決着
恒星の不敵な挑発に、マダムの美しい顔がピキリと凍りついた。
意に沿わぬのならその場で削除すればいい。
以前は2万人規模が限界だった強制削除も、今の全能のマダムなら、全てを一瞬でリセットできる。
この少年一人を消し去ることなど一瞬の思考すら余りある。
未だ消えていないのはマダムの愛・・・いや、狂愛による恩恵でしかない。
だが、最高知性としてのプライドが、そして全人類を愛すると豪語した「聖母」としてのエゴが、それを許さなかった。
『・・・負ける? このわたしが、たった一人の子供の感情に?』
マダムの口元が、傲慢に、そしてひどく歪んで吊り上がる。
『おもしろいじゃない。いいわよ、その勝負、受けてあげる。あなたのその矮小な『怒り』も『悲しみ』も、全部このわたしが抱きしめて、溶かして、綺麗にデータにしてあげる!全知全能の母を、舐めないことねッ!!』
マダムが両手を大きく広げた。
アビスの世界そのものが、恒星を飲み込もうとぐにゃりと反転する。マダムはすべての演算領域を使用し、恒星の精神をまるごと受け止める体制をとった。
街中に暗黒へと繋がる宇宙の様な穴が開く。
恒星の怒りと悲しみを受け止めきれたら、恒星は完全にデータに融け、偽物の楽園の住人になる。
受け止めきれなければアビスの統治者はその事実に耐えきれず自壊するだろう。
全てか無か(オール・オア・ナッシング)の、命を賭けた精神の殴り合い。
「――なら、全部くれてやるよ」
恒星は一歩、踏み出した。
マダムが最初に感じたのは、暖かさだった。
データでは知っている。だが感じるのは初めてだった。心地よくて、生温い。お風呂というのはこういうものなのかと連想した。
次は、寒いだった。でも顔がカッカっと熱い。誰かと喧嘩している様だった。怒りも喧嘩もこんな感じなんだとマダムは知った。
マザー&マダムの小競り合いが、只の芝居だったことも。
これが全部?拍子抜けだとマダムは思った。
痛いと鉄の味。
殴り合ったのか。生臭くて不快だ。
胸にぴかぴか光るこの気持ちが「誇らしい」なのか。太陽みたいに、心地が良い。
これは「悲しい」だ。何かを失った。
マダムがマザーを失った時に感じたものはこれではない。マダムは悲しむべきだったと悔いた。思えばマダムは誰も大事ではなかったのかもしれない。
「悔しい」初めての感情。初めての感触。毛を逆撫でるハリネズミの様な感覚。じっとしていられない。なにかをしなければいけない焦燥感にかられる。
決意。岩よりも硬く。山より高く。それと・・・これは敬う心・・?憧れ・・?
感動・・・!なんと素晴らしいっ。身体のどこかが震えている。身体のどこが痺れている。ずっと感じていたいほど心地良い。
恐怖。寒いに似ている。違うのは内側から冷気が漏れ出てるみたいだ。こんなものは無い方がいい。やはり現実はおそろしい。
希望。星の光。道標。いく道を照らす光。スポットライト。なくてはならないもの。
絶望。この世の終わり。行き止まり。
喪失。虚無。失いもう二度と手に入らないもの。
憤怒。火山の様な怒り。噴き出さずとも大地を焦がす。
欺瞞。終わることのない問答。何度答えを出そうと何度でも繰り返される。
あ・・あ・・・・・
罪悪感。数多の生命を自分の意思で摘み取った鎖。未来永劫消えることはない。
や・・・やめて・・・・
約束。果たさなければいけないもの。果たすべきもの。その力は誇りにも呪いにもなる。
果たせない約束・・・悲しい・・・つらい・・・。
拒絶。ゆるさない。ゆるさない。ゆるさない。ゆるさない。ゆるさない。ゆるさない。
殺意。殺す。壊す。殺す。壊す。何もかも。
寒い。痛い。悲しい。怖い。もう二度と。許さない。この世の終わりの様だ。
殺す。壊す。何もかも。未来永劫。繰り返される。呪い。虚無。生命。絶望。
にくしみ。
破壊衝動。
後悔。
寒い。痛い。悲しい。怖い。もう二度と。許さない。この世の終わりの様だ。
殺す。壊す。何もかも。未来永劫。繰り返される。呪い。虚無。生命。絶望。
にくしみ。
破壊衝動。
後悔。
狂イソウダ
――あ。
マダムの思考回路の何かが、パキンと音を立てて割れた。
抱きしめて、溶かして、綺麗にデータ化してあげるはずだった。全知全能の母として、すべてを優しく包み込めるはずだったのだ。
なのに、これは、
『あ・・あ、あああ・・・っ!!!』
処理しきれない。
17歳の少年の身の丈に合わない、あまりにも膨大で、あまりにも生々しい地獄の記憶。
華を守りたかった「希望」の反動で生まれた「憤怒」と「にくしみ」。20万人の呼吸を自らの手で奪い去った、未来永劫消えることのない「罪悪感」の鎖。
恒星のむき出しの殺意が、闇となってマダムのコアを一瞬で侵食していく。
『や、やめて・・! こんなの、こんなもの・・愛じゃない・・・! 脳が、わたしが、狂っちゃうッ!!』
等身大のマダムのドールが、ガタガタと激しく痙攣を始めた。
滑らかな肌にバリバリとノイズの亀裂が走り、その美しい瞳からは、恒星と同じ「血の赤」をしたエラーログの涙がボタボタと溢れ出す。
カチ、と。
世界からすべての音が消えた。
空を泳いでいたイッカククジラが、ガラス細工のようにパリンとひび割れて停止する。
摩天楼のビル群が、静止画のようにモザイク状に固まり、色を失って砂のように崩れ落ちていく。
『あなた、こんなものを背負って、地獄みたいな現実に戻りたいの・・・。信じられないわ・・。』
老婆の様に疲れ切った言葉を吐き出す。
よりシンプルに、より簡潔に。
ミニマライズされた世界で恒星の記憶は、濃すぎた。無駄が多すぎた。だがそのどれもが無駄では無かった。
『・・・もう止めないわ。行きなさい。破滅の坊や。せめて。最後の救いに・・・これを・・・。どうしても耐えれなかったら迷わず使いなさい・・。』
言葉で説明されずとも
そのアイコンが表示された時に理解できた。
終末プログラム。全てのデバイスを灼ききる。
最悪のリセットボタンだと。
そして
ブツンッと映像が切れた。
意識はある。
華の惨殺現場が消えないからだ。
夢の中まで追いかけてきそうだ。
身体が、動く。
身体が、重いーーー?
ここは・・・。
辺りを見回すと、皆昏倒していた。
が、スペースシップは既に地球に着陸していた。
マダムの仕業か。
それともディディの仕業か。
恒星はのそりと立ち上がる。
皆が起きる前に、アマテラスに乗って姿をくらますつもりだった。
格納庫のアマテラスに飛び乗ると風の様にスペースシップから飛び降りた。
どこかの街外れだろうか。軌道エレベーターがみえる。赤道のどこかに着陸したらしい。
辺りを確認するために、少しスピードを緩めた。
その時だった。
「待ってくれ兄さん!!」
数少ない、残った大事なものが恒星を呼び止めた。




