弓張月
狭いコクピット。
暗黒の宇宙。
スプーンの様に抉れたクレーター。
破壊の後。
罪の跡。
20万の生命を示す天使の輪。
月の輪
呼吸の音。
静寂の海。
ディディの声。
『人は長時間の無音に晒されると精神に異常をきたすといいます。大丈夫ですか? ヨイチ』
「大丈夫・・・じゃないかな」
これから魔神と化した兄を撃たなければならない。
チャンスは一度切り。これを外せばもう策はない。地球に帰る前に、兄は終末プログラムを作動させるかも知れないのだ。
等身大のディディは申し訳なさそうに身体を小さく畳む。この出力じゃないと使えないオーダーが多々あるらしい。
月面のヘイロー事変跡地に到着してから一時間近く、彼女は指揮を振るように両手を忙しなく動かしていた。
『もし、人類とコウセイと、どちらかしか助けられないなら、貴方はどうしますか?』
「兄さんを救う」
『迷わないのですか?』
「兄さんと華だけが僕の世界の全てだ。兄さんを助けられないのは、世界が終わるのと同じなんだ」
ダイヤモンドダストの様な白銀の光を放ちはじめる月の輪。
正しくは、月の輪を構成するルナシティの無数に煌めく残骸。それに、月の鉱石や鉱物だ。
ディディは今、その月の輪すべてを巨大な磁力の大砲へと改造していたのだ。
それはいつか、咲耶の『狂い咲き』を見た時。
それはいつか、宇宙ステーションから『なしくずし』に打ち出された時。
それらがマザー&マダムの限りない知識の書庫と繋がった時、彼女は自分の力をしっかりと認識した。
それは自分が最も欲していたもので、自分が最も必要としていたものだから。
『月をリニアレールの円形無限加速器に形成。モニター、地上とシンクロ。タイムラグ、誤差1.2秒。ヘイロー地球側中心部に超高感度センサー固定』
ディディの音声に従い、月面一帯の磁場はついに自分達の出番だと踊りだす。
スポットライトがあたり、小道具が増えていく様に整えられていくランウェイの様だ。
月の輪の軌道を回る巨大な装甲材の一部が、ツクヨミの自動修復パーツと融け合い、一本の神殺しの弾丸へと圧縮されていく。
『主役の登場です』
「ディディ、そんな事言える様になったんだね」
『結構前からです。』
神殺乃弾は円形無限加速器の中を流れ星の様に飛んでいく。
遠心力と電磁の押し出す力に加速され、加速され限界を超えた破壊のエネルギーをチャージしていく。
ヘイローがバチバチと白い雷電を発し始めた。
『ヨイチ。弓張月の充填率、限界突破。・・・初速、秒速2,135キロメートル(マッハ6200オーバー)を検知。いつでも撃てます』
「恒星ちゃん!ここは絶対通さないッ!通りたければッあーしを倒してからにしなッ!!」
いつもの強く暖かい尊はいない。
血走った瞳。シワがよる眉間はさながら鬼の形相。
恒星の到着は予定より若干早かった。
だが、予定通りおびき寄せる事ができた。
「終末プログラムの使用法」という囮を使って。
『教官か・・・アンタは殺したくねぇ。だが、俺の邪魔するってんなら話は別だ。』
「このっ!!バカちんが!!そんな風に力を振るうために!あーしは!アンタを!鍛えたんじゃないッ!!全速前進!」
無拍子、というのだろうか。
意識のピントが合う前に、尊操るスサノヲ機はアマテラスとの距離を零にしていた。
話をする前から距離は詰められていたのだ。
話しかけ、集中力をあえて乱したのだ。
師として、恒星を慕う者として、
絶対に負けられない。
スサノヲの鉄拳がアマテラスの側頭部を捉えた。
石凝 尊、本気の拳。
躱せるものは日本に、いや、地球に何人もおるまい。
ましてやバイブスが満タンの黒ギャルを誰がとめれるというのだ。
アマテラスは追撃を警戒したが、追撃は無かった。
正しくは新たな初撃が背後からあった。
光学迷彩で潜んでいたタケミカヅチである。
『隠れ蓑の術〜。荒神って人工筋肉使ってるって知ってた?恒星ちゃん』
いつの間にか四肢や関節部分に銀の糸が巻き付いていた。
『筋肉はさ、電気で痙攣しちゃうんだよねー。』
タケミカヅチのワイヤーから流れたのは超高圧電流。筋肉を引き攣らす事を目的にした雷遁の術である。
「いい加減っ!!目ぇ覚ませーーーー!!!」
スサノヲ鉄拳が眉間を直撃。
大型の飛行機が墜落したかの様な轟音。
衝撃に周囲の草木は揺れる。
一瞬の静寂の後。
恒星から反応があった。
『ーーーたくねぇ』
尊は耳を澄ます。
『痛くねぇんだ、教官。ずっと落ちていく感覚が消えねぇ。どこまでもどこまでどこまでもどこまでもッ!!!』
恒星のーーーアマテラスの姿が消える。
次の瞬間、スサノヲの左腕は千切れ飛んでいた。
『此花神楽ッ!!』
攻撃直撃の硬直。タイミングを伺っていたサクヤヒメが陰から飛び出、アマテラスの腹部に攻撃を繰り出す。
しかし。
『それは前もやっただろーが!!!』
二段跳躍による回避。
此花 咲耶は驚愕する。そんな機能はつけていない。
恒星を蝕むストレスが、荒神を際限なく強化しているのだ。
だがーーーー。
躱されるのは織り込み済み。
サクヤヒメは更に加速し、前進した。
そこに隠されているのは、「ドローンリニアサークル」。いつかの超加速装置である。
身体で輪の中心に飛び込んだ咲耶はベクトルが向く方向にカッ飛んでいく。
即ち。
今、攻撃を躱したばかりのアマテラスに向かって。
『これがっ!此花神楽・返り咲きですわっ!!』
なりふり構わぬ特攻体当たり。
エレガントなどかなぐりすて、咲耶はアマテラスに縋り付くように抱きついた。
そのまま押し倒す様に、所定の位置目掛けて倒れ込む。
恒星の足元の床が、激しい爆音と共に底が抜けたように崩落した。
――田中の仕掛けた、資材搬入用ハッチを利用した突貫工事の巨大な落とし穴だ。
「しまっ・・・!?」
体勢を崩し、地下空洞へと落下していくアマテラスとサクヤヒメ。
後を追う様に穴に飛び込む片腕のスサノヲ。
タケミカヅチは辺りを見回す。
38万4400km先から高速で動くアマテラスを捕捉なんて離れ業、一人に押し付ける訳にはいかない。
「こっからはおっさんの出番だ!示してやるさ。若者の進むべき道をっ!」
風速、地形、気圧、天候、現在地、着弾までのタイムラグは180秒。通信のタイムラグは、1.2秒。
頭の中を埋め尽くす数字と計算式、体験と経験。
使えるものをあらゆる角度で繋ぎ合わせ・・。
そして。
足りない分はハートでカバー、だろ。恒星ちゃん。宵一ちゃん。
『位置確定。ポイント・南緯2度・東経141度。
着弾座標を送信。』
皆で笑い合える未来を、今一度。
受信した地上の映像を見て、宵一は愕然とした。
また速くなっている。
また強くなっている。
今止めなければ恒星はその身を焼き尽くすまで暴れる事を辞めないだろう。
「兄さん・・・」
宵一は狭く、暗いコクピットの中、独りガタガタと震えていた。
理性を噛み砕き、野生の本能に染まっていく恒星を、自分なんかに止めれるのか、と。
震える指は止まる気配がない。
だが後数分で、開始の合図が来る。
1秒の誤差も、0.1度の角度のずれも許されない。
熊を撃ち抜いた時、崖下のギアを撃ち抜いた時の何千倍も難易度が高い事だった。
「父さん・・・。母さん・・・。華ちゃん・・・。僕に勇気を・・・。」
その弱気を吹き飛ばしたのは。
これまでずっと、宵一の側で、宵一を支え続けてきたドール。ディディだった。
多くを語らなかった。
だがその言葉は迷い虚ろっていた宵一の心を撃ち抜いた。
『ヨイチ。かっこいいとこを見せなさい。コウセイが、貴方を待ってる。』
「あ・・・・」
ーーだから、君がいると心強いんだ。カッコ悪いとこ、見せられないぞってーー
カッと心が熱くなった。
そうだ。兄さんが待ってる。地獄の業火に焼かれようが、一歩も引かず全てを受け止めて、この世の不幸と正面から殴り合ってる。
例え負けるのが分かっていても、抗ってる。
ーーー僕のために。
犠牲になるのを、兄さんで最後にする為に。
兄さん。
もういいんだ。
もう背負わなくていいんだよ。
僕はもう、独りで歩けるから。
『タケミカヅチより受信。
ポイント・南緯2度・東経141度。
地球側誘導座標を受理。ターゲット捕捉。・・・誤差、0.00ミリメートル。主役のお出ましです、ヨイチ。貴方の兄を、救って見せなさい。』
宵一は涙を拭った。
父もなく、母もなく、妹も失い、最後に残った大事な兄。
悪意に灼かれ、運命に翻弄され、神を称する力で世界を滅ぼそうとする兄。
悲しかった。
でももうすぐ一緒に帰れると思うと、嬉しかった。
切ない。苦しい。胸が詰まる。あったかい。満ち足りていく身体。震えは止まり、闘志が湧き上がる。
ウィンドウを覗く。
全知全能に等しいディディの計算に狂いはない。
それでも引き金を引くのは人間の宵一だ。
秘術の全てを用いて弾き出した田中一郎の計算に狂いはない。
それでも、兄を撃たねばならないのは弟の宵一だ。
深呼吸をする。
様々な感情が渦を巻く。
その渦を、コントロールし、必要な所に、必要なだけ分配する。
呼吸、意識、覚悟、毛の一本にいたるまで集中。
心の中で唱える。
落ち着け宵一。冷静になった僕は、なんだって出来る。奇跡を起こす事だって。
波打っていた心は静まり返り、天空を反射する鏡の様に澄み渡る。
『シュートまであと、8.8秒。カウントダウン。
6。5。4。3。2。1。』
システムオールグリーン。
この世の全てが「行け」と言った気がした。
「ーーーー届け、弓張月。」
そしてこの世で最も美しく、この世で最も悲しい、この世で最も静かな願いが、月の輪から放たれたーーー。
パキン。
宵一の中の何かが壊れた。
限界だった。
常識を超越する38万4400kmの狙撃は
既に酷使されボロボロになった脳を早回しの様に焼き切っていく。
それはディディも同じだった。
無敵の力があっても、ディディは末端AIでしかない。
無敵の存在ではなかった。
弓張月を形成・発射した反動は、末端AIの存在を消しとばすには充分すぎた。
ノイズに塗れ、もう手足は視認すらできない。
だが。
遠のきそうな意識をギリギリの所で繋ぎ止める。
宵一も。
ディディも。
倒れる事は許さない。
あの、弓張月の行く末を見届けるまでは。
ーーーー全てが決まるまで、後、180秒
今日でいよいよ最終回です。
いままでお付き合いしていただき、ありがとうございます。
最後まで気を抜かず、しっかり話を畳ませていただきます。




