聖域
「はいもっしー?マダムっち?」
なんの躊躇もなく回線を繋ぐ石凝 尊。
あたふたする恒星達を差し置いて、網膜ディスプレイに現れる等身大のドール、即ちマダムに相対する。
口調こそいつも通りだったが、その言葉には殺気が込められていた。
『はじめまして、わたしの可愛い子供達。私はマダム。マァムって呼んでもいいのよ?』
返ってきた反応は実に意外なものだった。
荒野で通告してきた「マザー」と、姿形、声質まで同じ。
違うのは声色だけ。
マザーが無機質で抑揚のない話し方に対し、マダムはねっとりと生暖かい・・ともすれば熱い語り口に見て取れる。
「そのマダムがあーし達に何の用?しってると思うけどあーしたち今鬼忙しいから、くっちゃべってる暇とかねーから。」
話の主導権は石凝 尊にある様に見えた。
それが誰も口を挟まない理由だった。
口調こそ砕けまくっているが、石凝 尊は百戦錬磨の達人なのだ。
『あらあら、ご機嫌斜めなようねー。残念だわ、頑張るあなた達に大事な事を伝えに来たのに。』
堪らず、此花 咲耶が割って入ろうとした。
データも荒神も元は全てこの子のものだ。
追われ、奪われそうになっている彼女にゆとりがない事は仕方のない事だった。
だが、前傾姿勢をとった此花 咲耶が言葉を発する前にマダムがそれを制す。
『データはあそこよ。』
映像化されたマダムは指を天空に掲げた。
「軌道エレベーター?」
尊の言葉に立体映像のマダムは首を横に振る。
その口元には歪んだ笑みが浮かんでいた。
「宇宙ステーションとかじゃねぇか?1000体のギアは空から落ちてきたし。」
恒星の言葉にやはりマダムは首を横に振った。
『貴方達のデータは月に。つまりルナシティに送られているわ』
「――月、ですって・・・?」
咲耶の喉から、掠れた声が漏れる。
地上のギアから必死に逃げ延び、ようやく辿り着いたパプワニューギニア。
だが、取り戻すべき自分たちの結晶は、すでに38万キロの彼方、マザーが理想郷と嘯く月へと吸い上げられていたのだ。
「冗談キツくね? あーしたち荒神の試運転しにきただけなのに。月行きのチケットなんて持ってるワケなくね?」
尊の引き攣った笑いが、マダムの歪んだ笑みを助長させる。
その様子をじっと凝視していた宵一が、冷静な声で割り込む。
「・・・マザーは最初から、僕たちを地上でどうこうする気はなかったんだ。データを確実に月に送るための、時間稼ぎとしてギア1000体を差し向けた」
『正解よ、賢い坊や。マザーはもう、あなた達の『荒神』の全てを知りたがっているわ』
絶望が、ポートの重苦しい空気をさらに圧迫する。
背後からは、マッハ1で迫るギアの足音が刻一刻と近づいている。データは月。追っ手はすぐそこ。逃げ道はない。
『―――わたしとマザーは、常に拮抗するように作られているわ。
そして万が一システム同士が直接ぶつかり合ったら、共倒れする様に強制停止プログラムがかけられているの』
マダムは自嘲気味に笑う。
『わたしはマザーを直接排除できないし、マザーもわたしを消せない。
滑稽でしょう? 私たちは神なんて大層な呼ばれ方をしながら、地上の人間や機械人形という『駒』を使って、チェスのように争うことしか許されていないのよ』
だからこそ、マダムは特権回線という「ルール違反ギリギリのツール」を恒星たちに託したのだ。
「ふーん。マザー&マダムにもできない事があるんだな。意外だぜ。」
『同情してくれるの?元気な坊や。優しい子は好きよ?』
先ほどと打って変わり、親しみを込めた笑みをニッコリと恒星に向ける。
マザーとは違い、マダムは山の天気の様にコロコロと表情が変わる。
まるで、感情を持て余した人間のように。
『でも、その拮抗が破られつつあるの。私達が造られた後に建設された、あのルナシティのせいで』
「・・・掴めてきましたわ。マザー&マダムは地球を管理する目的で造られましたわ。月を二人がかりで管理するのは不合理。・・・つまりルナシティは・・・マザーの管轄ですわね・・・。」
咲耶の言葉に、マダムはまるで愛おしい愛玩動物を眺めるような瞳で細めて見せた。
『その通りよ。月はあの子のワンダーランド。地球を半分こにされて不満だったマザーが、自分の為だけに造った、わたしさえ干渉できない完全な聖域』
マダムは妖艶に首を傾げ、画面を這うような仕草で5人を覗き込む。
『だからこそ、わたしはあなた達を歓迎するのよ。あの子の大事なおもちゃ箱を引っかき回してくれる、私の子供達。月へ行きなさい。そしてマザーを、わたしのために苛めて頂戴?』
その声は、管理AIの「プログラム」なのか。
それとも、マザーに対する、「嫉妬」の表れなのか。
あまりに人間臭い、芝居がかった動きに全員がゾッとした。
『月までのチケットなら・・・』
ゴゴゴと地面が揺れた。
遠くから金属が擦れる音がする。
エネルギーが始動する音。
天高くそびえるエレベーターのワイヤーが、雷のようにパチパチと火花を散らす。
ポートのあちこちに起動を意味する緑色のライトが灯った。
『私が用意したわ。』




