置き土産
そこには、瀬馬が守る頑強なシェルターの周囲を、何万人、何十万人というが、武器を手に地鳴りのような怒号を上げて埋め尽くしていく地獄絵図があった。
「華!! 華・・・ァァァッ!!!」
恒星の網膜ディスプレイが、あまりの精神的負荷と通信ノイズでパチパチと異常放電を起こし始める。
そのひび割れた視界の奥に、民衆の手によってシェルターの隔壁がこじ開けられる瞬間が、映し出される。
ひび割れた視界の奥。
頑強なはずの此花保護シェルターの隔壁が、生身の人間たちの圧倒的な数と、むき出しの敵意によっへし折られる。
雪崩れ込む群衆。
それは、マザーに踊らされていることすら自覚のない、正義という名の狂犬病に侵された獣の群れだった。
『――お嬢様! 華お嬢様!! 下がってください!!』
画面の向こうで、有能なる執事・瀬馬の絶叫が響く。
相手は生身の人間だ。
此花の兵器をもってして、民衆を何万人も虐殺するわけにはいかない。
その一瞬の躊躇が、防衛ラインを完全に瓦解させた。
瀬馬の身体が、怒り狂う群衆の波に飲み込まれ、見えなくなる。
「やめて・・! 来ないでよっ!!」
画面の端で、小柄な少女――華が恐怖に顔を歪め、後ずさりしていた。
『華ァァァァァァッッッ!!!』
恒星は叫んだ。
拳を座席に叩きつける。
だが、殴るべき敵は38万キロの虚無を挟んだ遥か彼方。
間に合わない。
どんなに荒神が強くても。
どんなに自分が無敵の力を手に入れても。
今、この瞬間の妹一人、救う手立てがどこにもない。
画面の向こうの暴徒が、華の細い腕を掴んだ。
――テロリストの妹。20万人を殺した悪魔の身内。
誰かが叫び、誰かが石を投げ、誰かが鉄パイプを振り下ろした。
「あ、が……おにぃ、ちゃ……」
華の小さな身体が、何十人もの血走った手によって、文字通り『引き裂かれて』いく。
凄惨な肉の裂ける音。飛び散る鮮血。
人間が人間を正義の元に八つ裂きにする、地獄そのものの光景が、五人の網膜ディスプレイに垂れ流された。
咲耶が悲鳴を上げて目を閉じる。
ディディが過負荷の強制シャットダウンを申告する。
尊が言葉を失って立ち尽くし、田中一郎は顔を真っ青にしながら尚スペースシップを予定の進行路に向ける。
宵一は白目を剥いて倒れる。
恒星はその光景から目を離さなかった。
離せなかった。
パキン。
恒星の頭の中で、何かが完全に壊れた。
バチチチチチチッッッ!!!!
あまりの精神的ショックと、網膜システムへの異常負荷。
恒星のコンタクトレンズ型ディスプレイが、バチバチと激しい紫電の火花を散らし、白目を焼くような激痛となってショートした。
「あああああああああああああああああああああああっっっ!!!!」
絶叫。
だが、それは苦痛によるものではない。
ディスプレイの回路は完全に焼き切れ、システムは死んだ。
なのに。
恒星の網膜には、煙を上げるシステムの異常放電によって、華の惨殺現場が文字通り目に焼き付いて消えなくなっていた。
目を閉じても、目を開けても。
視界の真ん中に、血塗られた妹の最期が、永久にこびりついて離れない。
――異常を起こした網膜ディスプレイには、殺人現場が焼き付く。
恒星の瞳から、ボタボタと血の涙が流れ落ちた。
「・・・殺す」
ガタガタと震えていた両手の痙攣が、ピタリと止まる。
恒星の身体から、全ての生気が消え失せ、底なしの暗黒のようなオーラが身を包む。
守るべきものは、もういない。
守りたいものももうない。
ならば、この力の『使い方』は、ただ一つ。
「地上の人間も、マザーも、マダムも・・全員、一人残らずブッ殺してやる・・・!!」
芳村恒星は――世界を敵に回す狂気に身を染めたのである。




