一章〜非望〜 千七十六話 迂闊には動けない
亀裂へと振るわれた騎士剣、魔力を纏わせていた刃は靄を斬り裂いてその奥に外の景色を覗かせる。それはこれまでと違い、周囲の靄が欠損を埋めようという動きを見せる事がない。
ただ、そんな裂け目とは反対にアレルの方はそのままとはいかずに、靄を斬り裂いた直後から他にも視えていた小さな亀裂が視えなくなってしまう。
たった一振り。
本来は、アマデウスの能力を行使する為に必要だと言われた魔力と闘気の混合──それが、たった一振りだけの上にアマデウスの能力すらも禄に使用してないのに、それだけで生成した全てを使い切ってしまう。
その事実を前に、アレルは自分の中にいる存在がどれ程遠く遥かに気高い場所にいるのだろうかと改めて実感し途方に暮れる。それでも、ようやく自分だけの力でその頂へと続く道の出発点には立てた、その事に対しての確かな高揚感は己の中に存在している。
ただ、反対に自身のそんな未熟さが現状に対しての無力感を増長している事も解る為に、アレルはそんな高揚感には蓋をして目の前の事に集中し直す。
そうして、アレルは騎士剣を鞘に納めてからヘルマンを担ぎ直し、少しだけ背後を振り返る。
出来る事なら、全ての人を靄の外へ出してやりたい。でも、それをする為の時間も人手もない事は充分に理解はしている。だからこそ、幻覚に囚われたままだと危険で、外に出さえすれば人員を動かせるヘルマンを先に外へ出すんだとアレルは自分に言い訳をする。
そして、そんな言い訳をした上で叫び声を上げている人々へ心の中だけで謝罪を済ませたアレルは、意識を失ったままのヘルマンを伴い靄の外へと脱出する。
「アレル君ッ!? それは、ヘルマン殿か? 無事なのか?」
すると、靄の外では内と外を繋ぐ裂け目が確認出来ていたのか、出て直ぐの所にコンラートと守備隊の一人が武器を構えて立っていた。
アレルは、そんな二人に対して何かを答える前に靄から充分に離れ、肩に担いでいたヘルマンの腕を下ろしてその場に寝かせる。
「······一応、俺達は無事だ。ただ、ヘルマンが中で瘴気に当てられたのか幻覚に囚われていたから、こうして気を失わせて外に連れ出した所だ」
そう返すと、コンラートの隣にいた守備隊が構えを解いてその場に寝かせたヘルマンに駆け寄る。その一方で、コンラートはアレルの言葉を受けて少し考える間を空けた後でアレルへ言葉を返してくる。
「幻覚と言っていたが、中で何かあったのか?」
「······まあ、色々とな。ただ、中に逃げ込んだ奴が靄の中央で何かしてる所までは判った」
「そうか! であるならば、君達が出て来た裂け目を利用して人々の救出とヤツの討伐も可能だな」
と、アレルの言葉にコンラートはどこか喜んでいるように声を弾ませるが、反対にアレルは中に対してそれ程の希望が持てない事も知っているのでその表情に影を落とす。そこから、コンラートは何かを汲み取ったのか、少し間を空けた後でアレルを気遣うみたいに遠慮がちに続けて訊ねてくる。
「その······何か、懸念でもあるのか?」
その問いに、アレルは言葉で応える前にやれやれと肩を竦めてみせる。
「寧ろ、懸念しかねえって感じだよ。中は瘴気が混じってて、耐性がない普通の人間が入ればヘルマンみたいに正気を失う可能性がある。ただでさえそんな状況なのに、周囲の叫び声が靄の中を反響してこっちの精神をガリガリ削ってもくるしな」
「······そんな中で、よくアレル君は無事だった──ん? 君、その瞳はどうしたんだ? 少し色が──」
そう言われ、何が原因か判らないが風詠を使用している事もあって瞳の色味が変わっている事を、アレルはコンラートの言葉からようやく伺い知る。なので、その言葉を途中で遮りつつも嘘にならない程度に誤魔化す。
「魂とか、そんなものを視ていた影響なのかもな。取り敢えず、自分の身体の事で理由のわからない事があると気持ち悪いから気にしないでくれ」
「うむ······それもそうか。済まなかったな」
「別に構わない。ただ······アレをどうするかが問題だな」
アレルは、コンラートが配慮のなさを謝ってきた所で、気にするなと返しつつ話題を変える為に自身が出て来た靄へ視線を動かす。
先程自身が斬り開いた出入り口は健在、だがその程度では綻びを作ったぐらいにしかなっていないみたいで靄自体には目立った変化は見られない。その中で変わった事といえば、外からでも見える程にはっきりとした二箇所から中央へと向かって渦巻く靄の流れだろう。それに比べて、アレルが楔とされていた人を解放した箇所には、中にいる時に感じていた薄くなった様子が外からでは見られなくなっていた。
その違いは何なのか、そもそも幽鬼君主の狙いはどこにあるのかと、アレルは再び動き始める前に色々と考え始める。時間が限られているからこそ、一度落ち着けた今の内に情報を整理するのも大事だとアレルは思う。
「アレル君、もし奴が回復してる途中であるなら、君がそこから倒しに行く事は出来ないのか?」
すると、そこへコンラートがアレルの作った靄の裂け目を指差して訊ねてくる。
それに対し、アレルはその場合の仮定を頭の中で考えながら、それをそのままコンラートへの返答としていく。
「出来る出来ないの話であれば試す事は出来るが、奴を倒せるかという話であれば判らないとしか言えない。仮に、奴が動けない状態であれば一方的に倒す事も出来るが、万が一にでも戦闘になろうものなら中にいる人々を巻き込む事にもなる。更に言うと、俺も色々と消耗しているから無駄になりそうな事を試している余裕が無い」
「そうだな······こちらにとっての、唯一奴への有効打を持つ君が動けなくなるとどうにもならないのは痛い所だな」
コンラートの言う通り、こちらにとっての弱みはそこにあって、仮に靄の中で幽鬼君主が万全な状態まで回復したとしたらゴリ押しされて負ける可能性がある。
それを踏まえると、こちらも出来る限り回復に努めるべきなのも解るのだが、薬も無ければ補充したい投げナイフもこの場には無い。そういう訳で、打つ手も無ければ回復の手段も無い──そんな状況で、幽鬼君主へ時間を与えてはならないのも解っていながら、アレルは何も出来ずにただ時間ばかりが過ぎていくのを感じる事しか出来なかった。
「せめて、瘴気だけでもどうにか出来ればな······」
そうすれば、少なくても人手を集めれば靄の中の人々を外まで運んで、中央部にいるであろう幽鬼君主との戦いに専念出来る。でも、その為にだからと魔力と闘気の混合を使い続けて靄の中の瘴気全てを除去するなんて事も無理な話で、仮に混合を使い続ける事が出来たとしても瘴気の発生源をどうにか出来なければ意味がない。
そう考えるアレルは、瘴気の発生源──負の感情を刺激され続けている人々をどうにか出来るかもしれないオルフェの存在を思い浮かべる。




