帰還
月に新しいクレーターができた。
月の規模でいえば中規模。しかし地球からの望遠鏡でも見える新たな傷跡。
スプーンで掬い取ったかの様なそのクレーターの底。山よりも尚深い地の底の、その更に奥に。
折り重なる五つの機体。
一番上に皆の壁になる為のスサノヲ、アマテラスはタケミカヅチを、タケミカヅチはツクヨミ、サクヤヒメを庇い合う様に地中に身を埋める。
『ムカチャッカファイヤーで地下に逃げ道を作るだなんて・・・兄さんも尊さんも・・・無茶苦茶だ・・』
ガタガタと歯を震わせる宵一。
『同感だッ。おっさん今回は流石に終わったと思った』
ガチガチと歯を震わせ、足をガクガクさせる田中一郎。
『おーほっほっ!!私は恒星お兄様を信じてましてよ!!』
此花 咲耶とて高笑いにキレがなく、やっぱり足はガクガクしていた。
『教官は全ッ然大丈夫そうですね』
『まぁね!あーしは絶対に生きて帰るって決めてっから。帰れないかもなんて考え秒で捨てれんだよねー。凄くね?』
『いや、マジ凄いっす。俺はーーーー』
恒星の両手は震えが全く止まらなかった。
痙攣しているかの様に両指が絶え間なく動く。
ーーーー寒い。身体の震えが止まらない。死ぬ所だった。殺してしまった。
恒星の身体はショック反応を起こしていた。
青ざめ、呼吸は浅い。
当然の反応だ。
20万。
20万だ。
少年が背負うには余りにもーーーー。
『恒星ちゃん』
尊が優しく声をかけた。
今まで聞いたことがないほど、優しい声だった。
『帰ろう?地球へ。』
『・・・・はい。教官。』
廃棄物処理場が核融合炉より下層にあったのは幸運だったのか。
完璧な計算であるべき所にあるだけなのか。
マザーは病的に無駄を嫌う。
それでも産まれた無駄はどうなる?
その為の廃棄物処理場だ。
だがそこはまるで倉庫。様々な装置がキッチリと整理され、番号が振られている。
小さなものから、中くらいのもの。
そして当然、大きなものも。
『マダムコードより情報を入手。これは旧式のスペースシップです。』
10人乗りと言った所か、軍用飛行機に形は似ているが、軍用飛行機より飛ばすのが遥かに難しそうだった。
格納庫付きのスペースシップだ。
ディディの回線を使えば、簡単にアクセスできた。
型落ち。
それもマザーの前では無駄なものに分類されるのか。と、五人は複雑な心境に陥った。
『皆様の運転技能は大分高レベルでしたわよね?』
此花 咲耶が質問した。
運転技能が一番高いのは恒星と田中一郎だったが、精神的ショックを考慮して田中一郎が操縦する事になった。
マザー&マダムが保証した技能制度。
マダム特別回線 マダムコード。
そしてドール5体分の演算能力を持つディディがいるのだ。
この宇宙船で第三宇宙船ステーションまで帰り、軌道エレベーターで降りる事など造作もない。
プランはあっけないほどあっさり決まり、あっけないほどあっさり実行に移された。
おそらく、核融合炉の暴走エネルギーでマザー本体も深刻なダメージを負ったのだろう。
亡霊の様に付き纏っていた等身大のドール、マザーの幻影はパッタリと姿を消していた。
だが、誰もが胸に不吉な予感を抱えていた。
合理の化身であるマザーが、ただ無駄に大破するはずがない、という不安だった。
型落ちのスペースシップが、破壊された月面都市の深淵から、静かに漆黒の宇宙空間へと這い出る。
操縦桿を握る田中の顔に、いつものおちゃらけた余裕はない。
恒星は座席に深く身を沈め、ただ一点を見つめたまま固まっていた。
窓の外には、さっきまで自分たちがいた月。
スプーンで抉り取られたような直径20キロはあろう巨大な大穴。
――その傷跡から溢れ出たおびただしい数のの瓦礫が重力に囚われ、月を縛る鎖のように、美しく輝く光のへと姿を変えていく。
それを網膜ディスプレイ越しに眺めていた宵一が、ふと、奇妙なノイズに眉をひそめた。
「兄さん、なんか、地上のニュース回線がおかしい」
「ニュース・・・?」
恒星の掠れた声に、ディディが警告音を鳴らす。
『マダムコードに、地上からの緊急情報が強制同期されてます。これは――世界一斉の、緊急放送?』
次の瞬間、五人の網膜ディスプレイに、そして地球上のあらゆる端末に、一つの映像が強制的にパッと映し出された。
そこに映っていたのは、かつて地球を統括していたマザーの、ノイズまみれの姿だった。
しかし、その声は――今まで聞いたことがないほど「悲痛」と「怒り」に満ちていた。
『――地球の同胞たちよ。聞いてください』
マザーの、芝居がかった、しかし完璧に民衆の感情を煽るメッセージが世界を、
現実を確実に蝕んでいく。
『たった今、人類の理想郷であった月面都市が、卑劣なテロリストによって爆破されました。人類の叡智の結晶。宇宙開拓の足掛かりであったルナシティ。
その住民20万人が一瞬にして虐殺されたのです』
「なっ……!?」
宵一が息を呑む。
画面が切り替わる。そこに映し出されたのは、燃え盛るルナシティのログデータ。
――そして、その爆破命令の主犯としてデカデカと表示された、「個人コード」と「顔写真」
『テロを裏で操った主犯のコードは、地上の『此花保護シェルター』から発信されています。・・・主犯の名は、芳村 華』
ドクン、と恒星の心臓が跳ね上がった。
『20万人の同胞の命を奪った大罪人を、決して許してはなりません。人類の敵を、必ず排除しなさい』
ブツッ、と通信が切れる。
そうしてマザーは完全に消え去った。
枝葉に散らばっていた残滓を掻き集めた最後の足掻きだった。
合理的思考AIが最後に放った矢は、自分を滅ぼしたものではなく、そのものが大事にしているものに向けられて放たれたのである。
その非合理性は進化だったのか、バグだったのか今となっては知る由もなかった。
津波の前触れの様に。
恒星は頭からサーッと血の気が引くのを感じた。
一瞬にして風景が色を失い、ぐにゃりと歪んでいく。
『恒星ちゃん!!』
石凝 尊が恒星の手を包む様に握った。
「マザーの野郎・・・自分の負けを認めねぇで、全部華のせいに・・・」
目に見えてくらくらしている。
恒星はもう一人では座っていられない程の衝撃にバランスを取るだけで精一杯だった。
地上の民衆は狂気に染まる。
水に赤い絵の具を垂らしたように、いともあっさり、いとも鮮やかに。
人類の未来を脅かされ、20万人の仲間を殺された恐怖。それは一瞬にして、制御不能な殺意へと変貌した。
今にも倒れてしまいそうな声で、誰にともなく恒星は頼んだ。
もう自分では何一つ正しく使う事はできない。
「だれか・・・此花シェルターとアクセスしてくれ。頼む・・。」
すぐに此花 咲耶が通信をとる。地上までのタイムラグは1.2秒。その1.2秒がもどかしかった。
咲耶が此花の映像を各人のディスプレイに転送した。




