一章〜非望〜 千七十三話 幻覚に惑わされていても
思い返せば、コンラートに声を掛けられた時も後の事なんて考えずに動いてさえいれば、ここまで面倒な事態になる前に決着をつける事が出来ていたかもしれない。或いは、不穏な気配を感じた時点で対応していれば──そう考える事自体に、アレルは言い訳を探している様に感じられて自身への嫌悪を強めていく。
ただ、今はそんな自らを卑下している様な場合ではなく、目の前のヘルマンと楔とされてる人をどうにかしなければと頭を切り替える。
「······そっちから来ないなら、こちらからいくぞ!」
そこへ、アレルが目の前の事へ集中し始めた瞬間を狙うかの様に、ヘルマンが長剣を構えてアレルとの間合いを詰めてくる。
普通とは違う、幻覚で骸骨戦士に見えているとはいえ、そう判断したヘルマンの初手はこちらの対応を見る為の軽い縦への振り下ろし。それをアレルは、左右のどちらかへ回避すれば斬り返しにより、後方へ下がれば突きによる追撃があると読んで敢えて正面から騎士剣を打ち合わせる。
すると、ヘルマンは力による押し合いを選ばずにアレルの騎士剣を弾いて刃を離し、アレルの胴体へ目掛けて突きを放ってくる。それを、好機だと感じたアレルは、ヘルマンの放つ突きに左腕の籠手を沿わせて受け流しつつ再度ヘルマンの懐へと潜り込む。
そして、今度こそヘルマンの意識を刈り取ろうと、アレルが防御に使った左腕をそのまま攻撃へ転じさせようした瞬間──
「その程度、辺境伯様の所にいる者には通じぬわッ!」
──と、口にするヘルマンに頭突きを喰らってしまい、たたらを踏んで間合いから離されてしまうアレルはまたも攻撃の機会を潰される。
「チッ」
その事に舌打ちをしながらも、辺境伯の所ではどれだけ荒っぽい戦い方をしてんだよとアレルは心の中で文句を言う。
とはいえ、刃を交えた事で幾つか判った事もあり、ヘルマンが使うのはルクスタニア流剣術で割と基本的なものである事。そして、そういったものを基本にした上で、まるで戦場で学んだものの様に野性味を感じる様な対処を返してくる事もある。
基本的でありながら、一部に本能的なものを同居させている様な剣筋──そんな剣を前に、アレルは何で現状で最も避けたいものを使うヘルマンが幻覚に囚われているんだと嘆く。
それというのも、ルクスタニア流剣術における基本的な型というのは特徴が無い分だけ隙が少ない。それ故に、なるべくヘルマンを傷付ける事なく正気に戻したいアレルにとって、隙なく振るわれる剣を掻い潜って一撃を入れる事がかなり困難となっている。
更に言えば、そうしてどうにか懐へ入り込んで攻撃しようとしても、先程の様にまるで路上の喧嘩で身につけたみたいな反撃ではね返されてしまう。
「······なあ、どうにか自分で正気に戻れたりしないのか?」
あまりに面倒な状況に、アレルはそれが出来るならと懇願に近い思いで口にする。
しかし、ヘルマンにはその言葉は届かず、更に険しい表情で睨み返されてしまう。
「この魔物めッ! またも、アレル君の声で私を惑わせる気か? そうはいかんぞ!」
その返しに、既に惑わされているんだよと呆れと諦めが混じった様なため息を吐いたアレルは腹を括る。そして、セドリックとの戦い以降は剣術の向上を目的にあまり使っていなかったソードクラッシャーを左手で鞘から引き抜く。
今回は、楔とされている人は勿論の事、ヘルマンをも守る為の戦いだ。それならば、ロナ達の想いが込められたソードクラッシャー程にお誂向きの武器もないだろうとアレルは思う。
「ハッ、武器が増えた所でッ!」
その言葉通り、アレルがソードクラッシャーを抜くのを目にしてもヘルマンは様子見などせずにアレルとの間合いを一息に詰めてくる。
それを、アレルは自身から見て右側へ身体を動かす事で、ヘルマンの直線の動きからの軸をズラす。すると、前に出した足を起点に踏ん張りを利かせたヘルマンは、その足を軸に身体を回転させて再びアレルを正面へと捉えてくる。
そこで、アレルは敢えて自ら足を止めたヘルマンへと距離を詰め、そこから逆手で抜いたままだったソードクラッシャーをヘルマンの長剣へ叩きつける。
衝突の瞬間、長剣からは震える様な甲高い音が響くも、ソードクラッシャーからは周囲の叫び声すらも斬り裂くみたいな鋭くも重い鈴の音の様なものが遠くまで真っ直ぐに伸びていく。
それはまるで、幻覚に囚われ精神が揺れているヘルマンと、これ以上の犠牲が出ない様にと願うアレルとを対比させる様な反響音だった。
しかし、そんな音からは金属の比重や硬さの違いなども読み取れるからか、音の違いを耳にしたヘルマンはソードクラッシャーを警戒して距離を取ってしまう。
「その短剣······魔物が持つにしては──いや、生前にそういう物を手にしていた人物を骸骨戦士として操っているのか。成る程、確かにそれならば街中の奴等とは違う訳だな」
「······そもそも、骸骨戦士ですらねえよ」
ヘルマンの謎な納得に、アレルは至極当然な事を呟いて返す。
ただ、ヘルマンが口にする違いも、街中にいた様な靄となって消えるものではなく、骨を残す生前が人間だったものだと思っているのだろう事は解る。だが、そんな事はアレルにとって心底どうでも良く、重要なのはソードクラッシャーに警戒心を抱かせる事が出来た点だ。
おそらくではあるが、先程の打ち合いによる金属同士の反響で、ヘルマンはソードクラッシャーに使われている金属が鋼よりも硬い事に気付いたと考えられる。そうでなければ、一旦距離を取って警戒する理由がない。だとすると、これからヘルマンはソードクラッシャーによる武器破壊を警戒しながら、攻撃の機会を窺わなければならないという思考の圧迫を強いられる。
正直、アレルとしては幻覚で正気でないのにも関わらず、その戦闘における判断力や戦闘力が衰えていない事に不満があった。
ただ、今の様にその能力の高さを逆手に取り、その思考力を警戒の方に少しでも割く事が出来たのは僥倖だった。そのお陰か、ヘルマンの中に生まれた警戒心がその動きを慎重にさせ、アレルに楔とされている人の状態を確認するだけの余裕を齎す。
そして、アレルは騎士剣とソードクラッシャーをヘルマンに対して構えたまま、視線だけで楔とされている人を視てみる。すると、この場で楔とされていた男性への印付はその腹部にあり、丁度すれ違いざまに触れやすい様な臍の上辺りだった。
その事にアレルは、きっとアンドレの中に潜伏していた幽鬼君主は、街中で逃げ惑う人々の中から無作為にその手で触れて印付を施していた事が判る。
肩甲骨、右肩、腹部の臍上──アレルが見た時には既に死んでいた二人に関してはどこにあったのか判らないが、どれも比較的すれ違いざまに触れやすい部分ばかりの様に感じる。つまり、それは楔とするのは誰でも良かったという事になり、楔とされ苦しめられていた人達は偶然そこにいたという理由だけでそんな目に遭わされていたという事だった。
そう結論づけたアレルは、またも幽鬼君主に対する怒りが湧いてくるが、今はそんなものに振り回されている場合ではないと冷静さを取り戻す。そして、ヘルマンが警戒してくれているならばと、アレルはその隙に楔とされている男性の腹部にある印付に触れる事も視野へ入れ始める。




