第87話 【Day 7】小休止中の配信者ですが、病室に「財界の王」が頭を下げに来て、僕の言葉が彼の孤独を救った
入院7日目。最終日。 病室には、張り詰めたような静寂が漂っていた。
「……来ますよ、小暮さん」
影山 栞が、短く告げる。 小暮 譲は、ベッドの上で居住まいを正し、深呼吸をした。 緊張で掌が汗ばむ。相手は、日本経済を動かすフィクサーであり、今回の過労のきっかけとなった人物でもある。
コン、コン。 重く、しかしどこか躊躇いを含んだノックの音が響いた。
「……どうぞ」
小暮が努めて明るい声で答えると、ドアが静かに開いた。 そこに立っていたのは、御子柴 厳蔵。 いつもなら周囲を威圧するような覇気を纏っている彼が、今日は少しだけ背中を丸め、どこかバツが悪そうに入ってきた。
◇
「……体調は、どうだ」
ベッドの脇に立った厳蔵が、絞り出すように尋ねた。
「はい。おかげさまで、もうすっかり元気です。明日には退院できます」
「そうか……」
厳蔵は短く頷くと、意を決したように深く頭を下げた。
「……すまなかった」
「えっ!?」
「ワシが、貴様を追い詰めた。 結果を急ぐあまり、現場の負担を顧みず……将来ある若者を、潰してしまうところだった。 ……本当に、申し訳ない」
財界の王が、一介の社員に頭を下げる。 その姿は、自分の不手際を認める実直さと、若者を傷つけてしまったことへの深い後悔に満ちていた。
小暮は慌てて手を振った。
「や、やめてください会長! 頭を上げてください! 違うんです、これは僕の自己管理ができてなかっただけで……! それに、僕の方こそ、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
小暮の必死な言葉に、厳蔵はゆっくりと顔を上げた。 その目には、安堵と、未だ消えぬ罪悪感が混じっていた。
「……恨まないのか? ワシを」
「恨むなんて、とんでもない!」
小暮は真っ直ぐに厳蔵を見て、微笑んだ。
「僕、今回のプロジェクト、すごく楽しみにしてるんです。 あの日……パーティー会場で初めて会長とお話しした時、この人となら、本当にユーザーが喜ぶ『良いもの』が作れるんじゃないかって、ワクワクしたんです。 その気持ちは、今も変わりません」
厳蔵は目を見開いた。 この若者は、自分の圧力を「期待」と捉え、あろうことか「ワクワクした」と言うのか。
「……貴様は、本当に……」
厳蔵の声が震えた。
「……ワシの周りにはいない、稀有な心を持っているな。 誰もがワシを恐れ、顔色を窺う中で……どうしてそこまで、純粋でいられる」
厳蔵の言葉に、小暮は少し照れくさそうに頭をかいた。
「いやぁ、そんな立派なものじゃありませんよ。 僕はただ……『人の良いところ』を見つけるのが、好きなだけなんです」
「良いところ……?」
「はい。だから、御子柴さんの良いところを見つけるのも、とっても簡単でしたよ?」
小暮は、いつもの配信でリスナーに語りかけるように、穏やかに続けた。
「厳しくて怖いけど、それは誰よりも仕事に真剣だからだし。 上辺だけの言葉じゃなくて、ちゃんと本質を見てくれる。 ……そんな熱い人と一緒に仕事ができるなんて、僕は幸運だなって思ってます」
「…………」
「あ、でも……。 普段、会長の周りにいる優秀な方々は、もっと洗練された言葉を使うでしょうから……。 僕みたいに、語彙力の足りない直球な言葉が、珍しかっただけじゃないですか?」
小暮が茶化すように笑うと、厳蔵はハッとしたように息を呑んだ。
かつて。まだ自分が「会長」と呼ばれる前。バリバリの現役で、会社を大きくすることに燃えていた頃。 まだ学生だった息子が、自分に向けていた眼差しを思い出した。
『親父はすごいよ。尊敬してる』
そう言ってくれる。関係は良好だ。決して仲が悪いわけではない。 だが、いつからだろうか。 息子も、部下たちも、自分に対してどこか「一線」を引くようになったのは。
『父さんの言うことは正しいから』
『会長の仰る通りです』
そこには敬意がある。だが、冗談を言い合ったり、弱音を吐いたりできるような「隙」は、自分の威圧感がすべて消し去ってしまっていた。
(……ああ、そうか)
彼らが遠ざかったのではない。 自分が、その「強い語気」と「正論」で、彼らを近寄らせないようにしていたのだ。 尊敬という名の、見えない壁を作っていたのは自分自身だった。
「……それでもだ」
厳蔵は、目頭を押さえ、声を絞り出した。
「……それを、ワシに気づかせてくれるきっかけを……お前さんはいつもくれるのじゃな」
小暮の飾らない言葉が、その壁を軽々と乗り越えてきた。 威厳など必要ない。ただの人間として向き合えば、こんなにも温かい関係が築けるのだと、教えられた気がした。
「……ありがとう。小暮」
厳蔵は、憑き物が落ちたような、穏やかな顔つきに戻っていた。 彼は右手を差し出した。
「大事がなくて、本当によかった。 ……これからも、よろしく頼む。大切な『仲間』として」
「はい! こちらこそ!」
小暮はその手をしっかりと握り返した。 固く、温かい握手。
「……では、行くか」
厳蔵は背筋を伸ばし、踵を返した。 その背中は、入室した時よりも柔らかく、しかし確かな決意を帯びていた。
(……今度、息子を飯にでも誘ってみるか。 仕事の話抜きで、ただの『親父』としてな)
部屋の隅で、その光景を静かに見守っていた栞も、目元を拭いながら温かい微笑みを浮かべていた。 これで、すべてのわだかまりは解けた。 あとは――彼が「帰るべき場所」へ戻るだけだ。
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