一章〜非望〜 六百十五話 勝手の判らない街
パン屋を探すアレル達は、まずは旅人向けの商店が建ち並ぶ大通りを目指して街中を歩いていく。
それというのも、今日は雨が降っていたので露店などは早々に店を畳んでしまっているだろうと考えたからで、実際に街中を歩く中で露店は見かけない。ただ、懸念があるとするならパン屋というものは朝と昼にパンを焼く印象があり、こんな夕食時まで店を開けているか判らない事だった。しかし、今日の雨で客足も遠のいていた事を加味すれば、売れ残りを捌く為に店を開けている可能性も僅かには存在する。
そんな僅かな希望に縋りつつ、アレルは徐々に足取りが軽くなっていくアリシアからどこか嬉しそうな雰囲気を感じる。やはり、世界は違えど女性というものは買い物が好きなんだろうかとアレルが思っていると、そこへアリシアが不意に訊ねてくる。
「ねえ、今日はパンを買ったらそれで終わり?」
「いや、別に他を見て回っても良いけど······何か欲しい物でもあるのか?」
「う〜ん、そういう訳ではないんだけど······ね」
何故か、自ら切り出した話題にも関わらず、アリシアの返事は歯切れが悪い。それがどういう訳なのだろうと、アレルは考えてはみるものの何も手がかり無しでは分が悪い。
なので、少し冗談めかしてアリシアへ揺さぶりを掛けてみようとアレルは考える。
「じゃあ、もしかして魔物食材を使った料理を食べたいとかか?」
そう口にした瞬間、アリシアは空いてる方の手で繋いでいるアレルの手の甲をギリリッと無言で抓ってくる。
「痛ッ······ごめんって、冗談だよ」
正直、アリシア達に魔物食材の受けが悪いのは知っていたが、せめて実力行使ではなく言葉で返して欲しいとアレルは思う。ただ、次の瞬間アレル達の正面から馬車が一台やって来るのが見えたアレルは、足を止めてアリシアを自身の陰に庇い外套で自らの半身を覆う。
すると、ビチャッと馬車の車輪が跳ね上げた水溜りの水がアレルの外套を僅かに濡らす。それを、アレルは外套を軽く振るって払い落としながら顔をアリシアへ向ける。
「濡れなかったか?」
「うん······ありがと」
車ならいざ知らず、馬車の車輪はタイヤよりも細いし水溜りもそれ程水があった訳ではないので、アレルの方も濡れたという感覚は薄い。それでも、アリシアの方へかからなくて良かったとアレルは安堵する。
「それで、どこか行きたい所でもあるのか?」
「あっ······ううん、一先ずパン屋へ行ってからにしよ。······買えないと困るし」
「まあ、それもそうだな」
と、どこか話題を逸らされた気もするアレルだったが、アリシア自身がそれで良いならそうしようと取り敢えずパン屋を探し続ける事にした。
しかし、勝手の判らない街での店探しは面倒な事この上ないとアレルは感じる。人探しであるなら、瑠璃に頼めば見つけられる可能性ぐらいはある。でも、店探しとなると瑠璃の能力でも探し当てる事が出来ないと思うと、地道に足で探すしかないなとアレルは肩を落とす。
そうして、まずは大通りに出たアレル達ではあったが、街の住人に訊ねようにも大通りにすら人は疎らで、そのほとんども旅人の様だった。なので、左右を確認したアレルはどちらかと言えば人の気配が多い方へ向かう事にした。
(にしても、雨上がりでもなければ匂いとかで方向ぐらいは判りそうなもんなんだけどな)
大概、街の造り的に飲食関係の店は纏まっている事が多い。それも、ミッテドゥルムの様に一から造られた街なら尚更そうなのではないかとアレルは考える。それならば、風に乗って匂いが届いて来るのが普通で、届いて来ないなら風上を探せば良い。
しかし、雨で漂っているはずの匂いが流されてしまっている為にそれを辿る事が出来ない。なので、アレルは仕方なしに夕食時の終わり頃というのを踏まえて、人の気配が多い方に飲食系の店があるのではないかと考える。
そういう訳で、アレルは大通りを街の西側に向かって歩き始めたのだが、中々パン屋は見つかってくれない。賑やかななのも、酒場の様な店がほとんどで値段設定も安価なのか、あまり雰囲気は良くない。なので、アレルはアリシアの手を引いて、その様な場所を足早に抜ける。
「······見つからないね」
「だな」
アリシアに、短く返したアレルは大通りから更に南側にならば、住人の生活を支える店もあるのではないかと考え足をそちらへ向ける。ただ、一人で探している訳ではないので、アレルは歩く速度を緩めてアリシアを気にする。
「疲れたりしてないか?」
「ううん、平気だよ。アレルは?」
「これぐらいで疲れてたら、護衛なんて出来ないだろ?」
「うん······そうだね」
何故か、キュッとアリシアが繋いでいる手を握り返してくるのでアレルはアリシアの顔を見ると、フードで表情までは見えないが僅かに口角が上がっているのが見えた。その理由が解らないアレルではあったが、不安や不満を抱えていないなら良いかと気にせずに歩く事にした。
すると、軒先でため息を吐く調理士服の男の姿をアレルは見つける。アリシアも、ほぼ同時に男の姿を目にした様子で、アレルに声を掛けてみようと目配せしてくる。なので、アレルはこちらに気付いていない男に近づいてから声を掛ける。
「なあ、ため息一つつく度に幸せって逃げるらしいぞ」
「うおッ!? ······って、アンタ誰だよ? 驚かせないでくれ」
男と会話をし始めると、手を繋いでいるアリシアがそれとなく歩調を合わせるのに装って身体を寄せてくる。その行動が、アレルにはどこか無意識にやっている様に感じられ、やはりアリシアの抱えている問題は根深いなと思う。
「悪い悪い。ところで、こんな場所でため息なんて吐いてどうしたんだ?」
「はぁ······それか。まあ、良いか······実は、パン屋をやっているんだが今日は結構な売れ残りが出てしまってね。雨が降る前は、売れ行きが好調だった分焼き過ぎたのもあるけど、もう少し空模様を気にしておくべきだったよ」
言い終わりに、パン屋の男は再びハァとくたびれた様なため息を吐く。しかし、売れ残っているならアレルにとっては好都合なので、心の中でそれはご愁傷さまでしたと言いつつ買い物させてもらおうと考える。
「なあ、黒パンとかバゲットとかって残っているか?」
「ああ、それ以外も少しなら残っているよ。午後は、旅人向けに保存の利くものを主に焼いているから」
「それなら、幾つか買わせてもらえないか? 明日の分を切らしていてさ」
「そういう事なら、こっちは願ったり叶ったりだ。さあ、何でも良いから好きなものを選んでくれ」
パン屋の男は、そう言ってアレル達を店の中へと招く。店に入ると、瞬間焼けたパン特有の良い香りが鼻腔を刺激し、夕食後だというのに食欲を掻き立てられる。この、俗に言うパンの焼けた匂いというのは小麦に含まれるデンプン由来の天然香味らしいが、こうして食欲が湧いてくるのは半ば条件反射的なものなのだろうとアレルは思う。
それから、店内を見渡すと確かに売れ残りというには少々余り過ぎな量のパンが並べられている。とは言っても、日本の様に店内に所狭しと置かれている訳ではなく、客の入れる部分が畳四畳分ぐらいしか設けられていない。その代わり、客から見える位置のカウンター内に多くのパンが並べられている様な状態だった。
そんなパンに目をやると、黒パンは他に比べて少量で最も残っているのはバゲットといった具合だった。
「······黒パンは、割と残ってないんだな」
「ああ、元からあまり人気がないからね。日持ちはするけど、酸味が苦手とかで売れないからバゲットの方を多めに焼いているんだよ。······まあ、他のは自分で食べるとしても、このバゲットだけはどうにかならないかと思っているんだけど」
ハァと、カウンターの中に立っているパン屋の男は、本当に悩ましいといった感じのため息を吐く。
その姿に、アレルは出来る事はあるがどうしようかと悩むものの、ジェームスという前例があるので今更かと料理関係に関しては少しだけ自分の信念を曲げるのであった。




