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第88話 【Day 7裏】財界の王の「敗北宣言」と、不器用な父親の第一歩

病室を出た瞬間、御子柴 厳蔵ミケは、深く、長く息を吐き出した。 まるで、背負っていた千斤の重りを下ろしたかのような、安堵のため息だった。


「……お疲れ様でした、会長」


背後から、静かにドアを閉めた 影山 カゲが声をかけた。 厳蔵は振り返り、自嘲気味に微笑んだ。


「……完敗だ。 ワシは彼に、土下座をしてでも謝罪を受け入れてもらうつもりで来たが……まさか、感謝されるとはな」


厳蔵の脳裏に、ここに至るまでの長い一週間が走馬灯のように蘇った。


   ◇


あの日、小狐ルルが倒れた夜。 裏サミットのチャットでその事実を知った時、厳蔵は血の気が引くのを感じた。 『原因は過労』 その言葉が、鋭い刃物のように胸に突き刺さった。 直接の引き金を引いたのは、間違いなく自分だ。成果を急ぐあまり、現場にかけた圧力が、あろうことか一番大切な「推し」を潰してしまったのだ。


その後、ドクターから「命に別状はない」と聞かされても、厳蔵の自責は消えなかった。 (……顔が見たい。謝りたい。だが、ワシのような老害が行って、彼を萎縮させてしまわないか?)


迷った挙句、彼は関連会社の社員である田中リョウタに、無理やり理由をつけて見舞いに行かせた。「業務命令」という建前で、現場の状況確認をさせたのだ。いつものような圧力は微塵もなく、ただ縋るような思いで。 しかし、帰ってきた田中から言われたのは、「ご自身で行くべきです」という直言だった。


『会長が恐れているようなことを言う人ではありませんよ』


グループの末端にいる社員に諭され、彼は震える指でカゲに連絡を取ったのだ。 『……もし、迷惑でなければ、ワシが見舞いに行ってもいいだろうか?』 それは、財界の王とは思えないほど、弱々しい問いかけだった。


   ◇


そして今日、病院へ向かう車中。 厳蔵は、流れる景色を見ながら、ふと考えていた。 (……ワシが最後に、自分の非を認めて頭を下げたのは、いつだったろうか)


記憶の彼方から浮かび上がったのは、幼い頃の息子や、孫たちの顔だった。 自分が厳しく叱責した時、彼らは怯え、縮こまり、何も言えずに俯いていた。 『申し訳ありません、父さん』 『ごめんなさい、おじいちゃん』 彼らは謝るばかりで、ワシはそれを当然のように受け止め、決して自分からは謝らなかった。 そうやって、正しいことをしているつもりで、家族との間に深い溝を作ってしまったのではないか。


(小暮君も、ワシを見たら……あの子たちのように怯えるのではないか)


そんな恐怖と戦いながら、この病室のドアを叩いたのだ。


   ◇


だが、結果はどうだ。 小暮は怯えるどころか、「ワクワクした」「良いところを見つけるのは簡単だ」と笑ってくれた。


「……本当に、純朴で……良い青年だな」


厳蔵がしみじみと呟くと、栞は誇らしげに微笑んだ。


「ええ。それが、小狐ルルという配信者ひとですから」


厳蔵は、その栞の表情を見て、ハッとした。 社交界のパーティーで何度か見かけた彼女は、いつも完璧なドレスを纏い、隙のない営業スマイルを張り付けた「影山家の令嬢」だった。 あんなに冷ややかで、どこか退屈そうだった彼女が。 今、この病院の廊下で、こんなにも柔らかく、慈愛に満ちた「人間らしい」表情をしている。


(……あの子も、変わったな)


厳蔵は、二人の間に流れる空気――互いを信頼し、支え合っている温かい絆を感じ取った。


「……彼とお前さんは、よく似合っているよ」

「え?」

「二人とも、不器用だが……真っ直ぐだ」


厳蔵の言葉に、栞は一瞬目を丸くし、それから頬を染めて、しかし否定せずに深くお辞儀をした。


「……光栄ですわ」


   ◇


病院の車寄せ。 黒塗りの高級リムジンに乗り込んだ厳蔵は、スマホを取り出し、裏サミットのチャットルームに報告を入れた。


『ミケ: ……会ってきた。彼は、ワシを許してくれた』


仲間たちからの安堵のスタンプを見届け、スマホを閉じる。 さて、次はワシ自身の「リハビリ」だ。


「……おい。予定を変更する」

「はっ。どちらへ?」

「今夜の執務は終わりだ。……息子の家に行く」


「えっ? よろしいのですか?」


運転手が驚愕の表情を浮かべる。 仕事の鬼である会長が、自ら業務を切り上げ、アポイントもなく家族のもとへ向かうなど前代未聞だ。


「ああ。……久しく、孫の顔を見ていなくてな」


厳蔵は、小暮の言葉を反芻していた。 『御子柴さんの良いところを見つけるのも、とっても簡単でしたよ?』 自分を恐れず、真っ直ぐ見てくれる他人がいる。 ならば、家族だって、ワシが変われば、きっとまた真っ直ぐ見てくれるはずだ。


道中、孫が喜びそうな菓子を買おう。 そして、玄関を開けたら、まずは謝ろう。 『今まで、厳しくしすぎてすまなかった』と。 そうすれば、小暮がそうしてくれたように、彼らもまた、不器用な父親を受け入れてくれるかもしれない。


「……ありがとう、ルル。そしてカゲ」


財界の王は、明日から始まる「日常」への期待と、これから始まる「家族」との再構築への希望を胸に、静かに目を閉じた。 明日は、待ちに待ったルルの復帰配信だ。 どんな赤スパ(スーパーチャット)よりも重い、心からの感謝を届けようと、彼は心に誓っていた。

毎日0時に1更新を目指して頑張っています。


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