へ伸ばされる。
「そういう······事なら」
それでも、アリシアはどこか恥ずかしいのか、空いてる左手ではフードを目深に被り直す。そうして、触れたアリシアの手はやはり少し冷たく緊張していた事が判る。
過保護過ぎるとは思うが、人見知りと言うにはアリシアを取り巻く状況が悪過ぎて、他者へ恐怖心を抱くなとも言えない事情もあり、それらを取り除いてやれないアレルは自身の不甲斐なさを痛感する。それでも、ミゲルとの件を踏まえて自らの行動でミゲルの事を傷付けまいとするアリシアの姿がいじらしくて、アレルは手を差し出せずにはいられなかった。
ただ手を差し伸べる事しか出来ない、そんな自身の無力さを噛み締めながらアレルは自らの胸の内を悟らせない様に笑みを浮かべる。
「じゃあ、行こうか」
言いながら、アレルは自身が馬車の通る側になる様に足を踏み出す。すると、アリシアはキュッとアレルの手を握り返してくる。
「ア······ンネ?」
うっかり、アリシアと呼んでしまいそうになるのをアレルは何とか踏み留まる。それに、首を小さく左右に振ったアリシアは口元に笑みを浮かべる。
「ううん······ありがと、アレル」
その反応に、少し戸惑うアレルではあったが、そこへ瑠璃からの言葉が伝わってくる。
──全てでなくとも、伝わる事はあるという事なのではありませんか?
(······かもな)
アレルは、瑠璃へ精神感知で答えつつも繋いだ手の体温が段々と同じくらいになるのを感じ、確かに何か伝え合うものもあるのかもしれないなと思う。
ただ、そこはアレルなのでそのままの雰囲気でいるのも気恥ずかしい為に、空気を変える話題を口にする。
「あ〜、そういやパン種持ってこないと駄目なんだっけ?」
「パン種? 何の話をしているの?」
そうやって、隣を歩くアリシアが食いついた事で、アレルは口元にニヤリと笑みを浮かべる。
「いや、だって今からパン窯で焼いてもらうのに、パン種は持参しなきゃ駄目なんだろ?」
「······ん? あっ! アレル、また何か変な事言ってるでしょ? 私だって、そういう事をしていたのずっと昔の事だって知ってるんだからっ」
「いや〜、ほら······こっちの世界とは俺の認識が違うかもしれないから、一応な」
アレルの記憶に残った知識では、どこかの国かは覚えていないが庶民がパンを焼く事を禁止されていた時代があったと覚えている。そういった所では、小麦なりパン種なりを製パン所まで持っていったと記憶しているが、その知識があっているかは定かではない。
しかし、アリシアの反応を見るにラ・アトランディアにもそういった時代があったのかもしれないとアレルは感じる。
「も〜うッ、今はパンぐらい普通に買えるんだよ」
「はいはい、解ったって」
──主様達とのお出掛けは、ルリも楽しいです。
そんな瑠璃の呟きを聞きながら、アレルはアリシアと街中を歩いていく。
時刻はまだ夕食時、雨の切れ間のせいもあってか人通りはかなり少ない。ただ、それなりに新しい街並みの為か、通り沿いは街灯で照らされてそこまで暗くはない。そんな中を、アレル達は和気藹々と他愛のない会話を弾ませながら歩く。
それでも、繋いだ手だけはしっかりと握られ、会話が弾む程に僅かに温もりが感じられる様になる。その温もりに、アレルはこんな自分でも、少しはアリシアの支えになってやれてるのかなと思うのであった。




