一章〜非望〜 千七十一話 妖精との関わり
「なッ──!?」
その見た目から、十歳にも満たないであろう少年から噴出される靄を目にして、アレルは幽鬼君主の悪辣さはここまで見境のないものだったのかと憤慨し言葉を失う。しかし、そうしてこちらの冷静さを奪う為の敢えての人選である可能性も踏まえて、一旦は感情を棚上げして少年へ近づく。
少年は、先程の女性と同じく白目を剥いた状態で、幽鬼君主の領域を維持する為の靄を噴出させている。そんな状態から、一刻も早く戻してやろうとアレルは風詠を集中させて少年の身体を視てみる。
すると、やはりというか先程の女性と比べて少年の魂は衰弱している様に視え、それでも一部が欠けているなんて事ではないのも視える為本当に衰弱してるだけなのも判る。ただ、それならばより早く元の状態に戻してやらなければとアレルは印付を探す。
少年の印付──それは、女性の時とは違う場所に施されており、その場所も実に判りやすく少年の右肩だった。
しかし、相手は魂が衰弱している少年である事を忘れてはならない。先程の女性の時は、初めてで細かな調整も出来なければ勝手が判らなかったので仕方ない側面もあったが、少年に対してもどこか力任せなやり方をするのは少し良くない気がする。
魂が衰弱──若しくは、著しく疲弊している分だけ解放の手順は速やかに行わなければ、解放された後にも少年の魂に何らかの後遺症を残してしまうかもしれない。こんな事に巻き込まれたが為に、少年の未来に妙な負債を背負わせる訳にはいかないとアレルは慎重になる。
先程の女性みたいに、不用意に触れて少年へ掛かる負担を増やさない様に、アレルはその右肩に触れる前から自身の左手へ魔力を込める。
強過ぎず弱過ぎず、それでいて一瞬で幽鬼君主による印付を取り去れる様に。アレルは、そうして殊更断ち切る事を意識しながら魔力を纏わせた左手で少年の右肩へ触れる。
「ガッ──アァ······」
その瞬間、アレルの左手にはスパッとした何かが斬れるみたいな感触が反り、少年はというと僅かに身体を硬直させたものの即座に脱力し身体を弛緩させた。
そうして、その場に倒れ込みそうになる少年を左腕で受け止めながら、アレルは上手く出来たみたいだと安堵する。そんなアレルは、片腕でも支えられる軽い少年をそのまま静かに寝かせ、右手には騎士剣を持ったままで再び横になった少年の肩に左手で触れる。
「よく頑張ったな。君をこんな目に遭わせた奴には、きっちりと落とし前をつけさせてやるからな」
そう言って、女性の時と同じく一言だけ残したアレルは、即座に立ち上がり周囲を確認する。すると、やはり周囲の靄は薄くなり、先程の女性がいた場所と合わせてそれなりに視界も良好になってくる。
しかし、そこでホッとしたのも束の間、次にアレルが向かおうとしていた場所の靄がその濃さを増してくる。更に、風詠を通して誰か一人の気配が弱くなって感じられなくなったのが伝わってくる。
「クソ······ヘルマンは向こうだったのか──ッ!」
アレルは、目の前の楔とされた人達を救うのに注力するあまり、ヘルマンの存在を失念していた事に歯噛みする
ヘルマンは、幽鬼君主の術中にある所為か、正常な判断力を失っている可能性がある。その為、ヘルマンはどういう訳だか楔となっている人達を殺そうとしているみたいだった。ただ、その行いの結果が靄を濃くさせるのと同時に渦を巻くなんていう理解出来ない結果を招いている。
そういった事から、敢えて楔を楔としたまま殺す事で、何かしらの利が幽鬼君主にあるのだと予想出来る。更に言えば、五箇所の内の二箇所がその思惑通りになった事で、それで強まった何かが靄の中央に向かっているのが風詠を通して判った。
幽鬼君主は、その流れが向かう先──靄で覆われた範囲の中心にいる。
その結果、アレルはそう確信を持つものの、今は楔から解放出来たのが二人に死なせてしまったのが二人と拮抗した状態になっている。
もし、ここで自分が幽鬼君主の元へ向かってしまえば、ヘルマンがもう一人の楔とされてる人を殺す事で均衡が崩れ幽鬼君主に有利な状況が出来上がる可能性がある。それを踏まえると、どう考えてもヘルマンを止める方が先だと思ってしまい、幽鬼君主の事は一旦捨て置くしかない。
「······チッ」
そう考える事自体が、幽鬼君主の思惑通りに動かされている様な気がしてアレルは気に食わない。
それでも、これ以上は犠牲を出したくないという想いと、人殺しをヘルマンにさせたくもないという願いからアレルはその思惑にも乗らざるを得ない。そんな歯痒さを感じつつも、アレルは幽鬼君主がいるであろう靄の中心を避けて、楔とされている最後の一人の所へと向かう。
その途中、それにしても実直で芯の強い様に見えていたヘルマンでさえ、幽鬼君主の仕掛けた罠に嵌まって正常な判断が出来なくなっているのはどういう事なんだとアレルは思ってしまう。
例え精神操作の類を受けていたとしても、ヘルマン程の精神力があればかなり耐えられる筈だ。それにも関わらず、ヘルマンがその術中に嵌まり正常な判断力を失っているという事は、何かしらヘルマンの精神力という壁を突破した外的要因があったと考えられる。
そして、その外的要因が弱っている幽鬼君主には無いと感じるアレルは、靄の中に混じる瘴気の方にそういったものがあるのではないとアレルは思う。だとするなら、何故自分はヘルマン程には瘴気の影響を受けていないのだろうという疑問もアレルの中には生まれてくる。
──精神耐性。
靄の中で、アレルも確かに感じているのは吐き気を催す様な空気の悪さだけ。ただ、その吐き気にも似た何かをどこかで感じた事がある様な気がしてきたアレルは、以前に瑠璃の仲間達から言葉に聞こえない意思を向けられた時の事を思い出す。
瑠璃やオルフェとのやり取りは、風詠をはじめとした感応系の能力を介して行われる。例外として、瑠璃からの声だけなら何もせずに聞こえるが、もしそれらのやり取りがある種の精神を介したやり取りであったとしたらどうなるのだろうかとアレルは考える。
瑠璃達の様な妖精は、半実半霊──つまり、性質は真逆の存在でありながら本質的な部分では幽鬼君主とも共通する所もあると考えられる。即ち、普段から瑠璃達との精神を介したやり取りをし続けている自分には、瘴気の影響や幽鬼君主が行う精神操作に対して耐性が出来ているのではないかとアレルは推測する。
もし、それが間違っていないのであるならば、今自分が靄の中で正気を保てているのも瑠璃のお陰だなとアレルは心の中で瑠璃に感謝する。
そして、そんな自分だからこそ楔の起点となっている印付にも干渉出来るのかもしれない。そう考えるアレルは、この靄の中だからこそ自分が幽鬼君主の天敵となり得るんだと自らに言い聞かせ、逸る気持ちを抑えながらヘルマンの制止へと急ぐ。




